Kamasi Washingtonを見た。 19.09.02

毎年数々のライブを見に行っているが、これだけは何にも優先して行かねばならない。カマシ・ワシントン。カマシが来るとなったら、サマソニでも、フジロックでも行った。今年はそれが、リキッドルームだった。


カマシ・ワシントンのバンドは、2ドラム、1ベース、1キーボード、3ホーン、1ヴォーカル、というのが、ツアーの定番メンバーだ。大所帯に違いないのだが、見慣れてしまったせいか、もはやコンパクトなバンドに見える。そして今回のメンバーで最も注目すべきは、紛れもなくBIGYUKIだ。

カマシ・ワシントン率いるWest Coast Get Down(またはThe Next Step)のレギュラーメンバー、ブランドン・コールマンは現在自身のリーダーバンドで活動しており、BIGYUKIの参加はその代役である。NYで活動するBIGYUKIがなぜLAのカマシのバンドに?とも思うが、ハービー・メイソンの下での共演がきっかけだったという。そういえばカマシの初来日はハービー・メイソンの”カメレオン・バンド”だった。
ブランドン・コールマンは現代のファンク魔術師といったキーボード奏者で、カマシ・バンドではリズム隊のファンクネスを担う一人だし、ショルダーキーボードでジミヘンのごとく弾きまくる姿もメチャメチャカッコいい。
とはいえブランドンの不参加と、BIGYUKIの参加ということには、微塵も心配は無かったし、むしろとても嬉しく期待していたし、もし心配があったとしたらそれは杞憂に終わっただろう。確かにファンクネスは多少減ったのかもしれない。でもオブリガードやバッキングで絶妙に絡んでいく様は、今年の1月にも見たBIGYUKIそのものであり、カマシ・バンドに新たな感覚をもたらしていたのは間違いない。
っていうか、あの超絶怒涛のカマシ・バンドに、我らがBIGYUKIが入ってるなんて。


僕が好きなのはベースのマイルス・モズリーで、彼はウッドベースながらエフェクターを駆使し、凄まじく音の太いエレキギター、みたいなソロを弾く。しかも歌が上手い。確か最初の来日時だったと思うが、彼はその超絶ベースソロから「Voodoo Child」を弾き、僕はめちゃめちゃ興奮したのだった。今回は彼のリーダー作から「Abraham」。これは記憶の中ではフジロックでも演奏された曲で、観客とのコール&レスポンスもあってメチャメチャ盛り上がる。今回も案の定、である。しかし歌が上手い。


カマシと言えば、山脈のようにピークが連続するソロ、という印象は今でもある。確かにこの超弩級のメンバーを従えていても、カマシはやはりエースに違いない。しかし今回のライブ、カマシがソロで上り詰めていく、という展開ではなく、アンサンブルとして、バンドとして盛り上げていく、という方向に軸を置いているように思う。勿論ソロを吹かせればこれ以上の人はいないのだが、テーマの中でホーンのメロディを変化させていったり、それに反応してリズム隊が変化したり、それ込みで盛り上がっていく。カマシひとりではなく、バンドを巻き込んで展開していく、という印象。
それはきっと『The Epic』を引っ提げた最初の来日公演から、年を経るごとに、『Harmony Of Difference』『Heaven And Earth』とアルバムを出すごとに、徐々に変化していったのだと思う。それはこれまでのライブで、薄々感じていることではあったが、フェスではなく、このフルスケールの単独公演で、その完成が見られた。そんな気がする。

1年ぶりに見たカマシ・ワシントン。そのスケールのデカさを思い出し、このスケールの演奏を、東京ジャズで、NHKホールでやったのかと思うと、凄まじいことだなと感じる。なぜか恐ろしいとすら思う。勿論、リキッドルームとNHKホール、単独公演とフェス出演では色々と違うところもあるだろうが、このスケールの、このボリュームの演奏を見せたアクトは、東京ジャズ史を遡っても類を見ないのではないか(聞くところによると、東京ジャズでの演奏は、この単独公演と比較して、少し抑制されていた、という話ではあるが)。


それにしてもこの祝祭感、ソウルフルでスピリチュアルで、パワフルで、これは一体何なのだろう。何度もライブを見てきたが、何度見ても圧倒され、ぶっ飛ばされ、放心する。放心するのだ。


映画好きとしても知られる、ゲームクリエイターの小島秀夫は、『ブレードランナー2049』公開時のコラムで、こう語っている。

「ブレラン」の洗礼を受けた人間は、それ以前にはもう戻れない。

『ブレードランナー』という伝説の傑作は、映画、SFのみならず、後世のエンタテインメント・カルチャーに、多大なる影響をもたらした。もはやそれ以前の時空には戻れない、そんなインパクトを残した映画であったと。

この日のカマシ・ワシントンの単独公演。僕は「これを見てしまったが最後、もう見る前の自分には戻れない」のではないか、それくらいのインパクトと影響を残すライブだと思った。世界はもはや「カマシ以前」「カマシ以後」に分けられる、そんなレベルの話だという気すらしている。


放心状態で帰路についた。あんなに見てたのに、聴いてたのに、言葉にしようとすると何も言えなくなってしまう。電車に揺られながら「全部乗せのラーメン」「横綱」「教祖」と、変な喩えばかり頭に思い浮かぶ。結局いつものごとく「カマシ優勝」とツイートする。noteを書こうにもどう書いていいか悩んで、2日もかかってしまった。2日もかけた割に、大したことが全然書けない。カマシのライブを、冷静に、分析的に見ることなんて、出来るんだろうか。


前日、野外ステージを見に行った東京ジャズでは買えなかったTシャツを、この日は開演前に物販列に並んで買うことができた。放心してしまうようなライブの後で、このTシャツだけが、この日あの場所にいたということと、言葉にならない記憶を思い出させてくれる。


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