極味は脳の中にある

2013年に日本・ポルトガル交流470周年記念行事の一つとして、ポルトガル国会内のレストランにて、国会関係者やジャーナリスト約100名に対する日本酒振興セミナーの講師を担当した。

そのセミナーの中で、「1603年にイエズス会が編纂し刊行された日葡辞書にはSaqe(酒)、Nigorisaqe(にごり酒)、Sacagura(酒蔵)、Coji(麹)、Atçugan(熱燗)等が採録されており、皆さんは、今日、酒を再発見している。」とお話しさせていただいた。この辞書には、室町時代の日本語がローマ字表記で記載され用例やポルトガル語の意味が示されている。セミナーには使わなかったがAgiuai(味わい)の表現について調べてみたところ、Amai(甘い)、Sui(酸い)、Carai(辛い:胡椒・辛子などのようにぴりぴり辛い)、Xiuofayui(塩はゆい:塩がきいて塩からい)、Nigai(苦い)、Xibui(渋い)、Xibunigai(渋苦い)があり、おいしさの表現としてVmai(うまい:味のよい、あるいは、おいしい)、Fǔmi(風味)、さらにXijmi(しいみ:滋味、至味)やGokumi(極味)、同意としてQuiamatta agiuai(極まった味わい)があることを見出した。

さて、1950年代の米国において開発されたプロファイル法では、パネリストは、いくつかのフレーバーの特性や強度、aftertaste(後味)に加えてamplitude(アンプリチュード)を評価することが求められた。アンプリチュードについては、製品のoverall quality(総合評価)やパネリストのhedonic responses(嗜好性)ではなくバランスとブレンドの程度を表すoverall impressionだと定義された。例えば、一番出汁があり、そこにごく少量の塩を加えると、風味全体が豊かで調和がよくなったと感じられる。これがアンプリチュードの増加だろう。醤油を少量足すと醤油中のアミノ酸や糖類の味ばかりでなく香りも加わるためさらにアンプリチュードが増加する。しかし、過剰に加えると醤油の香味が強くなりすぎアンプリチュードは低下する。アンプリチュードは受容細胞の応答というより脳の中でつくられる感覚であり、プロファイル法の提唱者は、初心者はアンプリチュードの概念を総合評価から切り離すことが難しいが、訓練やその製品分野への経験を通して理解可能であるとしている。

極味も、キーとなる極味物質があるわけでなく、また、1、2回味わっただけでは「うむ、これは極まった味わい」と言わないだろうから経験が必要な感覚である。個人の能力が上がることがおいしい料理や酒を感じるためには必要であり、現在、ニューヨークやパリで本格的な和食料理店が受け入れられるようになったのも、その国の方に素材を活かす和食の概念、うま味や出汁の風味に関する情報と経験が備わったためであろう。逆に言えば、極まった味わいを有する料理や食品は、最初から画一的においしいと思われるものではないのかもしれない。分かりやすさ優先だけでは人は経験値を上げることができない。甘くてジューシーといった単調なものが多くなれば長期的には食の退化につながってしまう。

日葡辞書には、Agiuai xiru(味わい知る)という最近聞かなくなった美しい言葉もあった、日本の醸造品について、自らが関心の幅を広げ先人の鑑別力も学ぶとともに、より多くの若い方や海外の方に情報と経験を提供できるよう努力していきたい。

日本醸造協会誌 第110巻 6号 p371(2015)

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