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「真の」ニーズ、再考

急に暑くなったり、また寒いくらいになったり…体がおかしくなりそうな日々が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

個人的には穏やかに過ごしているつもりなのですが、なんか体が急にかゆくなったりと…。

心身に気をつけながら過ごしたいところです。

今の職場で働き始めてそろそろ3カ月が経ちます。

訪問リハビリ(看護)は、新規の依頼もありますが、引き継ぎも多いです。

初回面接であったり、はたまた引継ぎ後の初回訪問で、いわゆるニーズを把握することになります。

でもこのニーズを把握するっていうの、結構難しいですよね。

困りごとは何ですが、やりたいことはないですか、と質問しても出てこないことも多いです。

一方で厚労省からは、通所リハや訪問リハの訓練内容で身体機能の訓練が多いと指摘を受けていたり…。

活動と参加レベルのニーズなんかは尚更把握しにくいかもしれません。

どうしたらいいのか悩むことも多いような気がします。

そんな中、MTDLPでは「対象者の真のニーズを把握していない」といったような文言が出てきて更に悩んだりするわけです…笑。

https://www.jaot.or.jp/files/page/wp-content/uploads/2020/05/tebiki-MTDLP2.2.pdf

「真の」ニーズというか「潜在的な」ニーズはあるんだろうなと思います。

じゃあ「顕在的な」わかりやすいニーズ以外の「潜在的な」ニーズってどうやってとらえたらいいんだろうということを最近考えていたので備忘録的に書いていきます。

相変わらずまとまりのない文章にはなりますがご容赦ください。


「真の」じゃなくて「潜在的な」への提案

しょっぱなからタイトル否定になってしまうですが…笑。

「真の」というとなんか…こう怪しい雰囲気…笑。

「真の」の対義語が「偽りの」ということになってしまうからだと感じています。

「真の」ニーズ以外は「偽り」なのか?

先日の学会で「顕在化しやすい作業機能障害」「潜在化しやすい作業機能障害」という言葉を使っていた研究をお見掛けして、「真の」よりも「顕在化」「潜在化」のほうがすっと入ってくると思いました。

https://kenkyuukai.m3.com/journal/FilePreview_Journal.asp?path=sys%5Cjournal%5C20231225172855%2D4A9119E594789102E9B5F12F872F48C9AB65EC5561507586%2Epdf&sid=848&id=4199&sub_id=58455&cid=471

顕在ニーズ、潜在ニーズって言葉がマーケティングとかにもあるようです。

真・偽、顕在・潜在、意識・無意識…色々ありますが、以下では「真の」ニーズ改め「潜在的な」ニーズとして考えていきます。

包括的な評価から考える

「潜在的な」ニーズを考えるためには「察する」ような評価が必要だと考えています。

以前、喫茶AKSKでお話させて頂いた際に赤坂さんが上手く書いてくださっていたので貼っておきます。

この点において作業療法士は,作業機能障害を観察することが「察する」ということになっている部分もあると思います.例えば,「病院にいて普段していることが出来ないと落ち着かないですかね(作業剥奪)」,「こんな状況じゃ、普段楽しんで行っていることも楽しめないですね(作業疎外)」,と言ったように,「察する」という技能も「作業療法の視点」で整理することができると専門性が伝えやすいと考えられます.

この場合「潜在的な」作業ニーズみたいなことになりますが、専門職ごとに視点が違うので様々な職種の視点でそれぞれの「潜在的な」ニーズを見つける視点があるかもしれません。

ライフステージから考える

困りごとは何ですが、やりたいことはないですか、と質問しても出てこないといったことを書きましたが、その際はライフステージとして何が必要であるかという視点を持って関わることが多いです。

個人的なイメージは人間作業モデルと、エリクソン、そこに身体的な発達が入るような感じです。

青年、成人期で有能性、達成がなされている時期であると、ある程度したいこと、する必要があること、することを期待されていることとかに焦点が当てやすいことが多いと思います。

幼児期や老年期の探索の段階であれば、自分の価値や興味などを探る時期です。老年期であれば、ライフヒストリーから探したり、幼児期であればそもそも何に興味があって、どんな価値があるのか経験の中で探す必要があります。

老年期であれば自分史作りをしてみたり、ライフヒストリーカルテを書いてもらったりするのは興味や価値の探索だったり、エリクソンンであれば、人生の経験が統合されることを目指すことが目的であったりします。

お子さんであれば「色んな経験を積んでもらいたいですね」という話でしょうし、ご高齢の方であれば「今までしてきたこと振り返ってみませんか?」ということかなと思います。

タテマエとホンネの文化

「真の」ニーズなんてことを言わなきゃいけない理由は、日本特有のタテマエとホンネといった考え方があると思います。

ホンネ≒真のニーズ
タテマエ≒偽りのニーズ、みせかけ、うわべ

みたいな印象を受けますが、タテマエとホンネの解釈は本当にそれでいいのでしょうか?

川モデルに土居の「甘え」の構造からの引用が載っています。

手短にいえば、タテマエとホンネは常に、同意する集団の存在が背景にあることを暗示している。その一方でホンネは、集団に所属している個々人がタテマエに同意しているときでさえも、それぞれ建前とは異なる自分自身の動機や意見をもち、自分たちの背景としているという事実を指名している。実際にタテマエの個人的な見方がホンネであるといわれている。

Michael K .Iwama 川モデル

タテマエは公的な表現、集団としての表現で、本音は私的な表現であって、別に対立するような概念ではないのではないかという話です。

潜在的なニーズを考えすぎるデメリット

「独り善がり」の治療者は、無根拠にクライエントの無意識を掴んだ気になっています。「独り善がり」の治療者はご都合主義です。「無意識」という概念を都合よく持ち出すからです。

山崎 孝明 精神分析の歩き方

「無意識」という言葉を「潜在的」に置き換えるとデメリットが見えてくるような気がします。

潜在的なニーズが無いにも関わらずあるように扱う。

支援者側が勝手に解釈をして潜在的なニーズを作り出す。

そういうことをしてしまう可能性は大いにあると思うのでそこは気を付けないといけないかもしれません。


考えていたことをなんとなく書いてみました。ではまた!

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