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魔女と宇宙飛行士

変なタイトルをつけてしまいましたが、
実はこれ、子供の頃わたしがなりたかったものなんです、
将来の夢、といいますか。

わたしが小さい頃は、TVで魔女系のアニメとかドラマがたくさんありました。
『魔女っ子メグちゃん』とか『ひみつのアッコちゃん』とか『魔法使いサリー』
あと海外ドラマで『奥様は魔女』っていうのもやってました。
古いですね。みなさんわかりますか?

もう、大好きだったんですよ。
で、子供ながらに思ったんです、
魔女って無敵じゃん!

何か困ったことが起こったら魔法の杖を一振りするだけでサッと解決ですから、こんないいことありません。

でも、将来魔女になるにあたって、わたしの中で二つ問題がありました。
一つは、どうやって魔女になるのかっていうこと、

アニメやドラマの中では主人公の魔女さんは、みんな魔法使いの家に生まれているので、最初から魔女なわけです。じゃあ、素人のわたしはどうやったらなれるのか?
という疑問。

でもまあ、とにかく魔女を見つけて、弟子入りとかして、修行とかすればなれるんじゃないか、って考えてました。
まあ、子供なんで……。


でも小学2年ぐらいの時にふと気づいたんですよ、
魔女は職業じゃない、ってことに、
これが二つ目の問題。

もし魔女になれたとしても、社会的には無職じゃないか、
それはまずいだろう、と思ったわけです。
(子供の頃は今よりもずっとまじめで、というか頭が硬かったので……)

魔女になるのは諦められないので、もう一つなりたい職業を真剣に考えた結果、
宇宙飛行士、になりました。

魔女をやりつつ、副業で宇宙飛行士になろう、
と思っていたわけです。
(何度も言いますが、子供ですから……)

さすがに小学校高学年になると魔女になるのは無理だ、と気づきその後はずっと宇宙飛行士を夢見てきたんですが、
高校3年の時に自分の学力の限界を感じて、すっぱり諦めました。


とまあ、わたしの「将来の夢」はこんな感じだったんですが、
みなさんはどうだったでしょう?

しっかり叶えた、という人もいるでしょうし、
わたしみたいに方向転換した人もいるかもしれません。

今振り返って思うのは、あの頃に見た夢はまさにわたしの本質をついていたんだな、ということ、

昔から不思議なことが大好きで、当時は気づかなかったんですが、不思議な体験も結構してきました。
だから占いにも惹かれたし、スピリチュアルなことにもすごく心惹かれている。

反面、科学にもとても興味がある。
宇宙飛行士になりたいという夢があったので、高校では理系に進みました。
以前、『科学がスピリチュアルに近づいていく確率論』というnoteを書いたんですが、

わたしの中では科学もスピリチュアルも根本的なところでは繋がっているんです。


『科学とオカルト』(池田清彦著、講談社学術文庫)という本の中で、
科学とオカルト、それぞれの定義を言っています、
「科学とは再現可能性があるもの」反対に「オカルトとは信奉」
なのだそう、
ここでいうオカルトとは、科学が発展する以前の時代に信じられていたことやものを指します。
西洋占星術とか錬金術、医療の中での民間療法的なものがそうです。
そう言ったものを理由はわからないながらも、昔は誰もが信じていたわけです。

で科学についてですが、
科学者さんたちは、自分の研究結果を論文にするじゃないですか、
で、それが認められて初めてこの世界の定理、として確立するわけですが、
その根拠というのが、論文の確実性。

その論文を読めば、その通りに再現すれば、そこに記されていることと同じ結果が出る(はず)ということが再現可能性なのだそうです。

つまり、誰もがその結果を体現できるし事実だと納得できる、ということが科学を科学たらしめる一番大事なことなんです。


でも今の時代、科学はすごいスピードで発展していて、高度で細かな専門分野に細分化されています。
だから、論文を読んだところで、それを再現できる人間がどれくらいいるだろう、
下手すれば、それを書いた人やチーム以外誰もできないんじゃないか、ということを言っているのです。

でも私たちは科学は確かなもの、論文は揺るがないものだと思っているわけです。
それを確認する術さえないのに、

つまりそれはもう信奉に近いのではないか……

さっきも言いましたが、
理由はわからないけれど、自分の中で絶対だと信じているもの、それが信奉です。

つまり、今わたしたちが科学を信じている姿勢は、かつてオカルトを信奉していたことと何も変わらないんじゃないか、と言っているんです。


言われてみれば確かにそう。
昔の人たちが、占星術師を信頼していたように、今の私たちは科学者さんを信頼している。

もちろん厳密に言えば違います……
量子力学の発展や発見は、現実に量子コンピューターを作り出したわけだし、
少なくともその論文の原理を理解して、世の中の役に立つものを生み出しているのは事実です。

でも今オカルトと呼ばれているものたちも、以前は科学として扱われていました。
錬金術師たちの実験や功績は今の化学の基礎になっているし、西洋占星術は太陽暦、今の暦をつくりだしました。


占いやスピリチュアルなことを怪しげなこと、それこそオカルトだ、と思っている人ももちろんいると思いますが、
それは現実をどう捉えるかということだと感じます。
科学だけの世界にいるか、
オカルトだけを信奉するのか、
それともその両方を享受するのか、

選ぶのはその人自身だし、どの世界を選んでも間違いじゃない、
その中を行き来する人だっているでしょう。

人は自分が信じるものを選ぶ権利があるし、その世界で生きる自由がある。

ただ思うのは、自分が信じるもの、信じる世界以外は存在しない、ということを誰かに強要しないでほしいな、ということです。

みんな一つの現実の中に生きているようで、本当はそれぞれの世界の中で生きています。
みんなが自分の見る世界、信じる世界の中で生きているのだし、
極端に言えば、誰もその人と同じ世界を見ることはできないんです。

隣に住んでいる人だって、隣の席の人だって、本当は自分とは全く違った世界を見ていて、その中で生きているかもしれません。


また以前書いたnoteの話で恐縮ですが、


この記事の中で、これからはシェアや共有の時代、ということをお話ししたんですが、
物だけじゃなく、それぞれの価値観も認め合い共有し合っていくことができたら、と思うし、そう言ったことが今後200年続く風の時代のテーマなんじゃないか、とも個人的には思っています。


科学とオカルト、
魔女と宇宙飛行士、
その二つはわたしの中で何の矛盾もなく存在していました、
時に偏りながら、時に並行しながら、
でも今日までしっかりと共存してきたんです、多分これからも。

そんな自分を矛盾しているとは思わないし、
何だか最近では、その絶妙なバランスの中にいるのが心地いいな、と感じています。

幼い頃のわたしが、今のわたしの生き方を見たらどう思うでしょう。

宇宙飛行士にはなれなかったけれど、
魔女には近づけたんじゃないかという気がしてます、
なので、そこそこ納得してくれるんじゃないかな、
と、思っているのですが……。


最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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