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#25 広島県について

今回の問題

生産地・広島県について述べよ。

自分の回答

200字回答

広島県は、日本酒醸造の近代史に大きな役割を果たしてきた。明治期には三浦仙三郎が軟水醸造法を生み出し、吟醸酒造りが確立されたことで、第1回全国清酒品評会では広島の酒が上位を占めた。大正時代には、きょうかい3・4・5号酵母が広島の酒蔵から相次いで採取された。酒米は、八反草を祖とする八反や八反錦1号、広島県が開発した千本錦などがある。酒質は口当たりが柔らかく、うま味があってキレがよい。(192字)

回答の要素

歴史について
日本酒醸造の近代史に大きな役割を果たしてきた。
明治期、三浦仙三郎が軟水醸造法を生み出した。
高精米を可能とする佐竹製作所の動力精米機の開発もあり、吟醸酒造りが確立。
1907年の第1回全国清酒品評会では、広島の酒が上位を占めた。
大正時代、きょうかい3・4・5号酵母が広島県の酒蔵から相次いで採取。
広島の酒蔵が高温糖化酛を開発。
酒類総合研究所は東広島にある。

酒米について
八反草を祖とする八反、八反錦1号。
県が開発した千本錦は、山田錦の改良種。

酒質について
甘口から辛口まで、うま味があってキレがよい。
しっかりした麹造りと軟水の低温長期仕込みにより口当たりがやわらかく、香りは芳醇、軽い甘味をもつものが多い。

回答の構成

・日本酒醸造の近代史
・明治期:三浦仙三郎、軟水醸造法
・吟醸酒造り、第1回全国清酒品評会
・大正時代:きょうかい3・4・5号酵母
・八反、八反錦1号
・県開発の千本錦
・口当たり柔らか、うま味とキレ

回答の補足

きょうかい3号は、1914年「酔心」の新酒より分離。きょうかい4号は、1924年に広島のどこかの酒造場から分離。きょうかい5号は、1925年「賀茂鶴」の酒母より分離。いずれも頒布は終了している。

日本で最初に貴醸酒を醸したのは、広島県の音戸町にある榎酒造さん。以前、貴醸酒についてのnote を書いた際に引用した 佐藤 他(1976) のアンケート結果(第10図)は、実は榎酒造さんが行ったアンケート調査の結果だった。

佐藤 他 (1976) 榎酒造による貴醸酒のアンケート調査の結果

なお、広島の酒が上位を占めたのは第1回「全国清酒品評会」で「全国新酒鑑評会」ではないので注意。

関連
#07 扁平精米について
#08 貴醸酒の今後の展望について

他の回答

先人たちの回答

広島県は酒質の高さと日本酒生産量の多さで銘醸地として知られる。広島は軟水であるが、明治期に三浦仙三郎が強い麹造りと低温長期醪による醸造法を確立し、現在の吟醸造りの礎となった。協会3〜5号酵母も広島の酒蔵から分離された。八反系の酒米を多く生産し、同時に雄町系と山田錦の生産量も多い自給移出タイプ。酒質は、甘口から辛口まで旨味があってキレが良い。口当たりは柔らかく、香りは芳醇、軽い甘味を持つものが多い。

すしログさん
https://sushi-blog.com/sakelog/sake-diploma-essay/

広島県が日本酒醸造の近代史に及ぼした影響は大きい。明治期には天才醸造家・三浦仙三郎が、広島の軟水に合う健全で酵素力の強い麹造り、低音長期醪による醸造法を確立し、この技術が吟醸造りのベースとなった。大正時代にはきょうかい3,4,5号酵母が広島県の酒蔵から採取された。その他、高温糖化酛を開発したのも広島の酒蔵である。また、広島県には酒類総合研究所がある。独自の酒米には「八反」「八反錦1号」「千本錦」がある。

えすにっくさん
https://ethnicsake.blog.fc2.com/blog-entry-165.html

参考文献

J.S.A SAKE DIPLOMA 教本(Third Edition)p. 99,142,143
広島食道, 日本で初めて「貴醸酒」を醸造した広島の「島の蔵」 – 榎酒造, 2020年11月3日, 閲覧2023年10月3日
佐藤 信, 大場 俊輝, 高橋 康次郎, 蓼沼 誠, 清酒でつくる清酒いわゆる貴醸酒を開発するまで, 日本釀造協會雜誌, 1976, 71 巻, 8 号, p. 593-599

※ 引用時に出典URLを明記したものは省きました。
※ 内容に間違いがある場合があります。ご指摘いただけると幸いです。

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