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大切にしていた価値観が手離れていった話

こんにちは。
パーソナルコーチをしている樋口咲恵です。
今日は私について気づいたことと、そしてわからなくなったことについて書いてみます。

“自己選択・自己決定”が何より大切だった

自己選択・自己決定
これは私が今までものすごく大切にしてきた価値観です。
自覚的でない時期も長くありましたが、振り返ると私はいつも自己選択・自己決定を大切にしていました。

相談しなかった受験と就職

高校受験、大学受験、就職。
10代〜20代前半の私にとっては大きな人生の岐路でした。
「どの学校/就職先にするかによって人生が大きく変わるな…」と思っていました。

当時、親や周りの大人との関係性は至って普通。
でもなぜか、頑なに大人には相談しない私がいました。
今思えば人生の先輩の知恵、借りれば良いのに。

当時は進路選択に関して何か言われるのがたまらなく嫌で、少しのことでも「口を出された!うるさい!」と感じていました。
相手も私をどうこうしようと思っているわけではないと今ならわかるけれど、当時の私はそう感じていたんです。

自分のタイミングで選択した、結婚と出産

サプライズプロポーズ、大嫌いでした。
サプライズって何?!結婚するなら話し合おうよ!驚かせるなよ!意味わからん!と思ってた。
(サプライズプロポーズした方がいたらごめんなさい。)

なんで男性だけ、自分の都合の良いタイミングを選びやすいの?女性側にも人生のタイミングがあるはず。
2人は平等なのに、なんで男性が主導権を握ってるの?
そんなふうに思っていました。

だから私は、自分のタイミングで婚活をし、結婚や出産に向けて2人で話し合ってタイミングを決めていきました。

自己選択・自己決定が大切だったんだ、と気づいた最近

最近、これまでの行動を振り返ったり聴いてもらったりしながら、なぜそうしたか?を言語化していたら「自己選択・自己決定」という言葉がはまりました。
私、自分で選んだ・決めたって言う実感が何より大切だったんだ〜。

でも。
ふと思ったんです。

たまたま、同じ年度に同じ大学・学部を受験した人の中では合格だった。
たまたま、同じ年度に新卒採用を受けた人の中では内定だった。
たまたま、同じタイミングで婚活していたからパートナーと出会えて、
たまたま、彼も私をいいなあと思ったから結婚した。
たまたま、経過がよかったから息子が誕生した。

私が自分で選んで決めたこともたくさんあります。
同時にコントロールできない要素もたくさんありました。

そうやってたくさんの要素が絡まり合って私の人生ができていた。
たまたま、が違う方に転んでいても、それもまた私の人生だったはず。

どっちも真実だし、どっちも虚構

自己選択・自己決定してきた。これは真実。

でも、「流れに乗ったら今がある」。
自分の人生をこんなふうにも表現することがあり、それも真実。

どちらも私がそう意味づけていただけ。
起きた事実は一つだけど、私にとっての真実(実感)は、「自己決定してきたし、流れに乗ってきた」。

どちらも真実、と思うと同時に、どちらの意味づけも私の内面がそう見せていただけであり虚構だな、とも感じました。
虚構、ちょっとインパクトが強い言葉ですね。他にぴったりくる言葉が見つからない…!

「自己選択・自己決定ができなければ私の人生ではなくなってしまう。そんなの生きる意味がない」
そんな筋書きの物語の舞台の上で生きていたことに気づいたら、今まで無意識に握っていた価値観が手離れていきました。

わたしは何者なのか?

わたしはこれまで、自己選択・自己決定を大切にしている人でした。
今は、その握りが緩んでいて、そう表現するのは違和感があります。

では、何者なのか?

それは徐々に、重要な問いではなくなりました。

自己探求をしていくと、自分がどんどん曖昧になっていく感覚があります。
見つけると、手離れていく。

今あるものが今のわたし。
私の人生が、ある。
あるものが、ある。
それだけなんだな、と感じています。

かつて「自己選択・自己決定」に突き動かされていたように、また何かに突き動かされるかもしれません。
あるいは、もうそんなエネルギーは湧いてこないかもしれません。

わからないけれど、あるものがある感覚で生きていこうと、今は思っています。

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