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母になり、わたしになる。

昨年10月の「結婚の日」から、あっという間に月日は流れ、念願の子どもを授かり臨月を迎えています。

我が子が生まれたらきっと忘れてしまうであろう、
今だけの小さな幸せと葛藤をそっと書き残したいと思います。

ある、妊活のはなし。

「妊娠しました!」または「子どもが産まれました!」と、世界一幸せそうな笑顔で、SNSに流れてくる投稿を何度見たか分からない。
いいね、を押しつつ、特に気に留めるわけでなく次の投稿へと移る。
だって今日まで、そこに至るまでの奇跡を、なにひとつ知らなかったから。

妊娠って奇跡だ。大袈裟ではなく今はそう思う。
自分とパートナーが同じくらいの熱量で、同じくらいのタイミングで、それを希望する。そして身体的、経済的、社会的、いろんなハードルを乗り越えて、「望もうとする」ことが許される。
そこでやっと、できるか、できないか、というフェーズに移る。

私の話はその一例でしかないけど、みんな一例でしかないのかもしれない。

わたしたち夫婦は、結婚してすぐ子どもを授かることを望んでいた。
結婚当時、私は31歳、夫は33歳を迎えたばかりで、「授かりものだから難しいかもしれないね」と口では言いつつ、まぁ3ヶ月もすれば出来るでしょうとたかを括っていたのが正直なところだ。

妊活をはじめたきっかけは、そんな余裕も消えかけ、「あれ?もしかして私の身体って子どもできないのかも?」と不安が募り始めた頃。意外に合理的なわたしは、とにもかくにも検査して現状把握が大事だ!ということで、夫にクリニックで検査を受けたいと相談してみた。
「さきちゃん、調べてくれてありがとう。次の週末にでも予約して行ってみようか。」と夫。
当時、出張や深夜までの業務も重なる中でも、さらりとこんな一言が言えるのだから、我が夫ながら関心してしまう。

ということで、クリニックで検査を受けるところから私たちの妊活、もとい、「不妊治療」が始まる。

健康優良児で育った私は、スポーツの怪我と中2でかかったインフルエンザ以外、ほとんど病院にかかることもなく、今だに病院と聞くだけで少し身構えてしまう。

さて、結論はというと、検査の結果、私も、夫も何ひとつの異常もみられなかった。むしろ私の卵子の数は、年齢平均よりも多く、夫の精子の数、運動量ともに好成績。要するにふたりとも子供ができやすい体質のはずなのだ。
でも、できなかった。


「妊活」や「不妊治療」で調べてみると、壮絶な体験談がわんさか出てくる。
・子宮に病気が見つかりました。
・夫に言えず、一人で妊活を頑張っています。
・7年間トライして心も身体も限界なので諦めました。

スマホの画面に並ぶ体験談を前に、
「私、こんなんで、不妊って言っていいのかな?」
「何年もできてない人がいるのに、こんなに早々に治療するなんて失礼じゃないかな?」
「自然妊娠の方がいい子が生まれるんじゃないかな?」
そんな論理も理性もどっかに吹っ飛んでいったような悩みが脳内で何日もぷかぷかと浮かぶ日々。

でも、”自然”妊娠はできなかった。
だから、私は不妊治療を許されていいのだ。
誰に許しを乞うているのか分からないけど、きっと自分自身なんだろう。

こうして振り返れば、当たり前のことだけど、この妊活という領域においては、自分と誰かを、どこかの家族のストーリーを、勝手に比べてはいけないのだ。比べたって、きっと、”本当のこと”なんて、どこにも書いてはいないのだから。

薄暗いトイレでお腹に針を刺す

そんなこんなで、本格的に不妊治療が始まっていくのだが、
普段はあんまり辛いとか苦しいって感じないタイプの人間だけれども、不妊治療は明確に辛い体験の1つだったと思う。

具体的に何するの?というのは、その人や治療方針によっても異なるのだが、たとえばこんな感じ。
・毎日同じ時間に薬を飲み続けること
・自己注射(自分のお腹に自分で注射を刺す)すること
・シールタイプの薬を2日に1度張り替えること
「決まったことを抜け漏れなく実行する」が、とてつもなく苦手な私にはまぁまぁハードだった。
スマホのアラームで「ジュリナ」とか「エストラーナ」とか薬の名前をつけて、飲み忘れを防ぐ。それでも忘れるから夫からもリマインドしてもらって、なんとか乗り越えた。(何度も飲み忘れて先生に叱られているのはここだけのはなし。)

注射っぽい注射たち。時間も決まっている。


中でも一番堪えたのは、自己注射。
自分で刺す場合は、腹部にプスっと刺すのだが、痛みというより、刺す前のなんとも言えない緊張感がある。ボールペンみたいにノック式の注射と、もう少し注射っぽい注射がある。
注射っぽい注射は、小さなガラス瓶に入った薬剤を調合して、注射器に入れて、自己注射する。

規定の時間に注射を打つとなると、当然、自宅以外でそれを行うことも出てくる。
ある時は、会食の合間に、そっとお手洗いに立ち、お店のトイレで自分のお腹に注射を刺した。
薄暗い照明でよく見えない中、薬剤が入った小瓶を2つ、膝の上に並べて、調合して、注射を打つ。
打てない。
ふぅーと息を吐いて、
今度こそ、と思って親指に力を込める。

同時に、苛立った様子でドアノックが3回鳴る。
少しの申し訳なさと、痛みと、虚しさで、右手に注射器を持ったまま、左手でそっとノックを返した。

「明後日、東京に来てください」の壁

そうやってなんとか決め事を守っていきながら過ぎていく日々。
妊活における1つのハードルは、間違いなく、スケジュール調整だと思う。
不妊治療においては、診察を踏まえて「明後日、また来てください」「検査の結果次第では、そのまた翌日に」みたいなことが日常茶飯事。

特に私は、徳島に居住しながら、東京のクリニックに通っていたので、尚のことハードルが高かった。
オンライン診療を通して、「2日後に東京に来れますか?」と言われる。仕事のカレンダーとフライトの空き状況をすぐに調べて、その場でなんとか調整するしかない。
だって、それを逃したらまた数ヶ月単位で遅れることになるから。

コロナの規制が解けて、東京のホテルは驚くほど値上がりしていた。
月に何度も徳島-東京を行き来するのは金銭的にもキツイ。仕事だって、そう何日も休めない。だから、日帰りで徳島-東京間を何度も往復した。

日帰りで飛行機に乗るためには、基本、全身麻酔を打てないことが多いので、部分麻酔で採卵手術の痛みに耐えた。
チクリとした針を刺す痛みは、注射のそれとは違う、嫌な痛みだった。
手術の直後は1時間ほど病院のベッドで安静にしなければいけないのだが、横になりながら朝から溜まりに溜まってたSlackを潰していく。
それは、半分虚しくて、半分ありがたかった。
仕事をしてないと、あれこれと考えてしまうから。

私は、職場のメンバーにはほとんど誰にも伝えずに妊活をしていた。
みんなのことを信頼はしていたけど、変に気を遣われてしまいそうな気がして嫌だったのと、やっぱり、仕事を減らしたくなかったから。
妊活休暇のような制度はあってほしいけど、制度じゃないもっとウェットな悩みがそこにはあると思う。
自由で寛容な、私の職場でさえも難しさがあるのだから、職種や業種によっては、それを理由に仕事か妊活のいずれかを諦めざるを得ないのも納得がいく。

2本の線と、2度の涙

「今回はうまくいくといいな」そんな願いも虚しく、残念な結果になったことも多々あった。
卵がうまく取れない、授精しない、卵がうまく育たない、子宮に戻した卵がうまく育たない・・・”失敗”のケースはいろいろとある。

「一喜一憂せず気長に待とうね」という夫の声かけに、明るく答えながらも、やっぱり一喜一憂せずにはいられない。
こんな言い方をしたら批判を受けそうだけど、気軽にはじめてしまったからこそ、やっぱりタイミング法に戻そうかな、なんて思いがよぎることも多々あった。
それでも、何度目かのチャレンジで、無事に着床し、ついに「妊娠」したのだ。


そわそわして巷でいうフライング検査、つまり検査すべき日よりも何日も前から市販の検査薬で検査をしてしまう。
細いスティック状の検査薬にすぅーっと細い線が2本入る。
喜びなのか、安堵なのか、感謝なのか、そのいずれもなのかわからないけど、とにかくわたしは11月1日の朝、自宅のトイレで静かに泣いていた。

その日、仕事から帰ると、夫が大きな花束とケーキを抱えて迎えてくれた。
今度は、愛情と感謝にまた、涙が溢れてくる。
新しい命を、自分と同じだけ祝福してくれる人がいる幸せを噛み締める。

私がわたしではなくなる感覚

職場や友人に妊娠を報告をしたのは、つわりも落ち着いた6ヶ月ごろ。
安定期に入り、よっしゃもう一段ギア上げて仕事するぞ!という頃だった。
だけど、「つわり大丈夫?」「安静にしてね」「この仕事はこっちでやるよ」そんな声かけが止まない。
あれ、おかしいな。私、全然元気だよ?もうつわりの時期終わってるし。
職場の仲間も、久しぶりに会う友人も、はじめましての人も、みんなが「妊婦であるわたし」と話している。
それはきっと、私だけが感じているだけで、事実とは違うところもある。

心や身体を気遣ってもらえることは、とても嬉しい。素直にありがたい。
だけど、どこか居心地悪く感じてしまう。

今、この瞬間に考えていること、感じていることを話したい。
初期の村上春樹をじっくり読み直したことや、新しい企画のアイディアが浮かんだことや、昨日あったおかしなことについて話したい。
みんなの恋の近況や、世界の痛ましい事件や、それぞれの新しいチャレンジについて、話が聞きたい。
私は元気だし、妊婦だけど、妊婦である前に、わたしなんだけどな。
そんな思いが、湿った雪みたいに心の中に重たく積もっていく。

「贅沢だ。」
そんなことを言われそうな悩み。
悪気なく、いやむしろ優しさと気遣いゆえのコミュニケーションを、そんなふうに捉えるなんてと怒られそうだ。確かにその通り。私もそう思う。
でも、違和感は違和感なのだ。

だからと言って、妊婦として扱わないで欲しいかと言ったらそれも違う。
気遣ってもらえて助かることも多い。厄介な悩み。

でもこれって、妊婦以外にも当てはまる気がする。
私の経験で言えば、小さい頃感じていた「”片親の子”らしく振る舞わなきゃいけない感」が、それだ。
妊婦らしさってなんだろう。

わたし、第二章のはじまり。

そんな私だって、だんだんと、”母らしく”なっていくのだろう
ゆっくり、母親らしくなっていけばいいや、
そう思っていたが、臨月を迎える今、やっぱり、そうは思えない。

お腹も破裂しそうなくらい大きくなって、ちょっと歩くだけで息切れして、日中もずっと眠い。身体はどんどん妊婦らしくなっていく。
インスタの検索結果は赤ちゃんグッズばかり。夫と胎動を聞いて喜ぶ日々。

間違いなく、私は母になってきている。

だけど、それだけじゃない。
これまでも、これからも一人の人間として、
丸山咲という人格として生きていきたい気持ちが、ここに強くある。

あれだけ辛かった妊活を経て、待ち望んだ子を授かり、幸せの絶頂とも言える日々の中で、最大の関心は、母であるということと同時に、個としてどう生きるのか、ということにある。

妻として、母として、だけでなく一人の人間として、いつでも最高に面白い人でありたい。

きっと出産を経て、我が子の顔を見たら
「あぁ、そんなこと考えてた日もあったんだ」くらいに思うのかも知れない。
この気持ちも、葛藤も全てが取るに足らない些細なことになっていくんだろう。
そうして、だんだんと母になっていくんだろう。
でも、だからこそ大切にしたい違和感なの。

お米の粒より小さかった存在が、もうすぐスイカくらい。
10ヶ月で、そんなに変化するなら、成長するなら、
わたしの気持ちも、少しくらい変化したっていいかも知れないよね。
そうやって自分を少々甘やかしながら、
だんだんと、わたしのペースで。
わたしたちのペースで。
そんなことを考えています。

写真(一部除く):澤 圭太  






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