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「宝くじ」

宝くじがあたった。
しかし、私が購入した宝くじではないので、「あたった」というよりも「あたっていた」という他人事のような感覚が拭えない。
当選金額も他人様に言えば驚かれるような額だった。
銀行へ行き、全額現金で受け取ってきた。
銀行からの帰り道はいつもと変わらず、家に着き、ダイニングテーブルに広げた札束の重なりを見ても何の感情も湧いてこず、むしろその存在が邪魔に感じ、銀行に預けなかったことを少し悔やんだ。

1年前に息子が事故で死んだ時、私は既にうつ病だった。
何かのきっかけがあった訳でもなかったが、物心ついた時から常に私は鬱々としていた。
息子が大学生になる頃には、私の落ち込みは頂点に達し、会社を退職した。
息子は映画監督になりたいと言い、昼間はカメラを持って大学へ行き、家へ帰れば、夜な夜な脚本というものを書いているようだった。
私は生まれてから、何かになりたいと願うことも、何かをしたいと望むことも一度もなかった。
そのため、息子のひた向きさに対して、純粋に尊敬の念を持っていた。

夏のある日、息子が宝くじを買って帰ってきた。
宝くじ売り場に長い行列が出来ていたのを見て、自分も並びたくなったということだった。
息子が買ってきた5枚の宝くじは、鞄にも入れられず、手に握りしめられたままだったので、しんなりと折れ曲がっていた。
その次の日に息子は死んだ。飲酒運転により暴走した車が歩道に突っ込み、そこに居合わせた息子は命を落とした。
息子が死んだことについて、私は何の感情も湧かなかった。
そういうものだったとしか受け入れられなかった。

通夜葬式を終え、家に着き、ダイニングテーブルの椅子に腰を下ろした時に、くしゃくしゃになった5枚の宝くじが目に入ってきた。
当選番号を確認しようと思い、新聞を手に取り、1枚1枚の数字にをたどったところ、3枚目に確認した宝くじが当選していた。
当選金を手にした時、私は、このお金を早く消費しなければならないと思った。このお金そのものをどこか息子の存在のように感じている自分がいた。
しかしそれは、悲しさというよりも、後ろめたさに近い感覚だった。
まずはお金を物理的に消し去ることを考えた。トイレに流す。コンロで燃やす。庭に埋める。しかしそれを行うことには罪悪感があった。
この時、私にもそのような感覚があることに少し安心した気持ちになった。
どうせお金を使うならば、短時間で大金を消費できるところをと思い、キャバクラへ行くことにした。あそこなら、何をせずとも時間が立てば、自然とお金も減るだろうと考えた。
しかし、実際に足を運ぶと、数分前の私を呪いたくなるほど、地獄のような時間を過ごした。そもそも私が極度の人見知りであるということを完全に忘れていた。女の子たちは私の安い身なりを気にしてか、高いお酒も勧めて来ることはなく、ただ時間ばかりが過ぎて行き、最後のほうは眩暈を起こし、店内のネオンが歪み、万華鏡のようであったことしか記憶に残らなかった。
どうせお金を使うならば、良いものにお金を払いたいということで、ブランド店に限定商品販売の行列に並んでみたりもした。しかし、いざ商品を手に取ろうと思っても、欲しいものがないことに気づき、結局、息子に似合いそうなTシャツ1枚を購入して、外に出た。
いなくなった息子のように感じたお金を消費するために、お金を使い息子を思って物を買う自分に、情けなさを感じるとともに、滑稽になり、ブランド店が立ち並ぶ並木道の真ん中で、声を出して笑った。
明日はどうやってお金を使おうか、息子の顔を浮かべながら、私はまたゆっくりと歩き出した。

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