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すべては経験なのだから

だから、どんな感情も味わえばいい。

というのを、娘の部活動を通じてちょっと思ったり。

先日、娘2号のバスケ部の大会があった。全国大会まで続く夏の大会ということもあり、どのチームも気合いっぱいで、ちょっぴり緊張感が漂う体育館。

毎回応援と声援と拍手に夢中になり、「ねえ、公式戦はビデオに撮っといて」と叱られるので、今回こそちゃんと撮ろうと決める。

試合前、応援席のベンチは見慣れた顔の保護者が楽しそうに歓談している。いいな、その輪に入りたかったなと思いつつ、ひとり離れた中央に立つ。

大一番のトーナメント初戦、ここで負けたらこのチームでの活動は終了で上級生は引退。だからもう、自チームに勝って欲しい親御さんや友人たちで、会場は異様なまでの熱気と声援の綱引き合戦になっていた。

私も普段は走れだの何だと声を出してしまうが、ビデオに私の声援にもならない雄叫びが残るのだけは是が非でも避けたく、ぐっと黙ってビデオを撮る。

会場の盛り上がりと裏腹に、声援もなし、拍手もなし、シュートが入ったら右手でガッツポーズ程度。

そうすると、どうなるか。

やけにひとり、冷静になっている自分がいる。そしてこう思う。

「まあ、勝っても負けてもどっちでもいいかな」

いやいや試合は序盤、スーパー不謹慎な発言きわまりない。

それは一体化した応援の渦から離れていたからかもしれないし、負けた時の自分への保険的言い訳なのかもしれない。

でも、よくよく考えたら、親は今日この日までの練習メニューも量も詳しく知らないし、そもそも練習自体をちゃんと通して見たこともない。

死ぬほど苦しい練習や、顧問からの指摘などもあった筈。試合だけ見てああだこうだ言える立場じゃない。走れー!って?メロスかよ!じゃあオマエが走れよ、って言われそう。無理だけど。

もちろんスポーツの勝負の世界なので、勝ったほうが嬉しいし、次のトーナメントに繋がるのは確か。

ただ、負けたとしても、そこで味わう感情は宝物になる。どっちの感情も長い人生の中で味わっておいて損はない。

だから、どっちでも良かった。勝者でも敗者でも、いずれかの感情を味わうことができるこの場に居れること、それ自体がもうグッジョブだ。

だから、そこで何を感じて成長するんだろうな、と思いながらビデオを撮っていた。

試合はラスト3分で猛追劇を見せたものの、あと一歩及ばず惜敗。ワンワン泣く娘とチームメイトを見て、その気持ちこそ宝物だし、感受性豊かな思春期の娘とその仲間たちにどう残るんだろう、何に繋がるんだろうとも期待する。

家では強気なジャイ子である娘が、背中を丸めて目が腫れるまで悔し泣き。その感情の全てを味わう娘を見て、はじめて涙がこぼれた。

すべては経験なのだから、どんな感情でも味わえばいい。

スポーツで熱くなりがちな親が、黙ってビデオを撮ってみたら、面白い気づきがあった、という話。

7月1日 サカシタカオリ

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