原作との比較考察を試みる~創作大賞感想~

勝手に創作大賞に応募されている作品を読み、勝手に思いをつづっていきます。
作者の方の本意に沿わない解釈もあると思いますが、ご容赦ください。
(たぶん、我々が小説を読むとき、作家の皆さんもそう思われているのでしょう。)

1.今回の考察の概要

今回、「#創作大賞」がつけられた投稿の中から、なんとなく興味をひいたこちらの作品について書いてみます。ライターの方、勝手に引用することをお許しください。(意識レベルで理由はありません。自分の無意識にある何かが、注目させたのでしょう)

何かの作品のオマージュというか、既存のストーリーを改変した作品を読むと、職業柄か、原作と比較する中で「意味」を考えたくなるんですよね。なので、原典比較をして、意味もなく「意味」を考えてみようと思います。

2.意味もなく疑問を挙げる

職業柄か性格の問題か、ものすごく「意味」を意識してしまいます。今回読ませていただいた作品で言えば

・どうして35歳なのか
・「太郎を上手に書ける」ことは何かの伏線か
・「江口洋介」も伏線か
・上司の鼻毛が持つ意味

など、スタートからいろいろ考えてしまいました。
「江口洋介」なのは作者さんの世代だろうし、「上司の鼻毛」も太郎の中の何かが切れる偶然のきっかけに過ぎないのかもしれません。(ちなみに、「鼻毛」であることによって、読者が上司に対して「潔白さ」「敬い」を抱かず、「嫌悪」の対象にさせつつ、ユーモアものぞかせるような一場面になっているのかなと思いました。これが例えば「残り一本の髪の毛」だったら、「ユーモア」が勝ったり、上司の愛嬌・かわいらしさが出てしまう気がします。)
その中で、最も気になったのが、原作からの変更点です。現代版にしたために起きた異同、たとえば

・浦島太郎の身分
・マニュアル化された流れ(接客には「マニュアル」が存在する思考。接客と見ること自体が現代的か)
・ヒラメの違いについて(表舞台で脚光を浴びる者と日の目を見ずに消える者?)
・「火災報知器」

などといったものはありますが、意図的につけられた変化に注目することが、作品のテーマを読むのに重要な姿勢だと思うのです。今回、僕が注目したのは「人物につけられた心情」です。

3.ひんやりする人間関係

現代風にアレンジされ、登場人物たちの心情を明記した結果生まれたのは、「冷たい人間関係」ではないでしょうか(「人間」というと少し違いますが)。
原作『浦島太郎』には、老人になってしまうというバッドエンドはありながら、話のところどころに「人のぬくもり」が感じられる内容になっています。

①亀を救った浦島太郎
②亀の純粋さ
③乙姫のもてなし

でも、(現代人の視点から)感情をのせた結果

①亀は偶然助けられたに過ぎず、むしろ子供たちの反応からくる嫌な印象が残る。
②少しひねくれた亀。助けてくれたはずの「太郎」を嘲っているようにさえ見える。
③営業的な乙姫の振る舞い。マニュアル化された接客、帰り際の態度など。

というように変わっているように思います。そのどれもが、他者との距離を感じるものです。特に②や③は表向きの感情・行動と、本音の部分の差が気味悪いというか、でも一方で本音と建て前をもつ人間の性質を如実に表した存在だなと思いました。

あまり会社になじめておらず、竜宮から帰った後も社会と疎遠になることになる展開も含め、「個人と社会の間に微妙な隙間がある現代社会」の雰囲気が、現代版『浦島太郎』の世界に出来上がっているような印象を受けました。
冒頭で「冷たい人間関係」と書きましたが、表向きは歓迎しているから、「冷たい」は言い過ぎかもしれません。この点をふまえ、「ひんやりする人間関係」というのはどうでしょうか!(ちょっといい感じのことを言いたかっただけ)

4.最後に

原作『浦島太郎』に現代人の視点から「心情」を入れることで、現代の人間関係が浮き彫りになったように思います。
このように考察しましたが、ストーリーを楽しく読ませていただきました。フッと笑えるような描写がところどころにあり、夕空を「桃色を経由して橙へと変わる頃」と表現したことには、空の見え方の感性が見えて興味深かったです。僕は青から橙になるとしか思ってなかったので。
こうやって創作を読むと、その方の思考や感性が見え隠れしていて、おもしろいですね。作家がどのような人か見えない分、人生のいくらかが公になっている作家が書いた作品を読むのとは違った楽しみがある気がします。
書かれた方へ、読ませていただきありがとうございました。

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