2021.9.14 目が見たい。


最近知ったネット活動者のゆきむら。さんについて書いた日記。賛否両論ある方だけど私は好きです。


なんというか別になんともない1日だったけど全然なんともなくない1日だったなと思う。考えがまとまったわけでも感情が定まったわけでもなくて、でも心がすごく動いてる感じ。

この動いてる感じが確かにしんどさでもあって、けどこれが私だよなーって思う。

私をつなぎ止めたくて文章にして残そうと思ったんだけど、思ったことってさ、実際は思ったその瞬間に残せることなんて少ないんよね。

詩に活かしたいと思って思いつきをメモすることはあるけど、それも時間がないとできんし、言葉が浮かんでも次の思いを言葉にするころには前の言葉は消えてたりとか、そんなことばっかり。

大体日記をつけるのも夜で、事実は書けるけど感情はもう夜の感情になってしまってるし、それでも、まあその夜の感情を書いていこうかなという、そんな感じ。


きのうの夜は、ゆきむら。さんの配信を聞いた。きのうの夜というか今日の0時?も入ってる。とにかく、ハマってしまったのはつい最近ではあるんやけど、この人はどうしてこんなに人を惹きつけるんだろうと思った。

私なんかゆきむら。さんのしゃべりを初めて聞いたとき、頭の中ぐるぐるして1日中どっかにゆきむら。さんの存在があった。そういうときは大体想像の中の人という感じ。私が勝手に幻想して膨らませた、想像の中の人。でも声を聞いたり、それこそきのうのカメラ配信なんかのときは、あ、なんかこういう人が本当に、生きているんだ。と。そのことだけで泣きそうになった。

っていうか9月14日、ゆきむら。さんのお誕生日で私が聞いたのはそのカウントダウン配信なんだけど、リアルタイムでちゃんと配信聞くのほとんど初めてで、思ったのは、きっと私とは全然違う世界に生きてきた人なんだろうなというのがあって、でもそういう人が、やっぱ生きているんだなということ。それがすさまじく私には衝撃というか。すごく私はゆきむら。さんを見たいと思った。泣きそうになりながら、でも、お誕生日おめでとうと微笑ましい気持ちになりながら、この人の目が見たいなと思った。

それはYouTubeとかでゆきむら。さんの動画を観てたときもそうなんだけど、私この人を見たい、とめちゃめちゃ思う。

何で見たいんだろうな。説明はつかないけど、生きてるんだって確認したいのかもしれないと思う。だから私がゆきむら。さんに抱く感情は、思想や生い立ちの暗い部分が、もしかしたらここまで私を惹きつける要因なのかもしれないけど、最終的にはそれもひっくるめて、あなたをこの目で見たいのだという、そんな気持ちに私がなるっていう、その不思議さ、そして生身の体験として記憶に残したいと願う気持ち、そんな気持ちにさせる人であるということに、すべて還っていくかもしれない。


いつかライブ行きたいな。

そんな界隈全然詳しくないんやけど。そういえば界隈という言葉も最近気になった言葉です。いろんな精神状態、環境があって、自分が落ち着く場所を求めて、そこに落ち着いて。同じような場所に落ち着いた、そんな人たちで形成されている界隈ってすごく愛おしいのではと思う。


私この先、どんなふうに誰かと関わっていくんだろうと思う、どんなふうに自分を落ち着けていくんだろうと思う、自分を落ち着けない生き方って、私はすごくしんどいと思っていて、でもゆきむら。さんはそういう人なのかもしれない。私もそうでありたい、とかあんまり思えないけれど、でも、私にもしんどさがあって、そのしんどさをちゃんと、味わっていきたいと思います。

人はみんな自分のしんどさを抱えてて、それがいつか、人の目を見たい、につながっていくから。

ちゃんと立ってたいと思う。しんどさに崩れずに、まっすぐ、誰かの目を見れる私でありたいと思う。

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