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Six Woods・・・①オーナーの動揺

午後10時過ぎ営業時間終了後、仁実(ひとみ)は取引先との長い電話を切り、店内接客ブースの椅子に身体を投げ出すように座り長い溜息をもらす。このところスッキリとしない日々が続いているせいなのか身体も重く感じる。
仁実(ひとみ)が、この家具とカフェを併設した店をオープンしてから数年が過ぎた。

昨年から続いているコロナ禍の影響で何もかもが今まで通りに進まない。
家具部門の方の工場は、外国調達の資材到着に大幅な遅れがずっと続いているので納品にも遅れが出ている。

お客様に事情を説明しお待ちいただいている間にキャンセルになってしまう痛手の案件も数件あった。おまけにカフェ部門は、度重なる緊急事態宣言の休業要請で思ったように店を開けられないこともありスタッフのシフトや諸々の経費など頭が痛いことが山積みである。

仁実(ひとみ)は起業して初めて疲労感というものを感じている、開店までに幾多の困難があったが、何をするにも必ず実現できると信じ、またそうなってきたから疲労とは一晩寝れば回復するものだと思っていた。

しかし、今回ばかりは、思うようにならない事情の連続に心が疲れているのか?朝起きた時に「よっし!」と気合を入れなければスタートできない。

アームレストに両腕を預けて「年かな・・・」口から思わず零れた。
それと同時に奥の事務所の扉が開いて、アルバイトの大翔(はると)が「あれ?オーナーまだ帰らないんですか?」と顔を覗かせた。


仁実(ひとみ)は、疲労の濃い表情をいつものように、さっともどすと「ああ、大翔(はると)くん、あなたが今日のラストだったのね、お疲れ様」と椅子を回転させながら振り返ると、直ぐ後ろに姿があり足がぶつかりそうになる。

仁実(ひとみ)は驚いて「気配がないから分からなかったじゃない!」と少し慌てて言うと、大翔(はると)は何もなかったかのように表情を変えずに「・・・・・オーナーは何をしているんですか?」と続けた。仁実(ひとみ)は思わず先ほどの電話を愚痴りそうになったが、その言葉を胸にしまい込んで、椅子から立ち上がり「私も終わりだし、一緒に帰ろうか?」と言って帰り支度を始めた。そう言うと、大翔(はると)は店内の照明を落とし、施錠されているかチェックを始めた。

アルバイトスタッフとして2年目に入る大翔(はると)は、今時の若い人の特性なのか?一言で言ってみれば「ハイブリッド型」というのか?いかなる場面でも平常心を保ち、不必要に感情の無駄遣いはしない。かといってオーナーたちと話がかみ合わないのではなく親の影響なのか?価値観などが一緒だったりする一風変わったつかみどころのない青年である。

店を閉めて駐車場に二人そろって歩きながら仁実(ひとみ)が「お腹すいたね~大翔(はると)くんは家にご飯あるの?」と聞くと「いえ、無いです」と言うので、どのみち家に帰っても一人テレビを見ながら侘しく食べることを想像すると今宵はただでさえ気が滅入っているのに一人飯(ひとりめし)だけは避けたいと思い「じゃあ、ご飯に行こうか?」というと「いいですね」と大翔は軽く返事をした。

2人は車に乗り込み車を出した。
仁実が「ところでどこに行く?」と言ったところで、このご時世である大概の飲食店は仁実の店と同じくらいの時刻に閉店しているはずなのでアテがない。困ったなと思っていると大翔が「オーナー遠乗りしませんか?」と言った。

「なになに?この時間から遠乗りってどこ行くのよ?」意外な大翔の言葉に意表をつかれた仁実は、少し声が裏返って聞き返した。すると大翔が「明日、店も定休日だし僕も家にいてもすることないし」と独り言のようにつぶやいて、こう続けた「今の時期、城奈良山の桜が見ごろだな~見たいな、あっちなら店も開いてるところあるでしょう」と

かねての仁実ならば、こういうノリには冷静に考えて行動するのだが、今宵の仁実は少しタガを外してみたいと思っているのかアクセルペダルを静かに踏んだ。

大翔の言う県境の桜の名所は、首都高速を一時間ほど走り、途中で降りてあとは数時間ひたすら山道を走るところに位置している。
途中コンビニに立ち寄り飲み物と軽い食べ物を調達したが、仁実が支払いをしようとすると大翔が「いいすよ~ここは自分が払います」と言ったので、コンビニのスタッフの顔が??となった。


その様子が仁実には面白く「ひょっとして私たちの関係を親子?上司と部下?それとも恋人?どれと思ったのかしら?」とニヤケてしまったが、直ぐに頭をブンブンふって、その考えを振り払った。

やはり、今夜の仁実はどこかドーパミンが異常分泌しているようであった。

もとより、仁実は家庭も子どももいる、それに何よりも男女の浮ついた話には興味のない質(たち)である、自分の店のスタッフとその家族、特に子どもに至るまで、自分の子どものように大事にしてきていた。当然大翔くんもその中の一人「大翔くんは、私の子どもと年の変わらない青年で、何より私の店のスタッフの一人」だと呪文のように心の中で繰り返した。

仁実は、これまでの自分とは違った妄想をする頭を持て余し気味に慌てていた。きっと、その原因はこのところの疲れからきていると思いなおして、コンビニから目的地までは大翔くんに運転を交わってもらうことにした。

助手席に座り、リクライニングを倒し横になると、途端に、どうしようもない睡魔が襲ってくる。
睡魔に負けないように大翔にいろいろと話しかけたりするが呂律も回らない、すると大翔が「お疲れのようですから、寝ていてください。着いたら声をかけます。」と言う言葉を遠くで聞きながら眠りに落ちた。


何か頬のあたりに熱いものを感じながら仁実は目覚めた。どれくらい眠っていたのだろう?そう思いながらあたりを見渡すと、もうすっかりと夜が明けていた。車は目的地山頂付近の駐車場に停車していて、朝の陽ざしが車内を照らしている、仁実は陽ざしだけの熱さではない感触が残る頬のあたりに触れながら、これってなんだろうとしばし考えていた。

ふと、横のシートに目を移すと、大翔は運転席に腕組みをして寝入っている。その横から見る顔はとても彫が深く彫刻のように美しかった。
暫くその横顔に見惚れていると、大翔の長いまつげが少し震えて目覚めそうな動きをしたので、
仁実は自分も今起きたかのように伸びをして「おはよう!運転有難うね」と声をかける。大翔は「う~ん・・おぉはろうございます」と多分眠りの足りない赤い目を擦りながら答える。

その姿を笑いながら見守る仁実の感情が、息子を見るような気持であることを再確認し「やはり昨夜の私の頭は暴走していただけなのね」と人知れず安堵した。「大翔くんは私の大事なスタッフ」と・・・

それから、眼下に広がる幾重にも重なる桜を眺めて歓声をあげたり撮影したりひと時を過ごした。

しかし、楽しいのは楽しいのだが、さすがにこの年齢の仁実の車中泊は、身体を硬直させふくらはぎのあたりがカチカチになり痛みが出ていた。乗り降りするのも一苦労である。

一方、大翔はそんなことはお構いなしで車を次から次へと絶景ポイントに移動させる。その度に乗り降りするのが面倒で仁実は「私は車の中から見てる」と言おうものなら、大翔が「ダメです!折角来たのですから」と助手席のドアを開けて強制的に仁実に降りるように促すのである。

仁実は心の中で「勘弁して!」と声を上げていたが、かといって大翔の子供のように笑う笑顔に負けて言うとおりにしていた。

それでも大翔が大口をあけて笑う度に、昨夜までの『ドーパミン異常分泌』で感情が大ブレだったのが夢だったように感じる。ひょっとしたらあれは本当に疲れが見せる夢だったのではないかと思いながら、大翔と過ごす、この時の楽しさが心の疲れを溶かしてくれるように感じて成すがままに任せていた。

次のポイントに移動する車中から、道路の脇に人が踏みしだいてできたらしい小路を見つけた二人は、車を停めてその道を歩きだした。すると、大翔が「あれ?!なんかあの先の桜大きいですよ、行ってみましょう」と少し傾斜のある道をさっさと進みだした。

仁実は急いで着いていきながら、昨夜店を出る時にパンプスに履き替えたことを心の底から後悔していた。ただでさえイマイチの足の具合に滑りやすい洒落たパンプスでは一歩一歩気を付けながら歩くのでもどかしい、

それを見て振り向いた大翔が「どうしたんですか?疲れました?」と無邪気な顔で聞いてくるのも歯がゆくて、ひと一人やっと通れる道幅を大股で「そんなことないわよ」と勇み足で追い抜いぬいて「さぁ行くわよ!」と余裕の笑いをみせた。

それから奥に入っていくにつれて、伸びている雑草が二人の袖や足にバサッバサッと当たる中を進んでいると仁実の視界の右前方で「バサッ、バサッ」と草を揺らす音がした、

仁実はとっさに「シカかも~~~!!キャ~~~」と瞬間的に振り向き走り出そうとして足を滑らせて体当たりのような形で倒れ込んだ、すぐ後ろにいた大翔は、その時、中腰で他所を見ていたので何が起こったのか分からず、そのまま受け止める形になったのはいいが重心を崩し、そのまま路肩に二人して転び落ちてしまった。

仁実の奇声に驚いたのだろう、先ほどの方向から親子のシカがピョンピョンと走り去った。

仁実に勢いがついていたからだろう、小路から滑り落ちて二転、三転しながら切株にぶつかり止まったが、その拍子に、切株を背にした大翔の唇に仁実の唇が、一瞬触れた程度だったが合わさってしまったのだ。

アクシデントとはいえ、仁実の頭で何かがスパークし、慌てて腕を離しペタリと座り込んだ。それからしばらく、二人は茫然としていた。
そして、急に意識が戻ったかのように飛び上がり服の葉っぱや泥を払い落として、慌てて二人して、もと来た道を逃げるように急いで車まで戻った。

日の当たる車の止めてある場所まで着くと、どちらも大きく深呼吸をして、それぞれに左右のサイドミラーで髪や顔についた汚れを取り、再度衣服を整えた。

山の小路

おそらく、数分間の出来事だったと思われるが、とても長い時間のように感じた、そして、仁実は夢か幻の中にいるような現実身のない感覚に囚われながらも何かこの空気を破らなければと、意識しなければひっくり返りそうな声をトーンを落とし「大翔くん大丈夫?」と声をかけながら見ると、大翔は、ボンネットにもたれ掛って、いつもの表情でこちらを向きながら「シカぐらいで驚かせないで下さいよ」と淡々と言った。

その態度に、仁実は「えっ?あれは事故?それとも私は頭を打ったのかしら??それとも黒歴史になりそうなことだからシカト??」と戸惑いを隠せなかったが、そこにいつもの大翔がいる以上、さっきの出来事には触れないほうが得策なのかもと思い直して、さっきの出来事を敢えて口にするのを止めた。

コーヒー

それから二人は車に乗り込み、黙って(大翔はもともと無口な質だが)カップホルダーの冷めたコーヒーを喉に押し込むように飲みほした。大翔がニコッとしながら「午前10時になりましたね!お腹も空いてきましたし、来る途中に店みたいなのがあったので、そこに行ってみましょう」と車を始動させた。

仁実は、さっきの出来事と大翔の態度に、本当に夢だったのか?何か騙されたような?何一つ釈然としないまま動揺し、それでも大翔の運転する車の振動の心地よさに身を任せた。

先ほどの小路から、シカの親子が顔を出し、その車を見送るように顔を向けていた。

シカの親子

こちらに続く


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