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文通ラジオ第1回目【あづ妙】

こんばんは。文通ラジオ第1回目、今日はあづ妙がお届けします。

第1回目の投稿ですね。大切な第1回目のタイトルにしては、少し重たいような気もしますが、今の自分が書きたいことなので、「これはこれで良いかな」と言い聞かせました。

このnoteを立ち上げたときに、なんとなくですが、第1回目の投稿では、さきさんと出会った日のことを思い出したり、金沢に住んでいた当時のことを振り返ったりしたいなと思っていました。でも、今、どうしても書きたいことがあって、私はパソコンの前に座っています。

ふとしたときに、思うことがあるんです。「私の選択は全部、間違えてるんじゃないかな」と…。後悔とは少し違う、でも、自分を責めてしまうような感覚を抱くことがあります。

私は10代のころから、「自分の人生は自分で選択する」ということを大事にしてきました。とくに「やりたいことはする」「やりたくないことはしない」「好きなものはとことん大切に想う」という3つの軸を大切に生きてきたつもりで、27歳になった今でも変わらずに大事にできている自覚があります。

ただ、この軸を大事にできている自覚があることの裏を返せば、人の意見を聞かず、自分の意志だけで選択をして突き進んだ経験に繋がり、ときには自分の極端な選択で周囲の人に迷惑をかけてしまったこともありました。

この年齢になって、過去の自分の行動を振り返ってみると、ネガティブな感情を抱えたときほど、衝動的に手放したことが多く、その制御は大人になってからも「難しい」と感じることがあります。

そういった過去の行動をすべて後悔してるわけではありませんし、自分が何かを選択するときは「これまでの自分に失礼のない選択をする」ということを大事にしながら、ちゃんと選び抜いてきたつもりでした。

でも、ふとしたときに、「全部、間違えてたんじゃないか」と不安になってしまうことがあります。

「過去は変えられないから、当時の選択は未来の自分が正解にすればいい」という考え方があることも頭では理解していて、心でもちゃんと受け入れてるつもりですが、どうしてだか、「全て間違いだ」と思ってしまうことがあるんです。

自分のなかで「間違えているかもしれない」という気持ちが芽生えているのに、「後悔していない」とは思えている。この矛盾が、永遠のモヤモヤを生み出しているような気もします。

さきさんは自分がこれまでにしてきた選択に不安を感じたことはありますか?その気持ちとどうやって向き合いましたか?

そしてこの記事を読んでくださった方のなかに、同じモヤモヤを抱えた経験がある方がいれば、ぜひコメントなどで教えてほしいです。

▶次回投稿予定_9月下旬ごろの予定(担当_さき)


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