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進撃の巨人感想:自由とは何だったのか?

進撃の巨人が完結した。雲一つない青空の様な晴れやかな気持ちと、心にぽっかりと大穴が空いてしまった様な気持ちの2つが混在している。

諫山創先生には11年間お疲れ様でしたという労いの言葉と、こんなにも面白くて深みのある物語を紡いでくれてありがとうございましたという感謝の言葉を送りたい。

完結にあたり、自分も考察というか感想みたいなものを書きたいと思う。

進撃の巨人といつ物語は壮大で、人種差別や歴史問題といった複雑なテーマを沢山の抱えている。その全てを1つのnoteで扱うのはあまりにも困難なため、今回は「進撃の巨人における自由とは何だったのか?」に絞って書こうと思う。

繰り返し強調される「自由」

進撃の巨人において「自由」とは本当に何度も強調されるテーマであり、作中において至上の善であると言っても過言ではない。

しかしながら、なぜ進撃世界において自由が善とされるのか?そもそも自由とはどんな状態を指すのか?

自由は進撃の巨人のメインテーマでありながらもら、物語が非常に複雑なこともあり、かなり解りにくくなっている。

不自由さとは何か?

進撃の巨人における自由について考察する上で、先ずは「不自由とは何なのか?」から考えていくととわかり易い。

それは物語の終盤137話にて、ジークの口から語られる。

ジーク曰く、

・生命には「増える」という性質がある。そのため         今日至る所に生命が存在する。

・そのため我々には自分の死や種の絶滅を苦しく思う性質がある。

・何の意味があるかも解らない「増える」という本能から解放されると自由になれる。

このシーンではジークの自由観が語られると同時に、不自由の正体が「生物の持つ『増える』という性質に縛られること」だと明かされる。

人間には凄く雑に言うと「繁栄繁殖できると嬉しい、できないと悲しいと感じる」というシステムが備わっており、それが「増える」という性質を支えている。

このシステムのおかげで人生はしばしば苦しみだらけになってしまう。この生きるという行為のグロテクスさについて、進撃の巨人は最も真摯に向き合って描いてきた作品だ。

わざわざ私がここで筆舌を尽くすまでもなく、進撃の巨人を読んだ人ならわかってもらえるだろう。

故に進撃の巨人では「この世界は残酷だ」ということが度々強調される。

この残酷な世界の制御不能さ、繁栄繁殖できない不自由さと如何にして向き合うか、解放されるかが進撃の巨人という物語だ。

その中でも私が重要だと思うものについて、今回は紹介したい。

1. エレンの方法

エレンをはじめとした調査兵団員の多くは人類の繁栄を「自由」とし、一直線にそれを目指す。人は生まれながらに「自由」を目指す権利があり、それを妨げるものは蹴散らしていく。

これは「増える」という生物の本能に素直に従っているだけとも言える。目を背けようとしても、本能なのだから仕方ない、やるしかないと開き直ってる訳だ。まさに

勝てば生きる。負ければ死ぬ戦わなければ勝てない。戦え。戦え。

前述の通りこの生き方は多大なる苦痛とセットだ。それを裏付けるように、「この世界は残酷だ」という価値観も、調査兵団はより強固に持っている。

そんな調査兵団はどうやって制御不能な世界と向き合って行くのか。

それは作中の言葉を借りると、

・自ら地獄に足を踏み入れる

・自らの行動や選択を時代と環境のせいにしない

・何かを得るために、何かを捨てる

に集約される。


更にまとめると、「全部自分のせいにする」ということだ。

今自分が辛いのは自分から地獄に足を踏み入れたから、苦しいのは自分の行動の結果、他者を傷付けたのはその人を捨てるという決断を自分が下したが故だと見なす。

この方法で「増えれない不自由さ、苦痛」から逃れらるかというとそんなことは無いが(場合によっては寧ろ苦痛が増す)、「この世界の制御不能さ」は克服できる。

ある意味で世界を支配したとも言える。

何しろ、全部自分のせいなのだから。

2.  ジークの方法

先程も少し触れたが、ジークは作中でもかなり異色の解決法に辿り着いている。

「増える、増えたいと思う」という性質が不自由と苦しみの原因なら、増えなきゃいいじゃんという発想だ。

現実世界でもジークと同じような考えを持つ人はいて、反出生主義者と呼ばれる。

現実世界には
・どうやって人間の出生を減らすの?
・人間の数が減ったら残った人の苦しみは増えるのでは?
など色んな課題があるがジークは始祖の巨人の力を使うことでそれを解決しようとした。

調査兵団とは対照的に、生物の「増える」という本能を(エルディア人限定だが)真っ向から否定する思想だ。

3. アルミンの方法

そして最後に、アルミンの方法だ。

アルミンはジークとの問答との末、増える増えないとは全く別の所に生きる意味を見出す。


思えばアルミンは、巨人を駆逐し世界を改変しようとするエレンとは対照的に、いつも炎の川や砂の雪原を夢見ていた。

幼なじみとかけっこした時、リスが木の実を食べてくれた時、キャッチボールをしていた時。そんな時に感じられた小さな幸せを大事にする。

「増えるという生物の性質」を全肯定も全否定もせず、うまくいなしながら生きていく。それがアルミンの生き方なのだろう。

おわりに

以上が、進撃の巨人における自由の大まかな構図だと私は思う。たったこれだけのことだが、如何せん物語が複雑なので読み解くのに苦労した。

個人的にはエレンの生き方に1番共感できる。ジークとアルミンの考え方は進撃にしては生ぬるいというか、それはジークとアルミンだからできるんでしょ?と思ってしまう。

オレにとって「世界はこんなにも残酷」であり、「何かを得るためには何かを捨てなければならない」ものであり、「この地獄に足を踏み入れたのは自分」なのだ。

どの考えに共感するかは人によって違うと思う。生まれた家庭の年収とかによって傾向はありそうだけど。進撃の巨人読者ならやはり私も同じようにエレンに共感する人が多いんじゃなかろうか。

繰り返しになるが、諫山創先生お疲れ様でした。そしてありがとう。

オレたちの戦いはこれからだ!

2023/04/10 追記
何となくnoteを弄ってたら過去に書いた下書きが結構良かったので公開する。読み返してみると、今は以前と違いアルミンの生き方に共感する。歳をとったのだろうか。



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