2015年に福島浜通りを訪ねたときのこと
ここ最近、福島第一原子力発電所の処理水放出についての報道が目立ちます。福島県の浜通りには1回。2015年に訪れたことがあります。その当時の浜通りを思い出しながら、もう一度訪れたい場所などいろいろ書き込みをしたいと思います。
当時は東京から特急に乗っていわきまで行くことができました。
いわき市内です。少し閑散としています。いわきは仙台市についで東北第二の都市です。ここ豆知識です。
いわきからはその当時竜田駅まで電車が走行していました。車窓からは工事の光景が続きます。
電車内は広野駅を過ぎると自分だけでした。
楢葉町に到着しました。木戸駅です。
当時は放射線量が分かるようになっていました。今はどうなのでしょうか?
歩いて散策します。Jヴィレッジです。当時は東京電力の復興事務所が置かれていました。
中はこんな感じ。いろいろ掲示物がありました。
周辺の道路は表土を削って回収していました。除草も定期的にされていました。
除去した土はフレコンバッグに詰められていました。草も同じでしょう。
1日目。宿に到着しました。当時は工事作業者の宿がほとんどで一人で宿泊できる宿はここしかありませんでした。
工事作業の方に交じってご飯を食べました。盛りだくさんの食事をいただきました。
2日目。木戸川などを散策します。鮭の放流が行われていた川。今は復活していることでしょう。
津波で破壊された家がそのままになっていたところもありました。
自分が訪れたかった場所。訪問当時は当然営業はしていませんでした。
楢葉町サイクリングターミナルです。
今は天神岬スポーツ公園の一施設として再出発しています。
竜田駅です。訪問当時はここがいわきからの電車の終点になります。
ここも放射線量の電光掲示板がありました。
そして、ここから原ノ町まで行きます。まだバスの時間まであるので、少し散策します。
ここなら商店街。当時はスーパーと食堂があるだけ。
いまはここなら笑店街として再出発しています。
訪問当時、街の支えとなっていた武ちゃん食堂。街の広報誌面に掲載されるほど「レバニラ炒め」が街の復興シンボルとなっていました。ここでご飯をたべたかったのですが、バスの時間があり食べることができませんでした。いつかリベンジしたいです。
竜田駅から代行バスに乗り、電車不通区間を移動します。
電車が不通でした。国道6号の帰宅困難地域を縦断するバス路線。当時、竜田と原ノ町を1日2往復していました。車内には放射線量を測定する機器が設置されていました。
がんばろう富岡町。その当時、復興と住民帰還に向けて強く発せられたメッセージでした。後日わずかですが、ふるさと納税を行いました。
帰還困難地域になると駐車場のシャッターが閉鎖されています。一気に様変わりしました。
その中でも暑い中必死に作業していた人がいました。
福島第一原子力発電所の最寄り地点です。
原ノ町で代行バスを下車しました。ここでお昼ご飯を食べたり土産物を購入したりしました。
原ノ町。馬追が有名ですね。
原ノ町からは再度バスに乗り福島駅まで行きました。
最近のニュースでいわきへのふるさと納税が急増しているというニュースを聞きます。福島浜通り再度訪れて見たいですね。楢葉町のサイクリングターミナルやここなら笑店街。再度訪ねて食や宿を満喫したいです。
なお、浜通りの中心地。いわきの名所といえば・・・・・・・
蒼井優さんの映画でも有名になったホテルハワイアンズ。一回でいいから統率取れたフラを現場で見て見たいです。
ここの水族館ではさんまの養殖がおこなわれていたりします。そんな水族館他にはない気がする。子ども連れには水族館いいですね。
いつのまにかサッカーJ2のチームができています。天皇杯で下剋上をして県リーグの時から有名になっていたチームです。身寄りのチームがあればいわきまで遠征するのもアウェー観戦で楽しいですね。
応援しましょうということもあるのですが、浜通りはいろいろ楽しいところです。首都圏なら特急でそこまで遠くないでしょう。ふるさと納税するもよし、現地で遊ぶもよし、浜通りってそんなところだと考えます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?