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孤独フェチ

苦しい。でも、それが少しだけ嬉しい。
その感情は好きなアーティストの新譜がすごくよかったときにも起こるし、美容院で髪を丁寧に扱ってもらったあとにも起こる。ふと見上げた空がきれいだったときにも。

それらの共通点は何なのだろうと考えると、それはきっと普段よりもわたしの輪郭が鮮明になる瞬間なのではないかと思う。
生きていることは世界とつながっていることで、世界とつながっていることはときにわたしがわたしであることをわからなくさせる。
わたしなんて、わたしなんか。そんなふうに思うし、本当は孤独なのに、うまく孤独にもなれなくて、自分が中途半端に何かに縛られている感覚だけを感じてしまう。
好きなアーティストの新譜も、美容院で髪を整えてもらったあとも、空がきれいだと感じる瞬間も、そんな感覚からわたしを少しだけ解き放ってくれる。うまく孤独になれる。わたしは本当は孤独になりたい、美しく孤独な人となって生きていきたい、それを叶えてくれる瞬間に、わたしは生きていく希望を見出せる。

実は今日、生まれて初めて髪を染めた。
それも初めて行った美容室だったので、とても緊張した。
お店には男の人が一人だけいて、簡単な問診のあと髪を染めていく。
わたしは自分がどぎまぎしているのを悟られるのも恥ずかしいので、なるべく澄ました顔で座っていたのだけれど、薬剤を塗ってしばらく置いている間に問診を読み込んだらしい美容師さんから、「佐藤さんて、めっちゃ若いねんな」と言われて驚いた。曰く落ち着いているとのこと。もっと年上に思われていたらしい。(実年齢は22歳だけれど。)
童顔で背も低くて声の高いわたしが、そんなふうに思われるなんて意外や意外だったけれど、少し嬉しくもあって、少しわかる気もした。自分で言うのもなんだけど、きっとわたしは一般的な22歳よりは、中身が大人びている気がしている。
大人びていると言うと聞こえはいいけれど、実際はあきらめているに近いかもしれない。誰ともわかり合えないとあきらめている。そういうところがわたしにはあって、先にも書いたようにわたしは孤独で、孤独でいたくて、その苦しさに救われてしまう。

美容師さんに髪を触られているとき、頭を洗ってくれているとき、ふと不安になった。わたしが今こうやって考えていることって、もしかしたらその指先から、彼に伝わってしまうのではあるまいか。わたしの風貌ではなく纏う雰囲気のようなもので、彼はわたしの年齢を上に見たのだから、それはつまりわたしの中身を感じたということなのだから、わたしの考えていることさえも彼に見通されてしまうのではあるまいか。

世の中にはそんな能力を持つ人も存在するかもしれない。
でも可能性としては、彼がわたしに触れたところで、わたしの考えていることなど読み取れない可能性のほうが十分に高い。
そう思った瞬間、ほっとすると同時に、人間ってやっぱり孤独なのだと思った。

なぜだろうと思う。なぜ、触れていても、人は人の考えていることさえわからないのだろう。わたしにはそのわからなさが、孤独さが、昔からたまらなく特別で、怖くて、不思議で、いとおしかった。
世の中には人間がいっぱいいる。わたしはそのすべての人間を、とてもではないが好きにはなれない。
でも、一人一人の個性はさておき、その一人一人が持つ孤独のことを考えるとき、わたしはその孤独をとても、好ましく感じます。人には気持ち悪がられるかもしれないけれど。
だからわたしは孤独フェチなのかもしれない、などと、茶化して思う。


孤独はあらゆる意味で切実だ。孤独でない人などいない。でも、うまく孤独になれる人もまた、少ないのかもしれない。
わたしはうまく孤独になりたい。孤独な人でありたい。
それは特別になりたい、特別な人でありたいと思うことと、同じようなことかもしれないと薄っすら気づいている。

でも22歳のわたしはまだ、うまく孤独であることを、あきらめきれないでいる。


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