Chick Corea Trilogyを見た 19.04.08

仕事が決まらない間は休みだ。今日も昼過ぎに起きる。

起きたら先週履歴書送った会社からメールが来ていた。予想はしていたが不採用だ。決まるまではこれを繰り返す他ない。

役所に行き国保の加入手続き。「年金の手続きも一緒にやりますか?」と言われ、その書類置いてきちゃったな、と思ったが後で見たら同じ紙だった。とは言え想定してなかったのでまた今度。仕事が決まったらまた来なければならない。外出すると鼻水が出る。

珍しく夕方のライブ、まだ明るい時間に出かける。というのも、予約しようとした時にはすでにその回くらいしか枠が残ってなくて、そこへ滑り込んだのだった。その時はまだ仕事してて、休日でよかったなと思ったが、今や全部休日、いくらでも動き放題である。いいのか悪いのか。あまりいいと言えない感じではある。


Chick Corea Trilogy。チック・コリア、クリスチャン・マクブライド、ブライアン・ブレイドというトリオは、現代最高峰のピアノトリオだ、と言って差し支えないだろう。

実際、言葉が出てこないくらい、なんというか究極のものを見たな、と思う。チック・コリアは、いつものことだが異様に肩の力が抜けてて自然体で演奏してるし、一度弾きだすと途端にチック・コリアの世界だ。マクブライドとブレイドという2人は、チックのバックアップではなく、かといってバックを任せて突っ走るプレイヤーでもない。3人が3人とも同じ方向を向いているし、目指す場所が同じところにある、というような感じだ。以前、ジェイソン・モランのトリオ(ザ・バンドワゴン)を見たとき、まるで一人の人間の手足のように息が合っている、と思ったが、そういう感じともなんか違う。

チック・コリアの音楽的コミニュケーションの取り方であるとか、クリスチャン・マクブライド、ブライアン・ブレイドの、テクニックや”歌心”に留まらない、音楽的な熟練度、というものであると思うのだが、こういうものは何年かかれば出来るんだろう、という不毛な疑問が頭に浮かんでしまう。

きっと彼らにとって、音楽、ジャズ、演奏というのはもう体の一部であり、言語の一つではないか。ということを言うと途端に陳腐というか月並みな表現になってしまい、プロのジャズミュージシャンはみんなそうだ、と言われてしまいそうだが、しかしここまでのことが出来る人はプロといえどほとんどいない。これほどリラックスしたまま、高度な音楽的コミニュケーションをとっている演奏を、僕は他に見たことがない。3人が目指す音楽性が一致していなければ、こんな表現は不可能だろう。

あーなんだろう、どう書いても何書いても伝わらないなー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?