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みつばちのはね

小さい頃の私は、平屋建ての借家に、父と母と弟と住んでいた。家の前は砂利が敷かれ、ちょっとした駐車場になっていて、その前の道路を向こう側に渡ると、公園に続く細い道があった。その細い道は右も左も空き地になっていて、シロツメクサやカタバミ、オオバコなどの雑草が生い茂っており、近所の子供たちの恰好の遊び場だった。

喘息持ちの私はその空き地で遊んだ記憶がほとんどない。時々外に出られた時は、その細い道の端で、雑草の葉や虫が動くのをじっと見たりしていた。淋しいとか、誰かに遊んで欲しいとか、そんな感情は湧かなかった。

その当時の記憶にピントを合わせると、一番に出てくる映像がある。公園に続く細い道の真ん中で、屈んでじっと何かを見ている私だ。うつむいた顔の傍で揺れる三つ編みと肩紐のプリーツスカート。膝に口が付くくらい背中を丸めながら見ているのは、道を歩く一匹のみつばちだ。

みつばちという認識もなかった。ただ動いている何かとして見ていた。

ピンと張った透明なものを指で掴んでみた。多分ひとつ取れた。

大人の私は、この描写が脳裏に浮かぶと、胸がザラッとする。その時のみつばちの痛みを感じる。チクンと罪悪感が胸を刺す。けど、三つ編みの私は動く何かと取れた何かという認識しかなかった。

善も悪も無い私にとって、目に映るすべてが「あること」だった。善いことでも悪しきことでも無く、ただ流れゆく出来事だった。

だからなのだろう。

思い出される母がシミーズ姿で、ビールの入ったコップを傾けながら西日に染まっていたとしても、それが私にとっては普通の事だった。

好きも嫌いも無かった。




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