健康であるために生きているわけじゃない

「健康」とは何か、時々考えるようになった。
小さいころは当たり前に、まず、病気をしていないこと、そしてちゃんと眠ること、体を動かすこと、1日3食ご飯を食べることだと思っていた。それから活気があって、楽しいことがある日々を送ること。

「健康」を辞書で調べてみると、心身の状態に悪いところがなく、正常で元気なこと、とある。

でも、生きていると、健康であることのほうが少ないと思えてくる。そして健康であることが、そんなに特別に大切なことなのか? 正しいことなのか? 健康でないことが、そんなに不健康なのか? と私は思う。特に大人になって強く強く思う。

私は長い間21時に寝て、6時に起きて、そのサイクルを自分でちゃんと守っているような子供だったし、ご飯は必ず3食食べたし、おやつは15時とだいたい決まっていた。インスタント食品やファストフードは体に悪いから頻繁に食べるものではないし、ゲームをするのも体に悪、脳に害。なんとなくそういった価値観。

私は自分を健康な子供だと思っていて、自分のそういったところがひそかに好きだったように思う。

就職してからの日々も、初めは次の日の仕事に備えて22時までに必ず寝なきゃと思っていて、不安で眠れないと焦った。どうしようこのまま少ない睡眠時間で仕事になんか行けない。そんなことをかなり真剣に思っていた。

私は真面目で、正しいことが正しいと思っていて、健康でいることが自分にいいと思っていた。もちろんそれはやさしくて、健全な生活。でもそれだけを、一生懸命にそれだけを突き詰めたところで、私に残るものっていったい何だろう、と最近思うのだ。
だって、どれだけ健康でいても最後は必ず死ぬ。
だとしたら私の健康に、私だけじゃなく大切な誰かの健康に、いったいどれだけの意味があるのだろう。

健康でいることは義務ではないと思う。
そして人には健康でなくとも、幸せに生きて死ぬ権利がある。

そう思ったのは私が、割と睡眠時間なんか気にせずに自由に読書したり、You Tube観たり、スマホをイジったり、音楽を聴いたりするようになってからのことで。それって私が思っていた以上に楽しくて、充実した時間だった。もちろん次の日の仕事が若干ダルいとかはあるけれど。
でも最近では仕事があっても25時ぐらいまで起きていたりもするし、眠たければ寝て、体を労りたいと思ったらヨガをしたり、マッサージをしたり、リラックスして寝る。
けれどもそれは健康であるためというより、そうしたいから、という理由でいいと思うのだ。

きのうの夜は頭が痛くて、22時には寝て、4時ごろ目が覚めて、そこからずっと好きな配信者さんのツイキャス観ていた。頭はなんかぼ~っとしていて、でも配信は楽しくて、そしてうつらうつら寝たりして。
それから8時に起きてきのう作ったタルトタタンを食べた。紅茶も飲んだ。

こんな健康と不健康が入り混じったような毎日に、私たちの体と心に、他の誰かが決めつけた健康とか健全の価値観なんてどうでもいいことだ。
健康であることは素敵なことだと思うけど。
でもそこに縛られて、何かを否定したくないと思った。

だからあなたが健康でなくても全然いい。
自分のやりたいようにやって、今ある心と体で好きなように生きて、それが不健康と呼ばれるならそれでいいと思う。
私たちは別に健康であるために生きているわけじゃない。

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