詩「The Song Was Sung」


2015年のライブ映像を観ていた。その当時わたしは何をしていたのだろう。
空洞が鳴り響く。地面などないのに地響きがする。
わたしには一人の体しかなくて、だからほんとうは一秒先のわたしは消えていなければならないし、もしも2015年にわたしが生きていたのなら、今ここにいるわたしは消えていなければならない気がする。なのにわたしはここで息をのんだまま、声が発される一秒先を待っている。黒い画面の奥へと吸い込まれる瞬間、トンネルの入り口のように、世界が一瞬終わる。

その当時わたしはまだ中学生だった。音楽が好きで、少しピアノができるくらいの、普通の女の子だった。そのアーティストのことなど何も知らなかった。ただ、その夜、歌は歌われた。人は救われて、わたしに出会うだろうか。その人はわたしに出会ってくれるだろうか。わたしは幾度となく割れ、幾度となく捨てる。捨てられた破片が閉ざされた扉の向こうで震えている。今、震えはいっそう強くなる。耳の後ろでピアノが跳ね、血流を搔き分けてドラムは進み、ギターが喉骨を震わせて、ベースの余韻がわたしを抱く。ふと気が付くと泣いていた。ここはいずれここではなくなるし、わたしはいずれわたしではなくなる。もうここには来られないわたしと、今ここに降りて来たわたしが、一緒に生きていくことなどできない。それでもときおり振動は、その波形は、共鳴し合いながら次第にぴったりと重なり、すべてがどこかへ集約されていくような感覚に鳥肌が立った。涙を流すとき、時空は歪んでた。あなたはわたしじゃないはずだ。でも、わたしはあなたにもなれるはずだ。2022年4月9日23時53分。ここがどこへ繋がるかまだわからない。トンネルの出口のように、世界が一瞬終わる。




※青土社ユリイカ7月号で佳作に採っていただきました。

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