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2024年6月11日(火)「はっきりと分かるくらいぼーっとした」

朝一クライアントさんとのセッションからスタート。セッション終了後、今後さきちゃんはコーチングを続けるんですか?と聞かれる。最近ぼーっと生きてるからどうするか分かんないなどと答えた。「さきちゃんらしい」と言われる。コーチングのクライアントを募集するモチベーションがあんまりないんだなあ〜と思っているとコーチ仲間から「夫婦でコーチング受けたい人がいるんだけど、誰か紹介してほしい。てかさきちゃんやってるっけ?」と連絡が入った。いいタイミングだな、私、なんか、試されてるっぽいわ。他のコーチを数名紹介した。うん、最近の私は休むことへのモチベーションが一番高いということに気付かされた。また保育園で働きたい気持ちも宙ぶらりん。今すぐにでも保育園で働きたければ、きっと思い立った瞬間から動いてる。動いていない理由がちゃんとあるんだなあ。セッション中に夫は「行ってきま〜す」と言って出社した。

筋トレをした。昨日参加したGagaピープルの余韻で身体がとても軽い。いつもしているヨガや筋トレにGagaピープルで習ったイメージを上乗せするだけで「頑張る」や「しんどい」という感覚がただイメージの中で身体を動かしているという感覚に変化していく。ああ気持ちいい。

今日はいつも利用しているスーパー含めカフェが入っている商業施設全て休館の日なので前日に買っておいた半額の鶏むね肉と野菜で塩麹炒めとスクランブルエッグを作った。これまで毎日スーパーに行っていたのだけれど、2.5日に1回に変えようと夫にLINEを入れた。スーパーに行かないだけで買いすぎを防いで食費を抑えられるような気がする。

矢萩多聞・つた『美しいってなんだろう』、テクタイル『触楽入門』、『えほんzineねっこ vol.3』をリュックに入れる。『水中の哲学者たち』『哲学対話日記』『センスの哲学』は迷ったけど家に置いておくことにした。本を入れたリュックを背負って柏の葉キャンパスに向かう。こちらに引っ越してきて多分1回くらいしか行っていなかったのだけれど、駅を降りた瞬間これまで足を運ばなかったことを後悔した。

緑が多くて、静かで、大きく息が吸える場所だった。平日だからかどこも人が多すぎなくていい。人が少ないというより、多すぎないという表現がぴったりでほどよく人の存在を感じられるし、街やお店に余白がたくさんあるのがいい。柏の葉T-SITEのスタバで読書をした。

妙蓮寺の生活綴方で見つけた『美しいってなんだろう』は装丁に惹かれて購入したのだけれど、読み進めていると自分の美しさの捉え方を木の枝でちょちょちょいっとつつかれるような刺激がある。それは痛かったり、くすぐったかったり、やさしかったり、なんだろう分からないなあって不思議だったりする。矢萩多聞の文章のあとに毎回娘のつたの文章も載っている。矢萩多聞の文章を読んだ感想を含めたつたの思いが綴られた文章を読む度つたが見ている世界が羨ましくなる。つたの見ている世界は矢萩多聞が見た世界も加わっていることがよく分かる。親の価値観が子に影響する様がよく分かる。

もし私が子に影響を与えるならそれはどんなものになるのだろう。子は何を選んで自分のものにし、何を選んで自分にはいらないものにするのだろうか。私は様々な食材を愛することを親から得て、自分のものにした。他にもあるかもしれないけど、まあ、そこはいいや。

テクタイルの『触楽入門』を読んでいると当たり前にある触覚が当たり前じゃなくなり、物や人や自然物へ様々なタッチで触れたくなる。目で見ただけでその物質の質感が分かるのも不思議だと思うし実際に触れた時に想像と違う質感だったら物凄く驚いたりする。

この前「子どもたちの探究をデザインする」というシンポジウムに参加した。アトリエ体験(自然コーナー)の際に様々な種類の葉っぱや貝殻に触れた時、一つ一つ違う質感に驚いたし、こどもの見ている世界が驚きで溢れていることに改めて気付いた。はじめて皮膚に触れるものを不思議がったり、怖がったり、なんだこんなもんかとこれまで体験した感覚と重ねたり、だんだん世界に慣れていったり。大人になっても、こどもの世界であらゆるものを見ることのおもしろさを忘れたくないな。

蔦屋書店を歩きまわっているとphaさんの新刊『パーティーが終わって、中年が始まる』を見つけた。蟹ブックスで買うべきか……迷ったけれど、目の前にあるんだもん。買った。イラストレーター安西水丸さんコーナーに釘付けになり、ポストカードや『安西水丸おもしろ美術1年生』を買った。絵本コーナーを眺めて『あめかな!』の絵がはじけてにじんで綺麗だったので買った。ずーっと探していた白子市名産の白子玉ねぎを見つけたけれど、ネットに大量に入っていたので持って帰れないと思って買わなかった。こういう時に、近所に気軽に会える友達がいたらなあ〜と思う。近所に友達がほしい。

日が暮れる前に帰ってジムに行こうと思い外に出た。吹く風は涼しく日中の暑さを吹き飛ばしてくれた。夕焼けと生き物の声、ムクドリを見るこどもの声、全てが心地よくてそのまま池の前のベンチに腰掛けた。

ぼーっとした。ぼーっとするってこういうことかとはっきり分かるくらいぼーっとした。音を頼りに触覚を想像する遊びをした。『美しいってなんだろう』を開き「石」の章を読んだ。何か一つ石でも探して持って帰ろうかと考えていたら、「あああ!カメだあああ!」という声が聞こえた。お散歩をしている男女の女性の方が駆け寄っていく先を見ると大きめのカメがいた。女性は大はしゃぎでカメと記念撮影をしている。

さっきよりも沈んだ夕焼けや生き物の声の先を眺めていた時はいなかったのに……どこから現れたのか。もしかしたらとっても近くにカメは静かに潜んでいたかもしれないと思うとまだ何か私の周りにいるような気がしてキョロキョロとした。それよりも目の前にカメがいる。ちょうど帰ろうと思っていたという理由を作り、カメを眺めている男女にゆっくり近づいて「……カメですね」と声をかけた。「あはは!カメですね!」「ここでカメはじめて見ました!(来たの2回目)」「5日間カメを見に散歩してたんですよ。やっと見れました!」「そんなに通ってたんですね!」「ゆっくり近づいてきたから飼い主さんかと思いました」「あ……じわじわ近づいてすみません……私も写真撮ってもいいですか」「あ!どうぞどうぞ!」「甲羅に入っちゃいましたね」「人がいるから動かなくなりましたね」「カメ……かわいい。では、失礼しますえへへ」「あ、では……!あはは」

ゆっくりゆっくり歩きながら帰った。池の中であめんぼを見つけた。ゆっくりゆっくりゆっくり帰っていたらお腹が空いていないことに気付いたのでジムに行った。ランニングマシーンが25分間3分おきくらいの感覚で「ベルトの上にユーザーが確認されません」と知らせてくる。3分間おきくらいにOKを押してウォーキングを続けた。最初はしょうがないなあ〜と思っていたけれど、永遠と続くので私死んどるんか?いま死んだことに気づかずランニングマシーンやっとるんか?と不安になった。私生きとるよな?人間と目を合わせ生きてることを確認しながら帰った。

帰って夫にカメがいたことを話したり、蔦屋書店で購入した諸々を紹介して寝た。


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