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ヨーロッパ旅行記(後編)

外出自粛とはつらいものだ。何がつらいって自粛している時に限って良い天気だということ。しかし背に腹は変えられない。コロナに犯されてしまっては元も子もないので、また世界が平和になったら、その時に晴天の下で歩く楽しみを噛みしめることにしよう。ということでヨーロッパ旅行記もいよいよ後編、最終章だ。

6日目(2月12日)

Barcelonaを夜に経ち、深夜にParis-Charles-de-Gaulle空港(パリ=シャルル・ド・ゴール空港)に到着した。ここが花の都か。失礼な話だが、初めて吸ったParisの空気はどこか淀んでいる気がした。﨑原が日本で生まれ育ち日本の空気が我が身体を作っているからだろうか。
まずはホテルに移動せねばならない。ホテルがあるのは「パリ北駅」と俗に呼ばれる駅が最寄りで空港からは地下鉄B線とバスが通っている。

Parisの地下鉄B線はとにかく治安が悪い
観光客を狙ったスリや強盗が横行している

という情報を持っていたので、本当はバスで行きたかったが、たしか終バスが既に無かったか何かの理由で(正確な理由は忘れてしまった)、地下鉄に乗らなければならなくなった。我々3人は意を決し、戦々恐々としながら「修羅の国」に足を踏み入れた。
まず車内が汚い。落書きで埋まる壁。傷でめちゃくちゃな窓ガラス。破れた椅子の革。すばらしい。これだけで治安の悪さがわかる。もう大満足だ、これ以上何も起きるな。とりあえず我々はお互い3人でしっかりディフェンスを固め、目的地に到着するまで緊張しながら過ごしたのであった。30分ほどで目的地であるパリ北駅に到着し、安堵した。あとはホテルに向かうだけ。ではなかった。
待ってくれ、ここもヤバイじゃないか!
むしろ電車内が如何に平和だったかと感じるほどである。歩いているとラグビーでもやってそうな屈強な黒人が大声で何かを言い合っていたり(フランス語だからわからないが、もしかしたらただの世間話かもしれない)、通りに接するお店のショウ・ウィンドウが無造作に割られていたりしていて、とてもじゃないが「花の都」とは思えない。中でも﨑原の心を縮ませたのはアジア料理店のガラスがかなり酷い割られ方をしていたことである。ちょうどコロナの話が世間に広まり始めた頃で、ヨーロッパが余裕をぶちこいていてコロナに関するアジア人差別が酷いと聞いていたので、その現場を目の当たりにしたような気がした。そんなこんなでビクビクしながらホテルに到着し、チェックイン。幸いなことにホテルマンは非常に親切でフランス語がわからない我々に英語で話しかけてくれた。
「夜は街へ出るな」、それがこの年老いた見た目の親切なホテルマンからの警告だった。そりゃそうだよな、多分この街で我々は最弱。格好の餌食だろうから。言われなくてもそうするぞと言わんばかりに、その日はそそくさと部屋に行き休息を取った。

7日目(2月13日)

この日はルーブル美術館に行こうと考えていた。しっかり早起き(?)できたので、あまり並ばずに入館できるはずだと思っていた我々は現地に着いて唖然とした。並びすぎだ。2時間ぐらい待つことになるかもしれない。これが「世界」かと、﨑原は悟った。
しかしかなり人捌きが良かったのか、見た目の割に待たずに済み、1時間弱ぐらいで入館できた。世界的な美術品や歴史的文化財が収録されている場所だから持ち物チェックがさぞ厳しいのだろうと思っていたら、ゲートと対面してから1秒で通された。凄まじい超技術が導入されているのか、はたまた審査官がテキトーなのか、どちらかはわからないが、前者だと信じたい。
館内はオリエントやアメリカ、エジプトなどなど地域別で区切られていて、地下1階から地上3階まで余すところなく様々な作品が展示されていた。じっくり見て周るなら1週間はかかるとも言われているが、﨑原の体感だと、有名な作品を中心に軽く全体を撫ぜる程度に周回するなら3、4時間ほどあればそこそこ満足はできると思われる。本来なら収録されている作品の数々を写真で紹介したいところだが、﨑原は「写真には撮らない。自分の心に刻むのだ。」という己のイデオロギーに従って一切作品の写真を撮っていない。ごめんなさい。ちなみに「モナ・リザ」とか「サモトラケのニケ」、「ナポレオンの戴冠式」、「ハンムラビ法典」などを見ました。

ルーブル美術館をそこそこ楽しめたので、パリのもう1つの見どころであるシャンゼリゼ通りへ行くことにした。シャンゼリゼ通りはコンコルド広場からエトワール凱旋門へと続く通りで、個人的に「パリと言えば!」というスポットだと思う。どうせならスタートからゴールまでシャンゼリゼ通りを歩きたかったので、コンコルド広場から我々はスタートした。しかし、優雅にパリジェンヌたちが闊歩している華やかな雰囲気を勝手に思い浮かべていた﨑原は絶句した。想像以上に長い。1.91㎞らしい。しかもゴールにそびえるエトワール凱旋門がでかすぎて余計に感覚が狂う。元々大きく見えるので近づいている感覚が全くないのである。ただ足踏みしているだけのような、そういう感覚。

それでも諦めずに歩みを進め、途中でパリらしくマカロンをつまんだりなどしているとようやく辿り着いた。

いや、すごいけど。すごいんだけど、不思議なことに歩きながら眺めていた時の方が大きく見えた。もっと大きいと思っていた。しかしそれでもすごい。ちなみに下をくぐるためには有料のゲートを通らなければいけなかったので今回は遠慮しておいた。
エッフェル塔もここからそう遠くない場所にあるためお次はエッフェル塔へ。

そしてParisでひっそりと有名な世界遺産、Sainte chapelle 。13世紀半ばにルイ9世の命により建立されたゴシック様式の傑作。ステンドグラスが非常に綺麗だった。デートで来たら確実に”オト”せる。とはいえデートでパリに来る機会など金輪際訪れないだろう。このステンドグラスは聖書の各シーンを描いたものらしいが、いかんせん天井が高く細かい描写のため「あ~!あのシーンね!」とは残念ながらならなかった。

さらにはついこの前燃えて、現在修復作業が進められているノートルダム大聖堂。焼け跡が痛ましかったが順調に再建が進んでいるようで安心した。

最後に、せっかくParisに来たのだから、ということでフランス革命始まりの地、バスティーユ広場へ。政治犯が収容されていたバスティーユ牢獄がかつて存在した場所で、民衆がそこを襲撃したことで革命の火がついたというなんともロマンのある場所だ。現在は特に何があるということもなく大きなオブジェがそびえるのみだが、やはり歴史の重みを感じた。

はい、こうしてParis観光も一通り終えたということでお待ちかねのディナータイムである。大学の先生に教えてもらった安くて美味しいフレンチのお店へ。海外を飛び回っていて、紹介する店のクオリティには定評がある先生から教えてもらったお店なので心が躍った。心が躍りすぎて、向かいにある全然違う店に入店し着席までしてしまうという痛恨のミス。なんとか訳を伝えて出ることができたので良かったが、お店のおじさんは悲しそうな顔をしていた。またParisに来る機会があったらきっと行くからね、と心の中で反省した。仕切り直して目当てのお店へ。

感想を端的に述べると、シンプルながら程よい味付けで美味しい。少ししょっぱさもあってワインやチーズに合う。フレンチなど食べたことがなかったので、日本にあるフレンチのお店と比較して云々というコメントはできないのだが、良い意味で家庭的というか素朴な印象を受ける品々であった。先生ありがとう。これだけ食べて€50、スペイン・ディナーと比べるとやや高いが大満足の一夜だった。

8日目(2月14日)

この日はParis市外に出て、ベルサイユ宮殿に行く予定だった。朝9:00には到着しようね、ということになっていたのに、なんと﨑原まさかの9:00起床。情けないね、起きたら他2人は準備万端だった。
気を取り直してすぐに支度を済ませ出発。電車で1時間ぐらいだろうか、かなり田舎の方まで来た。閑静な住宅地という感じで、慌ただしく車や人が巡るパリと雰囲気が全然違う。フランスについて無知だったので、ベルサイユ宮殿がこんな郊外にあるなんて、と意外に思ったものである。ベルサイユ宮殿は言わずと知れたフランス絶対王政を象徴する建造物で、当時の王室がいかに絶大な権力を持っていたのかを現代へ語り継いでいる。王室だけでなく大臣たちも住まわせていたらしいから驚きだ。という感じで、これほどまでに華やかな観光地であるから当然訪問客も多く、入り口には長蛇の列。1時間半ほど並んだ末にようやく入場できた。

1枚目は入ってすぐ見える、エントランス(?)なのか、何をするのかよくわからないスペース。この時点で﨑原の最寄り駅の駅前より広い。2枚目はかの有名な「鏡の間」。第一次世界大戦後の講和会議など、数々の歴史的シーンの舞台になった超・有名場所である。名前の通り鏡だらけで感動した。3枚目は、なんと庭。歩けど歩けど果てが見えない。ここで何をしていたんだろう、とシンプルに疑問に思った。
かなり広く、たしか3時間ほど滞在したのと、移動時間がかかったのもあってParisに戻るころには空が暗くなり始めていた。ディナーにしゃれこみたいところだったが、夜のルーブル美術館が綺麗らしいのでまずはそこへ。

昨日撮影した昼の風景とは一転して、照明の効果もあり非常にロマンティックであった。そしてついにディナー。特に店を決めずに我々のセンスに任せて入店しようということにし、夜のParisを散策しつつ店を探した。この日はやけに賑やかであった。何事かと思っていたら、そう、この日はバレンタイン。ヨーロッパのバレンタインはガチなのだ。男性が意中の女性にバラをプレゼントする習慣があるらしく、その類のカップルたちで街はあふれかえっていた。当然良い雰囲気のお店は予約でいっぱい。ずっとうろうろしていてようやく1店だけ良さげなお店を発見してそこでヨーロッパ最後の晩餐を楽しむことにした。かなり元気なお姉さんがメニューの説明をしてくれ、それに従って色々注文した。

いや、これはやばい。昨日食べたものとはまた違った美味しさ。かなり贅沢な味わいで、「これがフレンチか...」とため息が漏れた。フランス人は毎日こんなものを食べているのか、それとも彼らにとってもこれは贅沢なのか。エスカルゴを初めて食べたが、中身だけ出されたらカタツムリとは思うまい。そして個人的には6枚目のパスタがめちゃくちゃ好みの味わいで、濃厚なソースとモチモチの麺が絡む逸品であった。お会計は€201。目が飛び出たよ。

9日目~10日目(2月15~16日)

長かったヨーロッパ旅行もついに終わり。日本に帰ってきた。2月16日、この日は﨑原の誕生日だったから、同行者のTくんが西千葉の武蔵家でラーメンと諸々トッピングを奢ってくれた、ありがとう。

やっぱりラーメンが一番美味い。スペインやフランスで色んな料理を食べたが、やはり日本で生まれ育った﨑原にとってはJapan as No.1でした。

終わりに

今回初めての海外旅行であったが、非常に楽しかった。当時はコロナがここまで猛威を振るうとはつゆも思わなかったが、あの頃のような平和なヨーロッパがまた戻ってきてくれることを切に願う。そして同行してくれた友人2名には多大なる感謝を申し上げる。

#日記 #旅行記 #フランス

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