2022.1.24 見開きの力を。


この前から体調がすぐれず、しかも心の方も不調で思ったようにできなかったり何となく呼吸が浅く思えたり気持ちが沈んだりしていた。きのうは1日会社も休みだったけど、本当にダラダラしてしまって、というかもう何かを頑張るモードになれなくて掃除機をちょっとかけたあとずっと何も考えず布団の上でダラダラ、YouTubeみたり本読んでみたり、でもYouTubeが大半だったかな。

それで自分を回復させたつもりだったんやけど何かずっと泣きたいな~と思ってて、でも全然泣けず。私はいつ泣けるんやろうかとずっと待ってた気がする。そろそろ泣かないと。なんか、そろそろ私一旦限界が近いぞ、と思うのになぜかその限界が訪れないモヤモヤがあった。中途半端に休んでも、中途半端に頑張っても、どっちでも泣けないというか。

でもきのうの夜にやっと、お風呂場でシャワーしてたら頭の中で東京事変の「原罪と福音」がかかってきて、”どうして生きるのか 僕は本当のとこが知りたいし是としたい”って歌詞がぐっときて、お風呂出てから泣いた。あ~やっと泣けた、と思って、同時になんでこんなに苦しいんだろうと思って、あぁでも詩を書かなければ…… と思って書いた。私は私の詩に自信が持てない。それがここんとこのしんどさの要因でもあって、いいものを持ってると信じれば信じるほど、読み返したときのがっかり感というか、こんなもんが私、と思ってしまうことがけっこうつらい。けどあきらめたくなくて。今年の目標:評価を気にせず自分を信じて書く、なんやけどだったら尚更、自分でいいと思えるものを書くというプレッシャー。自信がないというストレスがすごいあるんやなと思った。そんなに思い詰めてもしゃあないのにね。

今朝起きたら、なんかきのうまでは普通に今日も仕事へ行こうと思ってたけど、あぁ全然仕事へ行く気にならん! まったくならん! と思って、それでも振り絞って行くことはできたやろうけど何となくもういいかなと思った。今日は仕事休んだ。どうせ今暇やし有給も使わなきゃやし、明日からは忙しいってのがあるから明日は行こうと思えるやろうし、なんか、こんなことするのは道徳的にダメなのかもしれんけど、そもそもが不登校だった私にとって毎日仕事へ行ってることがイレギュラーなんよな。うんなんかこの言葉、しっくりくる。私の性格において、毎日学校なり会社なりへ行くことはずっとイレギュラーだったんやから、たまにレギュラーなことしてもいいやんって。ずっと私のレギュラーでいくことが、世間にとってはイレギュラーだったから、私はそれに対応した(やっとできるようになった)けど、私の世界はずっと変わってないよ。

今は会社を休んですごく清々しい気分になっている。どうやって過ごそうかを考えてて、でも私の心が明日からのイレギュラーな日々にも対応できるようにちゃんと整えてあげなきゃいけないなと思って、呼吸を落ち着けるためにラベンダーのアロマオイル垂らして一回寝た。そして起きて、本棚の本から適当にふせん紙を貼っているページ開いて読んだりして、そしたらハッとするような言葉とか、新鮮さがそこにあって、気持ちが切り替わったのを感じた。そっか私頑張らなきゃな。私の「頑張らなきゃ」は義務でも責任でもなくて希望だっていうこと。私にとっての頑張らなきゃは今詩のことで、それは押しつけられたもんじゃなくて私の希望だってずっと思える私でいたい。

心に残ってる言葉があって、ちゃんとは覚えてないけど、「詩はすぐに読める」っていうの。映画は2時間ぐらいかかるし、音楽だって時間はかかる。ドラマとか劇もそう。伝わるものはすごいけど時間がかかる。でも詩はすぐ読めて、だからページを開いたら、その見開きにのってる一つの詩が、誰かの救いになるのかもしれないと思う。私はそれが書きたいんよ。でも監督や俳優さんが何十時間もかけて撮影しているものや、メロディーとかリズムっていうパッションがある音楽と、同じように短い言葉のつらなりだけで人を救ったり支えたりするのは、当たり前に大変なことだ。自分が大変なことやってるって自覚、今までなかったかもな。でもそれでもやりたいという気持ちがあるんだったら、頑張れ私。

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