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短い入院と草の家

 去年の末に、短い入院をした。通ってる病院の先生に勧められ、自分としてもギリギリの生活を送っていて正直どん底に居たので親にも話し、短い期間だが入院することになった。

 この入院に関してここで書くということ自体が、後で引用する小説の登場人物である、主人公の友人が自死する前に言った台詞のように「他人には、ひとつの狂気を育てた人間が極限状態で理解したことなど伝えようもない」とも思うのだが、それでもこの無益に思える闘いを、どこかに記述して残しておきたいという思いもあり、この文章を書いている。

*

渋滞する身体

 入院すると決めて病院に連絡してから、入院の日まで一週間ほど間があり、明日にでも死ぬかも知れないという強迫観念に襲われていた私は、とりあえず気持ちが落ち着くまで幾つかの病院に行き、処方された薬を飲み、不安な日々を過ごした。入院するための荷物をまとめる際も気が立ってしまって落ち着かず、果たして無事に入院するまでに漕ぎ着けられるかと不安だった。

 そしていざ、入院。個室の病室だった。
 入院して1~2日は環境の変化についていけないのもあって身体が鉛のように重く、食事以外はベッドから動けなかった。泥沼の中に自分の体が埋まっていくような感覚、息をするのもつらい閉塞感にただただ耐えるしかなく、清潔なシーツに包まりながら反対に地獄に居るような思いで、不安と恐怖で涙を流していた。

 夜明け前の暗闇に眼ざめながら、熱い「期待」の感覚をもとめて、辛い夢の気分の残っている意識を手探りする。内臓を燃え上がらせて嚥下されるウイスキーの存在感のように、熱い「期待」の感覚が確実に躰の内奥に回復してきているのを、おちつかぬ気持ちで望んでいる手探りは、いつまでも虚しいままだ。
(中略) 
 眼ざめるたびに、うしなわれた熱い「期待」の感覚をさがしもとめる。欠落感ではなく、それ自体が積極的な実体たる熱い「期待」の感覚。見つけることができないと納得すると、あらためて再度の眠りへの斜面に自分を誘導しようとする。眠れ、眠れ、世界は存在しない
『万延元年のフットボール』大江健三郎 -「死者にみちびかれて」より

 入院中に本を読もうと、何冊か病室に持ってきていた。その中のひとつが大江健三郎の『万延元年のフットボール』だった。私はそれを読みながら、小説で描かれる主人公に降りかかる事柄と現在の自分の状況というのが不思議と呼応していることに驚き、何かに導かれるようにしてそれを読んだ。

 例えばこんな一節がある。

眠った人間を模倣したまま、僕は立ちあがり、渋滞しながら暗闇のなかを歩く
『万延元年のフットボール』大江健三郎 -「死者にみちびかれて」

 この一節に相対したとき、私は思わずシャープペンシルで線を引いた。まさにその時の私を表す一節だと思った。"渋滞しながら暗闇のなかを歩く"。外見からは分からないが私の身体の中は「嵐」のような状態で、苦痛の根源が定かでなく、様々な苦しみが身体の中で渦を巻いている感じ。様々な苦しみが混沌として身体という器から溢れ出してしまいそうな状態は、まさに「渋滞している」との表現がしっくりくる。当然身体は重く、渋滞している身体を抱えながら歩くことは、恐ろしいほどの疲労感を伴う。私はこの「疲労感」が心底恐ろしく、この疲労がますます蓄積され、ある日突然、「もう、疲れた。」と全てを終わりにしようとしてしまうのではないか、というような妄想に捕われ、恐怖し、かといって解決策は浮かばず、身動きの取れない日々を送っていた。

【日記】2022.⚪︎.◻︎
退院したい気持ちもあるが、よく考えて、家で無益な時間を過ごすよりかは、ここでいま一度、目的を明確にし、苦しみの根源を明確にし、体調の回復に尽力しよう、と思った。

草の家

…蜜も、いますぐに新生活をはじめないと遅すぎることになるのじゃないか?」と弟は説得的な冷静さでいった。
 「新生活か、僕の草の家はどこにあるのかね?」と僕は弟をひやかしたが、新生活という言葉が僕を揺り動かしはじめていることは認めざるをえない。
『万延元年のフットボール』大江健三郎 -「一族再会」

 友人の自殺と頭に欠陥がある障害児の誕生を受け鬱屈した主人公・蜜三郎は、明け方浄化槽を作るために掘られた直方体の穴にうずくまり友人の死にすっかり取り込まれてしまっていた。そんな下降の一途をたどる日々の中、アメリカから帰国した弟・鷹四からの誘いで故郷の四国に向かうことに。打ちひしがれている兄を見て弟は「新生活をはじめなければならないよ」と故郷での再出発を提案する。それを受けての主人公・蜜三郎の台詞が「僕の“草の家”はどこにあるのかね?」と言うもの。
 ここで書かれている“草の家”の意味を、十分に理解しているとは言えないが、現在入院している自分の状況と重ね合わせて「あぁ、私もその新生活を始めるための“草の家”を求めていた。今回の入院及びこの病室が、私にとっての“草の家”なのだろう」と勝手に納得した。

 しかし、その“草の家”の幻想は、早々に崩れ去ってしまう。

不安との闘い 安心という幻想

【日記】 2022.⚪︎.×
昼からずっと頭が痛くて、処方された薬を飲んだけど、全く効かない。持参した頭痛薬を飲ませてほしいと言っても、先生に確認しないとダメだと言う。どうしよう⁇自室で横になる。痛みは酷くなるばかりだ。
*
 何故、入院してから苦しい思いしかしていない⁉︎
1人で耐えるのが嫌だから入院したのに…。ここでもこんなに我慢するの、意味が分からない! 抗議に行こうとナースステーションに行くも、誰もいない。仕方なしに、ロビーの椅子に座って泣いていた。するとなんとなく痛みが退いてきて、10分程そこに居て、自室に引きあげた。

 秋の夜明けの百分間の穴居生活を開始したと信じていたが、妻の眼には、いまなお僕が浄化槽のための穴ぼこの底に、熱い犬を抱き尻を濡らしてじっと坐りこんでいるのと同じように見えているのである。羞恥心がネズミそっくりの僕の躰じゅうの毛細血管の隅々まで浸透して賤しく発熱させる。終始よっぱらて自分に閉じこもっている妻の眼にすらそれが明らかであるとすれば、僕が「期待」の感情に再びめぐりあうことはますます困難だ。新生活、草の家? それはおそらく絶対に僕に訪れてくることがないのだろう
『万延元年のフットボール』大江健三郎 -「百年後のフットボール」

 私がこの入院で求めていたものは「安心」を得ることだった。とにかく日々不安に脅かされていて、安心できる瞬間が一時もないような毎日だった。明日も無事に過ごせるか、はたまた明日にならぬうちに終わってしまうのではないか、という常に切羽詰まった状態だった。病院にいれば、たとえ早朝だろうと深夜だろうと発作が起きても看護師さんがいるので安心だ。何があっても助けてくれる人がそばにいる。これほど心強いことがあろうか。
 しかし、実際入院してみて不安が消えたかというと、「安心」が得られたかというと、そうでもないことが早々に分かった。

【日記】 2022.⚪︎.△
 本読んだり、考えたりして思った
私は今まで、出来ることはやって来ている、フランクルの「創造価値」、行動すること(ゲーテ)、積極的にやって来たつもり。ようは、課題になるのは「態度価値」、、、。この状況で、いかなる態度を取るかということ。

【日記】 2022.⚪︎.△
 気分が落ちてくる。明確に、頭の中がぐしゃぐしゃに黒くなっていくのを感じた。頭が重く、思考がモヤがかかった様になる。

【日記】 2022.⚪︎.◻︎
 昨夜、薬を飲んでも苦しいのは治まらず、今朝3時に起きて気分が悪かったので、頓服薬を飲んだ。
 気持ち悪さと、筋肉がガチガチに固まる感じがある。これは(薬以外で)どうほぐせば良いのだろう。

【日記】 2022.⚪︎.×
 ここ(日記)に書いたことをしっかり伝えられて、ここ(病院)で感じた不満とかを、それが解決するしないは置いといて、誰かに「言う」ことで少しラクになる、みたいなことはとても良いと(先生に)言ってもらえた。 

孤立無援の闘い

 入院生活の中で不満に思う点がいくつかあったので、それを主治医の先生に相談したり希望を出したりと、普段苦手としている「思っていることを言う」をなんとか頑張ってやってみて、現状を少しでも良い方に変えようと努力した。しかし、なかなか落ち着ける環境にはならず、それでも先生も看護師さんも私のために尽力してくれてるという思いもあって板挟みのような状態になり、またもや身動きが取れない安心とは程遠い気持ちで過ごす日々が続いた。

【日記】 2022.⚪︎.△
 気分が落ち込む。「皆、自分のことで精一杯」なことを嫌という程感じる。
 私の要望に応えてはくれたものの、逆に居心地が悪くなり、気分が落ちた。皆、患者の神経を刺激しない様にと疲労している様に思う。気を遣わせてしまって、申し訳ない。
*
 どんどん気持ちが内に閉じていってしまう。これは実家だけで感じる不快感や反抗心なのかなと思っていたが、そうでもないと分かった。(知らない人と集団でいても起こる。)

 現在のように外部から自分が自由に解放されているのを感じている時、純粋に自分自身の内部のみに関わって気が滅入ってくるのを感じ(中略)…あの朝、寝室に戻ってからいつまでも克服できなかった震えと痛みの思い出に、あらためて僕は埋め尽くされた。新生活、草の家、それはこの谷間で僕を待ち受けているものではなかった。僕はあらためて孤立無縁に、希望の兆候はいささかも見出さず、弟の帰国以前よりあきらかに深まった気の滅入る時間を経験しているのである。僕はこの経験の意味のすべてを知っている。
『万延元年のフットボール』大江健三郎 -「本当のことを云おうか(谷川俊太郎『鳥羽』)」

【日記】 2022.⚪︎.△
 出掛けようとして気分が悪くなる。横になって少し寝る。起きると心臓がドキドキする。発作の予兆。
 安心だと思ってた病院でも発作が起きてしまう。内に籠ってしまう。
 結局、安心していられるために必要なものなんてものは幻想で、どこに居ても人に対して、嫌悪感や居心地の悪さは持つものだと、分かっただけでも良かった。

【日記】2022.⚪︎.◻︎
発作の予兆を自力で(薬なしで)くぐり抜けた。
もう、どうにでもなれー。どうせ少し苦しいのが発作の症候と結びついてるだけなんだから、とか思ってた。
*
皆、自分のことで精一杯だー。
どうでも良くなってきた。自分が憐れで。皆、疲れてる。
わははははハハハハハハハ(*^o^*)

 入院生活の後半は、上の日記で分かるように一周回って開き直って全てを嘲笑する態度で過ごした。良くはないんだけどそういう心持ちでいないと耐えられない精神状態でもあった。数週間入院してみて痛いほど感じたことは「皆んな大変だ」ということだった。入院前の、少しは人とコミュニケーションを取ることで自己肯定感が上がるかも等の期待は、儚くも散ったのだった。やはりそう簡単には、10年程付き合ってきた病は治らない。しかも自分はもう大人なのだ。そんな、周りの大人が無条件に優しくしてくれるような年齢でもないのだ。分かってはいたが、想像していたより冷酷な現実を突きつけられてなんだか拍子抜けしてしまった。期待は裏切られ、新生活を始めるための草の家も、ここには無かったみたいだ。一人暮らしの家で感じるのと同程度の孤独を、病室のベッドの上でも感じ、次の日の朝に訪れるであろう発作の兆候を恐れながら眠った。

「期待」回復の兆し

 しかし、転機は退院するときになって訪れた。
 退院する前日、先生と面談をした。「この入院期間で、思ったような成果が出せず自分としても残念に思うのですが…」というような内容のことを先生に言われ、まぁその通りだし、そうやってちゃんと言ってもらえた方がこちらとしても楽なので「いやぁ、まぁどこにいても変わらず居心地が悪くなってしまうことに気付けたのはいい収穫でした」と返した。

 退院当日。詳しいことは書けないのが残念だが、嬉しいことがあった。最終日の担当の看護師さんが私に話しかけてくれたのだ。看護師さんの側から話題を振ってくるようなことがこの入院期間中本当になかったので(私はそれを求めていた)、私はとてつもなく喜んだ。しかもその内容というのが、私とその看護師さんのパーソナルな分野において繋がっている類のことだったのでより嬉しかった。そのとき、私は本当に久しぶりに、人と心が通じあえたと感じた。私は感動して、その看護師さんと別れた後もずっと心が暖かく、生きている実感を感じていた。生きていて良かった、と心の底から思った。

 それだけではなかった。先生が、私の母親に対してこれまでの入院生活について説明する時間を設けてくれて、そこで今回の入院で達成できたこと/できなかったこと、そして私という人間がどうしてこうも生きづらさを感じるのか、その生活の困難に対してどういうアプローチをすれば良いのかなどを、事細かに分かりやすく話してくれたのだ。

 具体的に言うと、私は「ここじゃないどこか」へ(常に)行きたい人、であり、どこに居てもしばらく経てばそこでの居心地の悪さを感じてしまう性分だということ。これに関しては、一人暮らしの家や実家以外にも、通所している施設や父親の家などいくつかの場所に居場所を確保しておいて、その間を都度都度行き来して心の安定を図ることが推奨された。そしてもう一つは私の「過敏さ」について。長くなるので割愛するが、その「過敏さ」のおかげで何をするにも他の人たちより多くの努力や忍耐を必要とするのだ云々について、事細かに母親にわかりやすく説明してくれた。

 母親はそれを険しい顔をしながら頷きつつ聞き(母親も私という人間を理解するのに難儀し苦しんだはずだ)、「今まで分かってあげられなくてごめんね。」と私に向かって謝ってきた。正直今謝られてもという感じではあったのだが、それにしてもこうも的確に、私の人生における愚かしくもつまらないおよそすべての煩悶(万延元年より引用)が、まぁ全てではないにしろこうして人に伝わるものなのか、と感動した。先生がこうやって私の生活における偏向を説明し、解決策を提示してくれたことで母親の理解も得ることが出来、今後に対する「期待」もまた復活し(あのもう再び回復することはないと思われた「期待」!)、「こんなに風通しが良くなるものなのか」としばらく呆然とした。なにはともあれ今回の入院は意味のあるものだったのだ。

*

再出発

 物語の終盤、主人公・蜜三郎は弟の死を受け、妻の助言もあり、アフリカで通訳の仕事を引き受けることを決める。障害のある子どものこと、四国の谷間であった悲劇を整理し受け入れ、次の一歩を踏み出す決意を固めるところで物語は終わる。

 物語はこんな文章で締め括られる。

 草原で待ち伏せする動物採集隊の通訳責任者たる僕の眼の前に、巨大な鼠色の腹へ「期待」とペンキで描いた象がのしのし歩み出て来ると思っているわけではないが、いったんこの仕事を引きうけてみると、ともかくそれは僕にとってひとつの新生活のはじまりだと思える瞬間がある。すくなくともそこで草の家をたてることは容易だ。
『万延元年のフットボール』大江健三郎 -「再審」

 ◯

 今回の入院で判明した「ここじゃないどこか」へ行きたいという私の性分を、先生が説明してくれる際に「そういう人はね、ある程度居ますよ。なんていうか、“旅人”のようなね、生き方をしてますね、そういう人は。」と言われた。旅人。その言葉を新たな「予言」のようなものとして受け止めた。私はこれから、一処に留まらず、様々な拠点を行ったり来たりしながら生活していくのだろう。それは療養のためでもあり、“旅人”として真に生きていくための過程となるだろう。本来の自分として。

(終)









ウィリアム・ブレイクの詩
That Man should Labour&sorrow,learn&forget,
&return/To  the dark valley whence he came, to begin his labours anew.

(人間は労役せねばならず、悲しまなければならず、そして習わねばならず、忘れねばならず、/そして帰っていかねばならぬ、彼のやってきた暗い谷へと、労働をまた新しく始めるために。)
『新しい人よ眼ざめよ』大江健三郎


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