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祭りと閉店、それでも私は生きていく

①祭り


三連休の日曜日に地元のお祭りがありました。
夏も少し過ぎて、夜は肌寒いくらいのこの時期にやるお祭りは
毎年最後の花火と、私の中ではフジファブリックの「若者のすべて」が脳内BGMでかかりながら見る花火。

今年は今までの中でもまた特別で、なんとその祭りに自分も出店することとなった。内容はたこのから揚げ、イカの(トンビ)から揚げ、鮭皮チップス、毛ガニ、ポップコーン、イカスミサイダー、ビール等。
魚屋がせっかく出店するんだから、尖ったものやろうという意気込み→毛ガニ、イカスミサイダー

毎年のこの町にしては驚くくらいの人が来るということで
先輩方に「(お客さんがすごい)来るよ、来るよ」と煽られていたが

本当にたくさん来た。

たことイカとトータル23kgも仕込んだのに、夜までもたずに売り切れ。家族とアルバイト、友人にも手伝ってもらいながら、それでもやり切れたこと、イベントに出てみるという経験をさせてもらったのは売上以上に大きな財産だと思っている。
はっきりとはしないけれど、少し明るい未来や道もうっすらと見えた気もした。


②相次ぐ閉店

時間軸はずれてしまうが、実はこっちのほうが先にあった出来事。
・地元の長年やっていた文具屋さんの閉店
・市場のお世話になっている卸の閉店

とくに二番目の市場の卸の閉店は、ついに来たか、、と、、
実はこの卸さんはついこの間、従業員の方(ろくさん)が亡くなられたばかり。
ついこの間の土曜日まで、店にいつものように荷物を配達に来てくれて、いつものように「ありがとねー」「あいよー」ってやりあって、それが最後になってしまった。
次の仕入れ日に市場に行くと、帳場のおばちゃんから声がかかって、ろくさんが亡くなったと聞いた。
思わず「えええええええ???!!!」と大きな声
「なんで??だって土曜日元気だったじゃん。」と言いつつ、涙が溢れてきて、止めることはできなかった。

「なんだよーもう」と笑い泣きながらろくさんの話をしばしして
そんなわけで今後配達ができないから、という話であった。

それから会社を閉めると聞いたのはそう時間はかからなかった。
その会社自体もコロナの影響をもろに受けていて、働く平均年齢も高く、
盛り返す見込みも薄そうなのは傍からみていてもわかった。
場末の市場の過疎化は酷い。
ただでさえ数えるほどしか残っていない卸も、これでまた絞られる。

でも嘆いていられない。明日は我が身だ。じりじりと不景気の波がもうすぐそこに迫っている。

逃げ切らなければ。打ち勝たなければ。乗り越えなければ。

乗り越えたい。

この荒波を勝ったらきっと今後何が来ても生きていける気がする。

そのために祭にもでた。
新しいこと、少しでも稼げること、泥臭く足掻いていこう。

みなさーん魚食べてくださーーーーい!!!!

よろしくおねがいしまーーーーーーーーす!!!!

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