ジャムとタクシー

 1年前ぐらいにタクシー運転手のおじちゃんと話した内容を、ふと思い出した。
 運転手は、お見合い結婚をしたらしい。70過ぎと言っていた記憶がある。その当時、お見合い結婚は主流だったと話していた。
 「自分で結婚する人を選べないって、不自由じゃないですか」と聞くと、「今の人はそう思うのかもね。でも私は妻を愛しているし、幸せだよ」という。
 その時に驚いたことを、机でぼーっとしている時に、思い出した。

 この話はもう少し抽象化すると、「自由と不自由」の問題となる。
 世間(特に若い世代)が自由と不自由に抱く印象は、「自由=善」「不自由=悪」だろう。
 “より多くの人に、より多くの自由を。選択の権利を拡充せよ!”
 この考えに異を唱える人は、ほとんどいないだろう。私もずっとこの考えだった。
 でも最近、それが揺らいでいる。揺らいでいるから、タクシー運転手の話を思い出したのかもしれない。

 大学2年の時に受けたマーケティングの授業の話が面白くて、記憶に残っている。
 「ジャムの法則」というやつだ。
 スーパーで24種類のジャムと6種類のジャムを分けて売り出した。当然いろんな味がある(選択の自由度が高い)24種類のジャムの棚には、多くの客が集まった。
 しかし、6種類のジャムの棚の方が、購入率は高かった。
 もちろん、この実験結果から単純に「選択肢は少ない方が良い」と結論づけるのは短絡的だ。でもこの実験は、自由とその結果の因果関係が、必ずしも一般に考えられている通りにはならないことを象徴している。


 自分で何かを選択する行為は、日常でもよくある。
 コンビニでスイーツの棚の前に立つとき、告白するかしないかを決めるとき、本屋で買う本を決めるとき、二度寝するかどうかを決める朝。
 選択の大小はあるにせよ、選択肢の中から、自分の欲求と照らし合わせて決める。欲求がはっきりしている時、選択は実行しやすくなる。しかし、実行したあとの幸福度や充実感は、欲求の大きさとは比例しない。タクシー運転手の話を思い出せばわかるように…。
 「自由って、あればあるほどいいよね」と、ずっと思っていた自分。でもそうじゃない場合もあるんだということを、就職活動中のいま、実感する。企業と職種が多すぎて、選択の自由と選択肢の量が確保されているのに、逆に選べない。
 「なんでもできるとは、逆説的に何もできないことだ」と、誰かが言っていた。
 自由に対する印象が揺らぐ、大学4年の春…。

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