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インドネシアで見えてきた女性が暮らしにくい日本

インドネシア滞在中に私は「女性に対する男性のふるまい」について文化の違いを感じていた。

ある時、村の男の子が私に「こんなこと聞いて悪いんだけど…」と謝った後に「さきは何歳?」と聞いてきて拍子抜けしてしまったことがあった。

彼はどこかで日本では女性に年齢を聞くのは失礼だという情報を聞いたことがあるそうだ。それでも、彼の家族や友だちが私の年齢を知りたがっているから、勇気を振り絞って聞いたのだという。

その時、彼に「日本ではなぜ女性の年齢を聞くのは失礼なの?」と純粋な質問を投げかけられ、私は少し考え込んでしまった。

老いることは人間として当たり前のことなのに、なぜ女性は老いることをネガティブに考え、若く見せようと努力するのか。
歳を重ねることは、経験と知恵に裏付けされる美しさを得ることであるとどうして考えられないものか…

もうひとつ、印象的な出来事があった。

バリ人(ヒンドゥー教徒)の男の子と一緒にバリのお寺に行ったとき、彼は突然私に「さきは生理中か?」と聞いてきた。男の子に生理について聞かれることに慣れない私は混乱しながらも「違うけど」と答えると、彼は「ならお寺に入れるね」とあっさり話題を終わらせた。

別の日にムスリムの村で若者たちと夕飯の準備をしていた。みんながお祈りに行ったとき、一人だけ女の子が残っていたから私は不思議に思って「なんでお祈りしないの?」と聞いたら「生理中だからお祈りできないの」と言われた。

なるほど。宗教的に生理中の女性は様々な制約があるらしい。生理中の女性は不浄なものだとする考え方に対しては様々な意見があるのだと思う。

でも、私は単純に、女の子たちが自分たちが生理中かそうでないかを日常生活の中で自然に周りに知らせることができることがすごく魅力的に思えた。

日本では、生理について話すことは憚れる。
生理痛で学校や職場を休まなくちゃいけない時に男性からの理解が得られなかったり、半年も生理がきていないことを誰にも言えずに一人で悩んでいる女性が日
本にはたくさんいる。

私は自分が中学生の時に、修学旅行前に女の子だけが体育館に集められて生理についての話を先生がしていたことを覚えている。その時に女性の先生でさえ「生理」という言葉を使うことを恥ずかしがって「女の子のあれの話をします」とごまかしていたことを忘れない。

なぜ男の子には生理のことを教えないのか。
学校という場が男の子たちから女の子の体のことを学ぶ機会を奪っているのだ。学校が生理のことを隠すかのように扱うから、これは触れてはいけない話題なのだという暗黙の了解を産み出してしまう。

私の驚きと気付きを仲良くなったインドネシアの友だちに伝えると、「インドネシアでも生理についての話題は積極的にすることはない。でも宗教的に誰が生理中なのかは自然にわかる」と答えていた。

一人の男の子は「女性のからだのことについて知ることは男として必要なことだと思う。ムスリムの男の子たちは学ぶ機会があるんだ。代わってあげることはできないけど、理解はしようとするよ。だって生理って人間として自然なことでしょ?」と話していた。

人間として老いることも生理があることもごく自然なこと。それを自然なこととして語れる日が日本に訪れることを私は日本に暮らす女性として願いたい。

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