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13. 堀野正雄

数年前の東京都写真美術館での展示「『光画』と新興写真」で見掛けてメモしておいた写真家、堀野正雄。
日本の近代写真の展開に寄与した人物でありながら、戦後は写真家としての活動を断ったことで「幻」とも言われるその活動を調べてみました。

感想を交えつつ、ざっとその写真史の変遷を辿るとこんな感じ。

・写真を撮り始めた1920年代後半
縁あって新劇を上演していた築地小劇場で演劇や舞踊など身体表現を撮影するように。
動きの熱や質感をそのまま画面に映し込むことを目指して、写真という表現の限界を探っていたようです。
被写体の代表に高田せい子さんや石井漠さんが挙げられていましたが、個人的には花柳はるみさんの妖艶な表情や“演劇”の瞬間を切り取ったクロチルド・サカロフ夫人の写真の方に惹かれました。(と言っても演劇界に疎く、どなたも存じ上げないのですが……)

・撮影実験の始まる1930年
モダニズムという時代の流れや美術評論家の板垣鷹穂の影響を受け、機械的建造物の撮影を始めます。
同時代に「光画」という新興写真の雑誌も刊行されますが、堀野も新興写真を代表する写真集「カメラ 眼×鉄・構成」を出しました。
この時期の作品が展覧会で取り上げられていた写真群だったのじゃないかと記憶しています。

新興写真とはこれまでの絵画的な写真を否定し、現実をあるがままに捉える「機械の目」としての役割を重視する写真表現です。

写真を、映画を生きた社会から切り離すことに我々は反対します。
社会の生きた姿の視覚手段に依る正確、迅速な指導者、記録者としての可能性をはっきりと認識すべきことを我々は主張します。
「国際光画協会設立趣意書」より

これらの写真からは、モノそのものの形を切り取る眼差しが伝わってきます。
彼らがスナップ写真でリアルを伝える道を選ばなかったのには、カメラの性能的問題もあって、あまり動かないものの方が上手く撮れたのでは? とも思いますが、
堀野はここでも新しい写真表現を模索し、写真に何ができて何ができないかを考え続けます。

その新しい表現が、一枚の写真ではなく、複数の写真を組み合わせ、そこに文字を入れメディア化したデザイン「グラフ・モンタージュ」です。
活版印刷の味のある文字と何枚もの写真、社会性の強い内容の文が一緒くたになって視覚に訴えかける記事は、写真一枚一枚を観賞するのではなく、全体のデザインとして眺める見方が適していると思われます。
文章を書いているのは別の方で、本人がプロレタリア芸術を目指していたのかは分からないのですが、誌面の組み立て方に報道の意識が窺えます。

特に「首都貫通 隅田川アルバム」は秀逸です。
扉ページで写真を曲線で繋いで川を表現する手法は大変目を引きますし、そのまま全ページを川が貫き、テーマの一貫性を強調しています。最後、川が海に流れ込むところではまるでマンガのように、一枚の写真の上に同じ写真を縮小したものがもう一枚、二枚と重ねられて余韻を残します。
全体が美しくまとまった作品と言えるのではないでしょうか。

・作家として報道写真を
様々な実験を経てスナップ写真に辿り着き、写真単体で何かを伝えようとする意図を感じる作品になってきます。
もう人工物の形を面白がるような表現はないのかなあと思いきや、1936年頃の「雪けむり」、「女学生の行進、ガスマスク行進、東京」などにその趣味が窺えます。(ガスマスクをつけた女学生がずらっと並んでいる様は、白昼夢のように見えてとても奇妙です。わたしの目には、実際にこういうことがあったんだ、という実感よりは、見た目の珍妙さが上回っています)

それから同時期に、「婦人画報」「主婦之友」といった婦人雑誌に女性を被写体とした作品を発表するようになります。広告写真も散見されます。
どの写真も開放感があって、自由で元気! 生き生きした女性たちは当時の読者の憧れや活力になったんじゃないかなあと思います。

・大陸へ渡る
朝鮮総督府鉄道局の依頼で朝鮮全土を撮影したことをきっかけに、その後も陸軍報道部嘱託として大陸での撮影を展開します。

戦争なんてどこ吹く風の日常的で明るい写真の数々は、元々記録として誰にでも理解できる報道写真はプロパガンダと相性が良いので、国策プロパガンダと重なってしまいます。
本人は本当の意味での王道楽土、五族協和を目指していたのではないかという話もありましたが、ともかく、堀野は上海で終戦を迎え、ネガ数万枚を焼却、カメラも手放しました。

引き揚げ後は写真家としての仕事を得られず、写真現像や写真機材に関わる仕事に就き1998年に亡くなったそうです。


印刷された写真からは分かりませんが、科学的な視点から写真を撮っていた人で、撮影・印刷技術に相当こだわっていたらしく、材料を研究して色味を忠実に再現しようとしたり、印刷した写真を劣化させないよう工夫したりなどのエピソードも。戦中は「アサヒカメラ」などでアマチュア作家向けに写真ハウ・ツーも執筆していたそうです。

写真自体の傾向としては、わたしはデザインとして見がちだけれど、本人は報道の意識が強かったようですね。土着的なものや貧困への問題意識、女性の解放といった思想と西洋への憧れが混ざり合って、印画紙の上に像を結んだ、それが堀野正雄の写真でした。


今回参考にした書籍は以下の通り。
・幻のモダニスト 写真家堀野正雄の世界
堀野正雄、東京都写真美術館 著 国書刊行会 出版
図版が多く、読み応え充分。
グラフモンタージュが見開きで印刷されているのが分かりやすくて良いです。
今回最も参考にした文献。

・満蒙開拓団の回想
堀野正雄 著 堀野洋子記念親洋会事務局 出版
貴重な本人の言葉を読むことができる本。
覚え書は大体が科学的技術の話に終始していますが、内容はまさに報道写真。都会の暮らしを懐かしみつつ、現地のたくましい暮らしをよく捉えています。
そしてやっぱり女性讃歌。

・日本の写真家12 堀野正雄
岩波書店 出版
写真の印刷が鮮明で大きく、紙質が良くて読んでいる時の手触りが心地よいです。
掲載されている写真はほぼ「幻のモダニスト」とかぶっていて、解説も「幻のモダニスト」に寄稿していた金子さん。


ロシア構成主義っぽい雰囲気を感じる光画や新興写真のイメージを持って調べたので、想像とは違いましたがなかなか勉強になりました。
まあモノの形で遊ぶような写真の方が好みではあるんですが……図書館で調べ物をする時間が楽しいです。

ではまた。


最近色々な方の画像をヘッダーに使わせて頂いています。ありがとうございます。

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