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共感って難しい

普段何気なく使う「共感」という言葉について、キャリコンの資格を取ってから見聞きすると気になってしまう。ので、書いてみる。

自分の思う共感

まるでアナタになったかのように感じること

それが共感だと、私は思っていて、
キャリコンになってから強く思うようになった。

クライアントの話を聴く。
事象を理解する。気持ちを理解する。

言うのは簡単だけど、気持ちを理解するのはとんでもなく難しい。
「分かる」なら誰でもできる。寂しい、嬉しい、楽しい、など。

どのように寂しいのか、など理解しようとすると、その人のモノの捉え方や考え方、いわゆる価値観を踏まえないとズレた解釈になる。

今でもよく思うことだが、相談業務というのは特に何ら資格などは必要ないと個人的には思っていて、相手の為に自分ができる応対をする。それにつきるというのが持論。

少し話ズレるけど、それでもキャリコンという資格について云々考えたり発信するのは、頑張ってる人たちが周りに沢山いるし、発展途上のこの界隈に何かしらコミットできることを楽しく思うから。

相手の為に、ということを考えたときに、一番は相手の思っていることを理解すること。その人になりきることが100%の理解だとすれば、実際に他者を理解できるのは100%未満である。

限りなく100%に近い状態、それを共感だと、私は思うのである。

それは「共感」か?

「わかるー」とよく耳にする言葉があるが、これを共感と呼称されることもよくある。

この部分に私は敏感になってしまっている。

それは、共感なのか。と。

共感ではなく、同調・同意・同情なのではないか。と。

共感の同義語として、同感と記載されることはよくある。
辞書に書いてあるから、その通りなのだと思う。

個人的には、共感が限りなく100%相手に近いもので、同感は50~70%ぐらい。

同調・同意・同情、これらも相手の気持ちや考えを汲み取ったうえでの行為であるが、何か薄っぺらさを感じるのである。

本当の意味での理解(漫画とかでよく出てきそうな言い回しですね)に近ければ近いほど共感。いつの間にかにそう考えるような思考になっていた。

日常で役に立つかどうか

さて、世間では共感力などと耳にするようにもなり、日常生活の上で共感力があるとメリットがあるというような考え方もある。

わたしも、共感力はあるにこしたことは無いと思うし、特に仕事をする上でのコミュニケーションの中では有利に働くことは往々にしてあると感じている。

「私の言うことを分かってくれる」
「私の気持ちを察してくれる」
「上辺で聞き流さず聴いてくれている」

相手の気持ちを自分も味わう。そういった心掛けだけでも随分と、
「この人は話しやすい、いい人だ」と思わせる。

ただし、四六時中、他者に共感していると、心が疲弊する。

共感することで身体が疲れることはないが、(共感するために何か行動する、というような場合は身体も疲れる)心は驚くほどにエネルギーを使う。

そういう意味では、敢えて共感しないということも日常の中では必要なのかもしれない。

共感にもいろいろある

ハーバード・ビジネス・レビュー編集部(2018)『共感力』ダイヤモンド社.
によると、共感力には3タイプあります。
認知的共感:他者の視点を理解する力
情動的共感:他者の感情をくみ取る力
共感的関心:相手が自分に何を求めているかを察する力

認知的共感
相手の立場・目線に立てるかどうか。
職場でのプレゼンの場合、聞き手の立場に立った説明ができれば評価もされやすく、何よりも聞き心地の良い提案に。

情動的共感
対面している人たちの感情の機微に気付けるかどうか。
表情やしぐさ、または声のトーンなど、様々なところから相手の感情に気持ちを向けられれば、相手の興味の有る無し等にも気付く。

共感的関心
感情の機微に気付いたうえで、どう応対するか。
相手との間に強い信頼関係を構築することができる。

おわりに

キャリアコンサルタントとして、私は「共感力」が最も重要なファクターだと思っている。

何よりも、信頼してもらう。それが一番重要なことだから。
少し怪しく聞こえますが、安心・信頼してもらわなければ、本質の話をすることができないので、結局双方にとって時間が勿体ないという残念なことになりかねない。

安心できる関係構築の上で、話をするのだけれど、「この人は、私を理解してくれている」と思ってもらうほど、実はこういった事にも悩んでいる、こんな事情がある、など話して貰えることが多い。

というのが私の意見です。
勿論異なった考え方、違う部分に重きを置くキャリコンもいらっしゃいますし、それが間違ってるとも思いません。人それぞれやり方も得意な部分も異なりますから。

私が相談として聴くことが多い内容として、「仕事と恋愛」というテーマが多いからこそ、感情的な部分にフォーカスすることも自然と多くなり、自身の経験上も特に、他者の感情の機微を気にし続けて生きてきたからこそ感じることなのだとも思います。

目の前の人の、気持ち、考え方、捉え方、それらを自分の中に取り入れながら、相手になりきっていく。それは、やはり難しいことだと日々感じるのです。

おわり

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