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続きは歓声の後で #2 祭りのあと

こちらのお話の続きです


「は〜〜〜めっっっちゃ、よかった…」
「とりあえずお水飲んどきなさい」

何度かのアンコールののち、照明が明るくなった会場で、余韻に浸りながらぼんやりとタオルを握る私に、彼が現実的な声を掛ける。
2時間半のライブ中、ほとんど口をつけなかったペットボトルを開けて飲み干す。

「めっちゃ飲むじゃん」

笑いながら、彼も手持ちのスポーツドリンクを傾ける。上下する喉仏が色っぽくてドキッとした。

5年振りのライブは、バンド側も相当気合が入っていたらしく、演出もさることながら、その選曲が素晴らしかった。
新曲も盛り込みつつ、「え、それやる!?」みたいな、かなり前のコアな曲もやってくれて、イントロが流れる度にいちいち気持ちが昂った。
その都度隣を見ると、彼もまた同じような気持ちでいるようで、お互いに頷き合ったり、噛み締めあったり、そんな風にリアルタイムで共有できる相手がいたことが、よりライブを楽しくさせた。

ひとりでも楽しいけど、誰かと共有できるのはもっと楽しい。それが当たり前になってしまうときっと、ひとりでは物足りなくなるんだろうな。

盛り上がり、涙して、MCでの彼らの思いやファンへの感謝にまた心振るわせ、こうやってどんどん好きになるんだよなあ、とあの頃を思い出した。

ありがとー、や、彼らの名前が遠く飛び交うザワザワした会場に、退場を促すアナウンスが流れていた。私たちのブロックが呼ばれると、周りの動きに合わせて外へと動き始める。
うっすらとスモークで煙る上空、下を向けばテープや紙吹雪が散らばっていて。ふくらはぎが立ちっぱなしでむくんでいる。右腕はもう既に筋肉痛の予感だ。
それでも、やっぱり、来てよかったなあ。

ホクホクしながら外へ出ると、まだ薄らと明るく、まだ日中の暑さを少しはらむ空気に、夏の始まりを感じる。ずっと家と会社の往復で、休みの日だって屋外に出ることは少ない。季節を感じたのが、ずいぶん久しぶりに思えた。

「…いや、めっちゃよかったわ」
「うん、ほんとに…まさかあの曲までやってくれると思わなかった」
「アンコール神だった」
「神様いた」

そんな会話をきっかけに、人の流れに乗ってのろのろと歩きながらあのコラボはエグいわー、とか、あのMCは心鷲掴まれる、とか、会話が尽きなくて、またライブの感動を、興奮を思い出して身体が熱くなる。

「でも、ほんと、今日一緒でよかった〜」

ライブの熱にほださせて、本音がこぼれ落ちる。

「チケット買う時にさ、1枚選んで、仕方ないんだけど、やっぱり誰かと一緒にさ、こうやって感動を共有しながら観れるのって最高だよね」

彼を見ると少し複雑そうな顔をしている。あ、しまった、間違えたか、とも思ったけれど、もう口にしてしまったから最後まで言う。

「だから、声掛けてくれて、ありがとね」

おう、みたいな小さい返事をして彼は困ったように笑った。

「家どこ?駅どっち?」

話題を変えるように彼が言う。

「上野の方に住んでるよ。水道橋から秋葉原乗り換え」
「水道橋かあ…めちゃくちゃ混んでそうだなあ」
「…確かに!」

久しぶりのライブ過ぎて忘れていたけれど、ライブ終わりの駅はめちゃくちゃ混み合う。多分入場制限がかかる程ではないし、電車も頻繁にくるから乗れないことはないのだけれど、この神聖な感動を人混みの密着ですぐに掻き消すのは嫌だなあ、と思った。

「俺も秋葉原方面なんだよね」

スマホをいじりながら彼が続ける。
お、と何か見つけて、こちらに画面を向けた。

「いっそ秋葉原まで歩く?30分くらいで行けるみたいよ」

コンビニで飲み物でも買ってさ、という彼の提案に、いいね!と答える。

「話の続きもしたいしね」

静かな声で彼が言う。
ああ、そうだった。私達はただの友達でもなければ恋人でもなく、ろくに別れ話もせずにすれ違った者同士なのだ。…私の方が一方的に拒絶した形で。

そうだね、と今度は私が複雑な面持ちになる。さっきまでの熱が醒めていくのを感じた。世界から色が薄れていくようだった。

コンビニへ入る彼に続く。
飲み物、買わなきゃ。何がいいかな、真剣な話をするみたいだし、ジュース、だと喉乾くかな。水、お茶…うん、お茶にしよう。そんな事を考えながらレジに向かう。彼はと言えば、ひと足先に会計を済ませ、既に外に向かっていた。
もう、あの頃みたいに一緒に選んだりはできないんだな、と急に寂しく思う自分を、自業自得なんだから、と奮い立たせる。せっかく話ができる機会を得たんだから、凛として、後悔しないように。

「お待たせー」

何でもないみたいに笑顔を作る。おー、と答える彼の手元をふっと見ると、缶ビールが一本。

「え、飲むの?」
「え?飲まないの?」

きょとんとする彼に、自分が変に身構え過ぎていたんだと、急に恥ずかしくなる。

「飲んでいいなら私もお酒にする!」

待ってて、と再びコンビニに戻り、目についた缶チューハイを一本とって店を出る。

「…お待たせっ」

私の一連の行動をぽかんと見ていた彼が、ふっと笑う。

「変なやつ」

心臓が懐かしい音を立てる。
私は、今も昔も、この不意な笑顔に弱いみたいだ。

***

「かんぱーい」

ちいさく音を立てて喉を潤す。
人がまばらな大通りを肩が触れるか触れないかの距離で歩く。それだけで、少し、ドキドキするのは、私だけかな。

「俺も、さ」

彼が口を開く。その口調は思っていたより重々しくなくて、軽やかに風に乗って耳に届いた。

「今更な話、してもいい?」

そうして彼は当時の出来事を淡々と語った。
高校生の頃に、ご両親が離婚して弟さんと一緒に母方についたこと。
お父さんが、養育費として彼と弟さんの学費を全て払ってくれていて、でも、彼が社会人になった年に早期退職対象者になり事実上のリストラ、またお父さん自身も体調を崩し、学費の支払いがなくなったこと。
社会人になりたてだった彼は、お母さんと一緒に遠方に通う弟さんの学費と下宿代を工面することにしたこと。
離婚しているんだから放っておけばいいのに、身寄りのないお父さんを、金銭面でも生活面でもお世話をするお母さんを、近くで見ていて苦しかったこと。そのお父さんが、数年前に亡くなったこと。

もう、過去として消化できるくらいの時が経っているんだろう。事実も、感情も、全てを淡々と、彼は言葉にしていく。それをわたしはただ、うんうんと聞いた。それしかできなかった。

「まあ、ざっとこんな感じかな」
「…そっか」
「重い話で、しかも今更、聞かなくてもいいことなのに、ごめん」
「いやいや!話しにくいこと、話してくれて嬉しい」

でも、その後に続く言葉が見つからない。何か言葉を繋ぎたいのに、何も見つからない。
信号が赤に変わる。私たちはただ、無言で足を止めた。目の前をたくさんの車が走り去る。歩行者信号が私たちを赤く染めていた。

パッと緑に変わって、私たちはまた、歩き出す。

「…高校の時にさ」

横断歩道に足を踏み出しながら、彼が言葉を繋いだ。

「両親が離婚して、結構こたえててさ、当時付き合ってた彼女に、色々聞いてもらってたんだよね」

彼は懐かしそうに語る。私はそこに、勝手に愛おしさの色を見出して、少しだけ嫉妬した。

「聞き上手な子だったからさ、何でもかんでも話しちゃってて、俺はさ、抱えきれないもの吐き出させてもらって、スッキリしてて、ありがとうって思ってたんだけど、ある日、言われたんだ」

横断歩道を渡り終わる。再び大通りを横切るために、私たちはまた信号に足を止める。

「もう話聞くのしんどいから別れたい。あなたが辛い時なのに、支えられなくてごめんねって」

ははっと自嘲気味に笑って、彼はビールをグビリ、と飲んだ。

「それから、自分のこと話すのが、少し、怖くなった」

彼の声が、はじめて震えた。
信号が青に変わった。先に歩き出した彼を慌てて追う。

「ライブが始まる前、謝ってくれたじゃん?でも、俺だって謝らなきゃなんだよ。結局、俺も、こうして誰かに話すことが怖くて、逃げてただけだったから」

本当は聞いてもらいたい癖にさ、嫌われるのが怖かったんだ、そう言って振り返り、笑う。外気は暑いはずなのに、彼はとても寒そうに見えた。思わず手が、彼の背中に伸びる。

パシッ。

反射的に彼が私の手をはらう。
自分の行動にびっくりしたように慌てて彼が言う。

「…ご、ごめん」
「ううん、私こそ、急にごめん」

ヘラっと笑って、私は続ける。

「頑張ったんだね」

その一言に、彼の瞳が、揺れた。
そこから、涙が一粒、こぼれ落ちる。

「…え?」

自分が泣いてることを理解できない、みたいに彼は涙を拭って、でもそれは、彼の意思とは関係なく次から次へとこぼれ落ちていく。

「ご、ごめん、急に、こんな、なんで、俺」

再び、彼の背に手を乗せる。今度は払われることなく、大きな背中に着地する。寒さで震えているように感じた背中は、そっと触れると私よりも寧ろあたたかかったけど、私は自分の体温を彼に乗せた。当時できなかった、疲弊した彼を、あたためるみたいに。

そのまま背中を押して、脇道にあった公園のベンチに座る。触れ合うところは背中と手だけで、しとしとと落ちる彼の涙が止まるまで、ただただ待った。
途中何度かごめん、と言う彼に、大丈夫だよ、と短く応える。声を出すと邪魔しちゃうように思えて、ただそっと、背中をさすっていた。

きっと人前でこんな風に泣いて、恥ずかしさもあるだろう彼には申し訳ないけれど、彼の涙と共に、10年前から私の中にあったしこりみたいなものが溶けていくような感覚があった。不思議なあたたかさだった。

***

「…ほんっとうに申し訳ない!」

一通り泣き終えた彼に、自販機の飲み物を買って持って行くと大袈裟に謝られた。目が少し腫れていて、でもとてもスッキリした顔をしているように感じた。

「え、いや、全然!むしろ私が泣かしたみたいになってごめん」

いや、うん、まあ、そうかも…と口籠る彼に思わず笑ってしまう。

「いや、笑うなよ」
「ごめん、ごめん」

抱えた水の一方を、彼に手渡して隣に腰掛ける。
ひんやりと汗をかくペットボトルを開けて喉を潤すと、冷たい液体が、すうーっと身体に入ってきて気持ちいい。隣を見ると、目にペットボトルをあてる彼。少しジメッと蒸し暑いのに、何だかとても、居心地が良かった。

5年ぶりのライブ、10年ぶりの再会、ずっと話せなかったこと、話したかったこと。お昼までいつものように働いていたのが嘘みたいに、濃厚な数時間だった。

「…いい一日だったなあ」

呟くように言う私に、俺も、と小さく、彼が返してくれた。

「さて、帰りますかね」

そう言って立ち上がる私を、彼が見上げながら言う。

「ねえ、連絡先、聞いてもいい?」

まっすぐな、少年みたいな眼。私は少したじろぐ。

「今日のお詫びしたいから。飯でも奢らせて」

立ち上がり、スマホを片手にこちらに来る彼。連絡先が知れるのは嬉しい、でも…

「…私、連絡先、変わってない、よ?」

そう、随分前に酔っ払って魔が刺した時、うっかり彼に連絡を取ろうとした。そうしたらもう、見慣れたアイコンはどう探しても見つからなくて、現実にガンッと頭を殴られた気持ちになったのだ。

「あー、結構前に携帯変えて、連絡先移行失敗したんだよね」

だから全部消えちゃったんだ、スマホをいじりながらあっけらかんと言う。…あ、なるほど、そうだよね、普通に考えたらそういう可能性もあるよね。全然思い当たらなかった。

「あ、そか、うん、交換しよ」

スマホを取り出し、アプリを立ち上げる。QRコードを出して読み取ってもらって、これ?それそれ、みたいなやり取りをしながら、うっかり言葉が出る。

「…ブロックされたんだと思ってた」

私の連絡先を登録しながら、その呟きに彼が気が付いて、意地悪そうに言う。

「ふーん、じゃあ別れた後に俺に連絡しようとしたことがあるんだね」

ニヤリと笑う顔に、しまった、と思ったけれど、もう遅い。

「あ、うん、まあ、その、ね…」

ポンっとスタンプが飛んでくる。
見慣れたアイコンではないけれど、懐かしい名前がトーク画面に現れる。
ふーん、なんて笑いながら私を見る顔は、昔の面持ちそのままだった。

「じゃあ、駅に向かいますか」
「うん」

そうしてまた、私たちはふたり駅に向かう、さっきよりもずっと軽やかに。
会話を楽しむというよりも、言いたいことを言い合うような、音のやりとりをするような、他愛もない話をただ、楽しく、心地よく、まるで音楽を奏でるみたいに、金曜の夜、雑踏へと紛れていった。

***

改札を抜けて、またね、だったか、じゃあね、だったか、軽い挨拶をして、私たちはそれぞれのホームに向かう。

ホームに上がると丁度電車が来た。
もう、さほど混んでいない電車のドア横に立ってイヤホンを探していると、向かいのホームに彼が現れる。
彼が小さく手を上げる、私も振り返す。思わず緩んだ顔が窓に反射して、くすぐったかった。

電車が動き出す。さっきのライブのセットリストがもう公式からあがっていて、イヤホンを耳に突っ込む。
ポコン、と連絡アプリが音を立てた。さっきまで一緒にいた彼の名前。思わずトーク画面を開く。

『今日はありがとう。
会えて嬉しかった。
また、連絡するね』

短い、そっけない文章に、それでも顔が緩むのがわかる。
心臓がキュッとして、お腹の奥があったかい。
一曲目のイントロを聴きながらトントンと返事を返す。

『こちらこそ、ありがとう。
連絡、待ってるね』

乗り慣れた電車が私を日常へと連れ帰る。
聴き慣れた声と、懐かしくも新しい気持ちを一緒に乗せて。


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