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どうでもいいこと

 私の心の中にはどうでもいいことばかり考える悪魔がいる。その悪魔は普段滅多に顔を出さないくせに、頃合いを見計らってちょうど必要のない時に私の目ん玉からにゅにゅにゅと飛び出してくる。そして、私の目の前に腕を組んでどっしりと構えてこう言う。

あいつの考えていること本当にどうでもいいな。なんだ、ガハハと笑いやがって。つまらないやつだからつまらない笑い方になるんだよ。なあつまらなくないか。おい。お前だよ。お前のそのパチクリさせている目から飛び出したんだよ。あいつがお前に対して考えていること本当にしょうもないな。そう思うだろ。

私は目をパチクリさせていたようである。それは目の前に現れた悪魔に驚いたのか、それとも私が心の中で考えていたことをその悪魔がバッチリ当ててしまったことに驚いたのかわからなかった。それでも私の目はパチパチしていた。悪魔は腕を組みながら、左手の親指で私を指しながら続けた。

お前は何にも喋らないな。やつがワケもなくお前につっかかってきた時もやつが悪意のあるバイバイを背中から飛ばしてきた時もお前の前で露骨に不機嫌でいる時も一丁前に世間体を気にしやがって。一発言ってやればいいんだ。お前はクソだって。ああいう…なんて言うんだ?生き物?生命体?人間…人間だ。ああいう人間は突然のパンチに弱いって決まってんだ。やつのあご目がけて拳でもなんでもぶち込んでやればいいのさ。

私は口を開いた。

喋り方から推測するに、君の世界には君しかいないみたいだね。いいかい、僕の生きる地球には少なくとも社会というものがあってだね。

うるせえ。

私は目をつぶった。拳がとんできたからだ。しかし、それは私の頬をぶつことなくするりと通り抜けていった。私は拍子抜けた顔をした。それをみて悪魔が笑うので、私の顔からはますます拍子が抜けていって、ついには世にも奇怪な素っ頓狂な顔になった。

面白くないねえ。お前という人間は非常に面白くない。ほら背筋曲がってるぞ、しっかり伸ばせ。イントネーションが少し変だ、矯正しろ。とか言われてはい喜んでと跳び上がってその言葉を聞き入れるんだろ。

何が悪いんでしょうか。

人間として真面目すぎて遊び心に欠ける。

ああ。

ああ、じゃないんだよ。うるせえばあかって返せよバカ。

はあ。

わかってないねえ。この世界で生きるってことに。

どうして悪魔が説教を垂れるんですか。坊主じゃあるまいし。

ああ面白くない。面白くないったらありゃしない。いっそのこと取り憑いて窓から飛び降りて死んでやろうか。

じゃあどうすればいいんですか。

ほらまた出たよ。どうすればいいとかじゃあないって言ってんだろ。このうすのろ。

うすのろって。今じゃ死語ですよ。

だからなんだ。死んだ者を訪れるのが死神、死んだ者を運ぶのが天使、じゃあ悪魔は死んだ言葉を使うんだろ。このうすらとんかち。いっそのこと取り憑いてやろうか。

目的はなんなんですか?

え?

え、じゃないですよ。目的はなんなんですかって言ってるんですよ。

目的って。

取り憑いてやろうか、っていうなら取り憑けばいいじゃないですか。悪魔なんでしょ。それがあなたの仕事でしょうが。

いいねえ。あるんじゃないかお前にも。

あるって何が。

ただ、仕事はそれじゃあない。今言ったろ。悪魔は死んだ言葉を使うのさ。お前の中のね。だから、人は取り憑かれた時心にもないことを話すんだ。心の中で死んで朽ちて蒸発した言葉を俺が拾って、そいつの口から吐き出してやる。悪魔に取り憑かれたやつが吐くゲロが緑色をしているのは言葉は腐ると緑に変色するからだ。

映画の見過ぎではないですか。

悪魔は突然笑い出した。それはそれはとても盛大に。

映画って。お前少しはまともなことを言えよ。

私はいつもまともですが。

いいか、お前には二つの方法がある。

なんの方法ですか?

そこはうるせえ聞くかだろうが。

…うるせえ聞くか。

おう、やんのか。

え?

……いいや、やっぱりやめた。

どうして。

自分で考えやがれ。

 そういうと悪魔は私の目の奥へとにゅにゅにゅと戻っていった。目の前には友人も気になるあの子も例のあいつもいる。彼らには悪魔は見えていないようだった。さすれば今私は1人で、自分の脳内で、想像で作り出した奇妙な悪魔と話していたということになる。自分で考えやがれ。その言葉を残していった悪魔は二つ方法があるといった。なんの方法かまでは教えてくれやしなかったが。二つあるというならその両方を探し当ててみようと私は心の中で決めた。喉の方に込み上がってくるものがある。私はそれを止めることができずに口からそれを吐いた。それは緑色の吐瀉物だった。皆が心配そうに駆け寄って来る。

大丈夫?

おざなりの優しさを感じるその言葉に私はイラッとした。

近寄んじゃねえよ。クソガキ。

その言葉は驚くほどまっすぐに口から出ていった。彼らはクソでもガキでもないはずで、ましてや汚い吐瀉を出した人間に近寄ってくれることは感謝すべきだが、腐った言葉はさらに出ていく。

大体調子乗ってる人間がこの世で一番嫌いなんだよ。チヤホヤされた?信頼できるパートナーに出会った?人生上手くいってる?どうでもいいんだよ。それより大事なことがあるだろ。ボケナス。

しかし、彼らは全くその言葉に反応していない。私の口から出た言葉は空気中の酸素に触れ、酸化し、腐り、溶けてしまった。それゆえ彼らの耳に届いたものは何もなかった。私はそれでも口から緑色の嘔吐を止めることはなかった。

普通の人間のツラしていっぱしのプライド持ちやがって。人にかざすために持ってるプライドならさっさとドブに捨てちまえ。そのプライドもドブに捨てられて感謝するだろうよ。お前は周りを気にしながらも自分を捨て去ることができずにいる自分が大好きなただそれだけの人間なんだよ。ゴミにまみれドブに流れ此の世の果てまで流れていけ。

 緑色のゲロは止むことはなかった。一度それが日の目を見るともう止まることはない。とめどなく出続ける吐瀉に私は快感すら覚えていた。しかし、私の顔は素っ頓狂なままである。心の中に腐りついた言葉はどうやら無数にあるらしい。その素っ頓狂な表情に全てを考える力はなかった。目の奥からにゅにゅにゅと出てきた悪魔は頭の中でなったカチンという音を皮切りに私に取り憑いた。言の葉を抱える私に暴力的な悪魔は取り憑いてしまった。もう何も考えることはない。死ぬまで吐き続ければいい。ついさっきまで何かを探していた気もするし、それが二つだったか三つだったかもすっかり忘れてしまった。全ては腐り、蒸発する。悪魔の影は目に映る。言葉の影は悪魔に映る。悪魔は心の肉壁からどうでもいいと捨てられた言葉を剥ぎ、潰し、それを喰らう。肉壁からは赤黒い血がどろどろと流れ、底には固まりかけのゼリーのような血溜まりができている。私にはそれがどうでもいいことだとずっと思えない。私はそれを無視することができない。私はいつかその悪魔を喰らってやろうと思っている。

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