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大切にしている教え


#大切にしている教え

 子ども部屋の壁、電気スイッチの横に、縦長の短冊が貼ってあった。TVアニメの一休さんに似た、子どもサイズのお坊さんが描いてあって、小さな手で合掌している。そして、「今日も生かされている 感謝しよう」と書いてあった。何かの絵本か新聞広告にでも挟まっていたものだろう。
 幼い私はあるとき、生かされているってどういう意味? と周りの大人に質問した。電気のスイッチを押すたび、その短冊を見るうちに、「生きている」と「生かされている」の違いはなんだろうと疑問に思ったからだ。
 その大人は逆に私に尋ねた。自分で、えいやっと力を込めて心臓を止められるか? 私はちょっと考えて「止められへん」と答えた。止められるんじゃないかと、少し頑張って、力を入れてみたように思う。(えっ、止められるの?)と思いながら。
 「自分では、止められへんやろ?」その大人は、笑いながら言った。「それが生かされてるいうことちゃうか。誰かがアンタを生かしてくれてるんやろ」
 その後の人生を過ごす中で、友人関係や受験勉強、仕事、恋愛、病気、入院……、折に触れうまくいかずに、思い悩むことが出てきた。何もかもうまくなんて行かない。でも人前では毅然といたい、頑張りたい。笑顔を見せたい。そう思いながらも、ストレスにさいなまれ、現実逃避したい、何もかもどうでもいいという荒んだ気持ちに押しつぶされる。
 「つらい、もう死にたい」とたやすく、馬鹿らしくも頭の中で思ってしまうこともあった。そのたびに私は、あの短冊を思い出して生きてきた。あんなちっぽけな紙切れに、今まで救われてきた。
 えいやっと、自分で心臓は止められない。生かされているから。(そうか)と納得する少しの時間で、私は自分を取り戻してきた。宗教は正直言ってよく分からないけれど、「そうなのか」という気付きを得ることで、人は救われるのかもしれない。
 人生ってそのぐらい、弱ってしまう一瞬がある。でも、まだ生きている。生かされている。大丈夫。

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