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【とらねこさん企画】子の誕生日思い出

クリエイターフェス期間です。公約noteで定めた活動の1つ。とらねこさんメンバーシップ「おしゃべり会議室」のお題に沿って、記事を書き進めて見ます。

自分の誕生日の思い出が記憶にあまり残っていないので、子ども(ひとり息子)の1歳の誕生日のことについて書くことにしました。

子どもが1歳のころ、交通機関再編の部署にいて、毎日終電で自宅に帰る日々が2年間続きました。地下鉄を日付が変わるぎりぎりに乗車し、乗換駅でJRの駅を0:20発に出ると終点駅には午前1時まえに到着することになります。

帰宅するとご飯を軽く食べたらシャワーを浴びて寝るだけ。嫁と子どもは既に寝ています。朝は普通に9時まえから仕事が始まるので、まさに寝に帰るだけの生活でした。

土日に仕事も青年会議所もなかったときに写真を1枚撮影。はじめて撮った写真。和室でゆっくりごろ寝していた時の写真。この時は体調がよくない日々が続いていたので、なにもしなくていい休日はゆっくり身体を休めることしかできませんでした。子どももまだ小さかったので、近くの公園を除いて休日にお出かけするまでには至らなく、二人で並んでごろ寝するのが週末の習慣となっていました。

迎えた1歳の誕生日。プレゼントは似顔絵でした。事前に子どもの写真を持って行って、駅前でイラストを描いている方にお願いして書いてもらいました。おでこが広いのがよく描けていたと振り返ります。

名前入りですが、その部分は白塗りしました。

この日も多分にもれず、遅くまで残業をこなして家にたどり着いたのは午後11時過ぎ。当然子どもは寝ています。何とかして誕生日を祝いたかったので、寝ていたのを起こす形になってしまいました。ケーキ、似顔絵とともに写真撮影。これが子どもの初めての誕生日になってしまいました。

本当は起きている時間に祝うことが出来たらよかったんだけど、家族を支えるために激務を乗り切ることも大事でした。今は価値観が少し違ってきていますが、氷河期の真っただ中に就職して、リーマンショック真っただ中に昇進して、子どもが生まれてって生き残っていくのに必死になっていた日々でした。

この時期よく「仕事が大事か。家庭が大事か」という議論がなされました。これ当時の職場で議論をするとこうなります。

・仕事が大事
 →よくわかっているね。仕事頑張ろう。家族も応援してくれるぞ。
・家庭が大事
 →そうだな。その家庭を養っていくため仕事をまず頑張ろう。家族も理解してくれる。

研修資料には「本音を語るな。建前で通せ。愚痴をこぼすな。泣くな係長よ。」と書いてあった時代です。どちらを選択しても経済環境が厳しい中、しっかりお給料をもらおうとするには時として家庭を置いて仕事を頑張るしか選択肢がない時代でした。

駿河湾の海。子どもの海初体験。

まあそれでも職場に頭下げて、時間を作って遠出をすることもそれなりにあったんですけどね・・・。仕事が非常に忙しいなか家庭での親業との両立を目指して必死に生きていた。そんな子どもの1歳誕生日の思い出でした。





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