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クリアしたいゲームと差し込んでるカセットは合致しているかい?

前回は自分にとって「絶対にやりたくないこと」について考えてみた。

今回は「自分の置かれている状況」を整理してみたいと思う。

私が蜘蛛の糸のようにすがりついた先人はエリクソンである。
アイデンティティや発達理論などの言葉を聞いた事があった。
いずれ彼の著書のいくつかを読んでみたい。

ふと目に止まった記事で見つけた彼の心理社会的発達理論を借りて解釈してみる。
この理解が学問的に正しいかどうかは今は文字通り棚に上げておく。
棚に上げたものたちは忘れられていくのが定めであるが、そこは未来の自分に期待したい。

12~18歳頃は「青年期(adolescence)」です。立ち向かうべき心理社会的危機は、「アイデンティティー対アイデンティティーの混乱(identity vs. identity confusion)」。
(中略)
「自分はこういう人間だ」とある程度確信できるようになれば、アイデンティティーが確立され、「忠誠(fidelity)」という力が得られます。自分で選んだ価値観を信じ、それに対して貢献しようとすることです。たとえば、「○○の国民として義務を果たそう」「地球に住む生き物として、自然環境を守らなければ」などと強く思い、行動することが該当します。 

https://kodomo-manabi-labo.net/erikson-developmental-stages

18~40歳頃は、「初期成人期(young adult)」と呼ばれています。乗り越えるべき心理社会的危機は「親密対孤立(intimacy vs. isolation)」です。

生まれた家庭や学校を離れ、多くの人と関係を築く時期。恋愛を経て結婚に至る人もいるでしょう。新たな家族や友人との長期的・安定的な関係を通し、「愛情(love)」という力を獲得します。幸福な人生を送ることにつながるでしょう。

https://kodomo-manabi-labo.net/erikson-developmental-stages

40~65歳頃は「壮年期(adulthood)」です。克服するべき心理社会的危機は「ジェネラティビティー対停滞(generativity vs. stagnation)」。

ジェネラティビティーとは、エリクソンによる造語で、「次世代育成能力」などと訳されます。子どもを育てたり、職場の後進を育成したりなど、のちの世代に貢献することです。自分の時間やエネルギーを子どもや若者に使うことで生きがいを感じるという人も多いのではないでしょうか。次世代への貢献により、私たちは「世話(care)」という力を獲得します。

https://kodomo-manabi-labo.net/erikson-developmental-stages

現在の私が対峙している課題は「愛情の獲得」と「次世代への貢献」のための価値観の再構築ではなかろうか。

私は、テクノロジーを通じて社会に貢献すべしという価値観を労働を通じて満足させてきた。
そして妻と出会い、2子を授かり、あれよあれよと月日は流れて、今では家族と安定な関係を構築すべしという価値基準が重要な地位を獲得している。
さらにそこから共同体や次世代を支援すべしという価値基準が枝分かれするように少しばがり伸びかけているような格好だと思う。

つまり、これまでの「仕事で社会貢献だ!」という価値観に従ってバリバリ行動すると、新しく登場した「家族ケアでごわす!」と「子供支援でやんす!」という価値基準とは利害が一致せずに対立を生む場面が出てくる。
これらの価値観の利害対立が惑いの根源ということか。

複数になってしまった価値基準たちを詭弁でも何でも良いから繋げたり最適化して自分が納得できれば少しはスッキリするかもしれない。
私は解決の糸口を掴んだかもしれないと心の中で小躍りした。
続きは次回の「社会的意義とすり合わせる」で考えよう。

今回は自分の置かれている状況について考えた。
気づけば壮年に片足を突っ込んでおると震えるもう片方の足を抑えつつ、ライフステージを客観的に見つめてみると自分が惑うのは当然のことのように思えてきた。

そして、誰かが構築してきた価値観を安易に否定することなく、その人の人生から価値観の遍歴を感じようと向き合っていく、そんな心持ちをしていきたいものだと思った。実践するのは難しいのだけれど。

ではまた次回、お楽しみに。ちゃん。

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