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第3回定期開催スペース「喫茶AKSK OTサークル」(ゲストスピーカー:酒OTさん)テーマ「臨床現場におけるOBPのかたち」のまとめ記事


はじめに

「作業」って何だろう
作業療法界隈では間違いなく名著である吉川ひろみ先生のこちらの書籍には,作業という言葉の適応範囲の広さや,作業療法士が立ち向かうべき問題の大きさが述べられ,多くの作業療法士が直面するであろうタイトル通りの「作業(療法士)って何だっけ…」という疑問に対するいくつもの知見を与えてくれます.

ですが,そんな作業の魅力に憧れを持った多くの作業療法士の中には,臨床現場に出て,こんな風に思った経験はないでしょうか.

「あれ,,,なんか病院(職場)でうまく出来ない・・・」

今回は2023年6月29日に実施した第3回定期開催スペースのまとめ記事になります.テーマは「臨床現場におけるOBPのかたち」です.ゲストスピーカーは酒さんことhttps://twitter.com/@sake_OT 酒OTさん です.

なお,今回もゲストスピーカーの酒さんとスペース後にも何度かやり取りさせていただき,noteの内容を一部執筆・校正していただきました.この場で改めてお礼を述べさせていただきます.本当にありがとうございました.

①OBPの定義について

作業療法の歴史の中で「作業に焦点を当てる」や,「作業を基盤とした」といった文言は作業療法士が複雑な専門的概念である「作業」から注意を逸らさないようにする,という注意喚起の意味合いに用いられるなど,昔から作業療法の読み物に使われることが多かったように思います.ですが,ある時,この言葉を3つの定義で言葉を整理した論文が登場しました.詳細は以下に述べられています.

Occupation-centred, occupation-based, occupation-focused
作業中心(OC)、作業基盤(OBP)、作業焦点(OFP)
作業療法教育研究 第 13 巻 第 1 号

http://www.joted.com/journal/v13paper.pdf

この時代,日本の作業療法界隈は「医学モデルからの脱却」,「作業パラダイムへの再帰」にある意味熱狂的になっていたという背景もあり,この論文はその熱の温度を上げていたように思います.

作業療法士達はこぞってOBPに憧れました.ですが,違和感も同時に生まれていました.OBPは理想的な考え方ですが,日本に長く根付いた医学モデルを中心とする医療保険領域では,どうしても実践に困難さを感じやすかったのです.
そのため,冒頭で述べたように「OBPは病院ではできないのではないか?」という考えや,「作業は中心に考えたいけど作業ばかりに関心を向けていて良いのか?」というように考える人達も出てきました.
また,そういった考えを後押ししたのは,OBPを過剰に推進しようとする人達の中に,「意思疎通が困難な人はOBPはできない」という考えが当時あったことなども理由ではないかと邪推します.ちなみにこれについては,現在,意思疎通のできない方との間に本当に「作業」は存在しないのか,ということを論じた論文があります.

意思表出が重度に困難な人にとっての“作業”を見出すために,家族や友人との関わりを通して探索した質的研究

リスナーコメント


②日本ではOBPは難しいのか?

作業療法士が当たり前に「作業に根差す」ということについて,その実践に障壁があるのではないかということを論じた論文があります.

作業に焦点を当てた実践への動機および条件と障壁

詳細は省きますが,ここでは「診療体制」,「特別なことをしようとする心」,「回復を望むクライエント」などが障壁として挙げられています.

これらの点から整理するとOBPの障壁とは,以下のようにまとめられます.

・医学的処置などの緊急度が高い急性期であればあるほど作業療法士は困難さを感じやすいかもしれない
・それまでやってきた実践やシステムを変えることは容易ではない.つまり,職場の文化によって実践しにくいかもしれない.
・特別なことをしたいと考えてしまう作業療法士自体のアイデンティティに対するコンプレックスに問題がある.
・ 回復を望むことは至って当然のことだが(そもそも本来,作業に根差すことは回復を諦めることではないが),一時期の作業に根差す実践の一部の考えには回復を目指すことと対立してしまう傾向にあった.

これらの意見を押さえた上で,スペースにおいて議論した内容を述べていこうと思います.

酒さん:純金コンプレックス

作業を実際に行って評価,介入を行うという実践は作業療法における「純金」の臨床かもしれないですが,実際の現場では機能訓練をしながら作業の話をするなどの「合金」の臨床が多いのではないかと思います.この合金であることにコンプレックスを持ち、純金を過剰に目指そうとしてしまうこと,これがいわゆる「純金コンプレックス」と言われるものです.
一方で,「純金」を目指すデメリットとして「意思疎通が困難な人」は作業療法の対象にならないなどの意見があるように「あるべきクライエント像」が決められてしまうことが挙げられます.


赤坂:日本型OBPが実践されやすい仕組みを整える

僕も酒さんの意見に概ね合意ですが,その上で純金を目指した主流派OBPではなく,合金である日本型OBPというものの実践報告,研究,教育などをもっと増やしていって,新しい基準や定義を再考していってもいいんじゃないかなと思っています.以下の友利先生のTweetが非常に近いビジョンです.


リスナーコメント


③日本型OBPをどのように考えていくか

日本は文化として超高齢化社会が根づき,制度的に回復期でも重症度の高いクライエントが増えてきています.OBPを実践するときに心理学的には「統合」の段階にあり,新たな目標を立てるといったライフステージではない高齢者や、重症の方への対応を考えていかなければいけないとい言えます.そこで以下の視点はヒントになるかもしれません.

評価や支援のハードルを下げる

例えば,「道具が使用可能」,「巧緻性が低い」などの評価ではなく,「手が伸ばせた」,「物が持てた」など,人間作業モデルでいうMOHOSTで評価出来ないのであれば、探索段階の評価(MOHO-ExpLORなど)を使うというように,評価や支援を工夫する必要があるかもしれません.この辺りは,クライエントの機能ではなく可能化に焦点を当てた「カナダモデル」の考え方が近いのかもしれません.


ケアとセラピー

作業療法にはケアとセラピーの次元があると考えます.ケアとはクライエントが傷つかないようにする、クライエントを変えることが目的とされない支援であり、セラピーはクライエントが傷つきに向かい合う、クライエントの変化を促す支援であることが異なる点であると考えられます.詳細は以下の書籍を参考にされると良いかと思います.

fisherが述べたOBPは非常にセラピー的ですが,ケアが必要なクライエントにはあまり合わないことがあるという肌感覚があります.作業療法でのケアは「馴染みの失敗しない作業をする」とか,後述する赤坂のTweetのような,病院に「いる」を支援するなどがあると考えます.
意思疎通の出来ない重症の方を見る視点として,ケアは作業の視点,セラピーは医学の視点と捉えることができます.例えば,音楽を流しながら関節可動域訓練をするなどといった場合では,音楽を流すのは作業的視点のケア,関節可動域訓練が医学的視点のセラピーのそれに当てはまると言えます.

酒さんがケアの例として紹介してくれた赤坂のTweet

何かが「できる」、(作業機能)障害から「回復」を目指すのがセラピーであって,fisherが当時述べたOBPも大方はセラピーのことを指していたと考えられます.ですが、ケアの視点では、変化を求めず、現状のまま生活に「作業を添える」というように,園芸ができる環境や循環を作るという実践が作業療法の「ケア」になると解釈できます.

リスナーコメント


「察する」という日本文化

また,酒さんが以下の赤坂のTweetも取り上げてくださり,これは「察する」という日本特有の文化として,臨床現場の中での作業療法にも応用されているのではないかと話されていました.

この「察する」という技能に関しても専門職としての視点にバリエーションがあると思われ,例えば,身体を評価して「身体のここが辛いのですね」と共感するのか,話の中でクライエントの気持ちを聞いて「そんな気持ちになっているなんて辛いですね」と,共感するなど色々な「察し方」があると考えられます.この点において作業療法士は,作業機能障害を観察することが「察する」ということになっている部分もあると思います.例えば,「病院にいて普段していることが出来ないと落ち着かないですかね(作業剥奪)」,「こんな状況じゃ、普段楽しんで行っていることも楽しめないですね(作業疎外)」,と言ったように,「察する」という技能も「作業療法の視点」で整理することができると専門性が伝えやすいと考えられます.

④おわりに

OBPに関連する作業の知識,トップダウンアプローチ,事例報告(物語)などに触れると,まるで漫画の世界のような理想の作業療法像が広がっていることがあります.作業療法というものを理解したいという強い想いを持っているほど,一度はその世界に憧れを持つのではないでしょうか.
ですが,今回のnoteで書いた通り,大抵それは「純粋な黄金」であり,もしも実現可能性を十分吟味できていない実践であれば,それは幻想的OBPであると見抜く必要があると思います.個人的には,日本の文化に合ったOBP(本当は名前は何でもいいのかもしれませんが)を発展させていくために,臨床現場,報告,教育,研究と多方面からの知見がまだまだ必要だと思っています.

ここまで読んでいただきありがとうございました.



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