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血となり肉となり、骨となり。あの頃は確かに息衝く

はじめに

本記事は、櫻坂46 2nd TOUR『As you know?』in TOKYO DOMEに足を運び感じたことを可能な限り言語化する雑記である。しかし、先ずは追うという事とファンであるということの個人的な定義を述べたい。この定義から話さねば、自分の立ち位置が可視化されないからである。無論、話の対象は櫻坂である。
ファンの語源がfanaticであり、狂信者であるという辞書的な話は今回は一旦置いておく。これはあくまで、筆者の個人的な考えであることを念頭に入れて、読んでいただきたい。
ファンという言葉は、好きであることと同義のように扱っている。範囲は広いが、割と軽いものである傾向が強く、ライブに行ったりはするだろうし、音源も買うかもしれない。でもそこに絶対性や自らに向けた強迫的な感情は存在せず、対象を捉えようという気概も存在しない。一言で表せば、対象に正対していない状態である。今現在、私は櫻坂に対して、この“ファン”という立場を取っている。とりあえず音楽を聴き、ライブを観たいという個人的な欲のみで動いている。以前からこのスタンスも持ち合わせていたが、後述する“追う”という立場が希薄になり、ライト層になったと言うと一番しっくりくるかも知れない。櫻坂を追うのを辞めたと発言しながら、東京ドーム公演を申し込んだのもそういう思想があってである。
一方で“追う”という行為は、特別である。グループがどういう状態なのか、メンバーはどういう心境なのか、リスナーの動向はどうなのか、音楽シーンにおける立ち位置を業界はどう捉えているのか。対象の様々な現状をインタビュー記事やメッセージ、ブログやラジオ、ワンマンの雰囲気、フェス等の外部の雰囲気、諸媒体から正確に摂取し、可能な限りグループを見つめながら、自分の中で思考を繰り返す。これが個人的な“追う”という行為で、受動に重きを置きつつ、絶えず思考を続ける能動性がとても重要であると捉えている自分の中で、行き着いた結論である。これは絶対的評価であり、誰よりも見ているという対比構造を生むものではなく、正確に見つめるための謂わば制約や責任のようなものである。私は2022/9/30までは、この立場であったと自負しているが、今はそんな熱量が無いというのが真であり、故にグループの先を語る資格は無いとも思っている。よって、櫻坂に対する正確な雑記は、現時点でこれが最後であり、これからは瑣末なライブレポや楽曲解釈が関の山だと思う。(それすらも書き上げないだろうという見立ての方が強くあるが…)
さて、長々と序文を書いてしまったが、そんなこんなでファンになって一ヶ月ほどの人間が“グループの行く末”と“自分の中にある引っかかりが未来を見届けたいと思う欲なのか”を確かめるべく向かった東京ドーム公演のレポと付随する感情をここから書き起こして行く。

3年の月日を経て帰す場は

2022/11/8,9に行われたこのライブは、全国5箇所計10公演を回った後の千秋楽となる二日間である。(因みに、私は大阪初日も足を運びましたので、そこらへんの話もほんの少し絡めつつ書いていきます…)
東京ドームという会場は、日本のアーティストにとってちょっと特別な場で、箔が付くというか、一つの到達点であるというか、そんな意味合いが内在している。アーティストが日本武道館または東京ドーム、この二つで公演すると決まった際には、演者のみならずリスナー側も感慨深くなる。会場ではないが、日本三大フェスなんかもそういう類であるし、アーティストの出身地凱旋なんかもベクトルは違うが近しい感情を引き起こす。兎にも角にも、東京ドームとはそれほど特別で、欅坂時代に立った際に「またみんなでここに帰ってきたい」と発言していたことも相まって、開催が発表された時食指が動いた。ツアー最速先行の段階では、推しは卒業しておらず、卒業セレモニーすら開催前であった為、この先の自分の感情が分からないから、取り敢えず申し込んだという形であった。しかし、この保険をかけるような行為は正解に成り代る。菅井友香の卒業が発表されたからだ。欅坂46の5年、櫻坂46の2年、この7年間の大半をキャプテンとして支え続けた彼女のラストステージは、とりわけ“欅坂という事象”を見届けてきた者にとっては、絶対に見逃せない時間であるから…

『As you know?』の対象とツアーのコンセプト

先ずは、ツアーの根幹を語りたい。
私は『As you know?』というタイトルが発表された時、そしてアー写が解禁された時、次のようにツイートした。

しかし蓋を開けてみれば、この言葉の真意は、我々ファンに語りかける言葉であり、最もシンプルな問いかけであった。(つまり上記のツイートはただの妄想であり、戯言ですので、引用したものの記憶から消して頂けると幸いです。)
それが分かる本ツアーのライブ冒頭の語りかけを以下明記する。

Do you know who we are?
I don't know a lot about you yet.
But today, I can get to know you better.
Even if you don't know us now, we want to get etched in your memories today.
As you know?

櫻坂46 2nd TOUR 2022 "As you know?" オープニング

“私たちのこと知らないでしょ。でも、今日のライブには私たちをより知るものが詰まっているし、貴方は今日を鮮明に記憶しておきたいと感じるでしょう。”
そんな挑戦的な冒頭からスタートする本ツアーだが、換言すると“グループの魅力を更に知ってもらう”というコンセプトであり、それ以上でも以下でもない。まだまだ認知度が低いという自己分析は理解でき得る。しかしながら、ライブに足を運ぶ者は少なからず櫻坂の魅力に気づいた者である。そうであるならば、このコンセプトをワンマンツアー、加えて2年目、欅坂から数えれば7年目のグループがすべきことであったのだろうかという疑問は強く残る。この“知ってもらう”というコンセプトは、セットリストをどう組み立てようと成立してしまう許容範囲の広さがあり、曖昧で何処か面白みの欠けるものである。一見するとコンセプトを踏襲した上手なライブのように見えるが、それはコンセプトが在るようで無いという特性によるものである。楽曲単体の評価は高くとも、ライブという一本の表現の舞台として捉えた時、これは果たして評価して良いものかと感じたというのが本ツアーの個人的な総評である。(例を挙げると、根幹は大阪アニラと変わらんのでは?と思う次第です。)

ライブレポと呼ぶには値しない程の何か

さて、ザーッと雑に記述していく。

DANCE TRACK①〜流れ弾

ど頭、幾何学的なダンスを中心に構成されたダンスからスタートする。想起するのは、避雷針のパフォーマンスや欅坂時代の東京ドームのダンストラックだろうか。そして、透明な箱に入った田村保乃、藤吉夏鈴、森田ひかる、山﨑天の四人が中央の花道を通りメインステージへ。さながらショーケースに入ったマネキンのように微動だにしない姿は、この公演が纏う無機質さを孕む光景であり、またアルバムリード曲の『摩擦係数』のMVオマージュも内在していると思われる。四人が合流し、一人一人ダンスを見せていき、一曲目の『条件反射で泣けてくる』に繋がっていく。本ツアーで初披露となるこの楽曲で特筆すべきは、山﨑天のピアノの演出である。ここで心掴まれる者も多かっただろう。かくいう私もその一人であり、一曲目に「唯一の花道はこう使うんだよ!」と言わんばかりの迫力ある演出を配置したのは、ライブに没入させるフックとして完璧という他無い。個人的には突っ込んだ後、ゆるゆると戻っていく様が少し勿体無いなと大阪公演の際に思ったのだが、ドームで改めて見た髪をかき上げ足を組み、艶やかな表情で遠くを見つめる山﨑天に、その緩やかな時間を最大限に活用した表現というものをひしひしと感じ、脱帽したというのも事実ではある。

続いて二曲目の『BAN』は、タイマーが3:00になった瞬間に始まるという演出なのだが、アホなので「カップ麺?笑」とか思いながら見ていた。さてここで導入されるのが、移動型のサブステージ。地方公演では見られなかった東京ドーム特別仕様である。今回のツアーで回ったアリーナは、いずれも長方形や楕円の形を成した会場だ。つまり縦方向の花道のみで完結できる、というよりも完結してしまうのだ。しかし、東京ドームは横にも広い。中央の花道に花道に直交するように配置された装置がその構造をカバーしていく。また縦にも広い会場という違いも、リフトアップされたサブステージが多少なりとも補えたのでは無いだろうか。ステージングの話はここら辺にして、パフォーマンスに移るが、BANに関しては以前から余り刺さる表現をしてくれるメンバーが居ないと言い続けている。そんな中、藤吉夏鈴のパフォが久々に刺さった。簡単に言えば“踠き”が見えたからであるが、詳細は長くなるので、過去のnoteご参照ということで…

次の曲『Dead end』は語る要素が詰まっている。恐らくこの曲のこの演出がやりたい為に、この花道を配置したのでは?と推測してしまうほどマッチしている。花道に配置された照明は信号機をモチーフにしたのかな?と大阪の際に思っていたが、今回メインステージに本物の信号機を配置する徹底ぶりを見て、この曲の再現性に賭ける熱量みたいなものを感じた。スタート時森田が座っている玉座的な物も、MVの信号機の上に座っているものがモチーフであろう(恐らくできることなら、信号機の上に座らせたかっただろうが…)。不遜な態度でルールを見下す。MVから一貫して、ルールを破るわけではなく、そこに考えなしに従うものを静かに見下すというのが視覚的に綺麗に表現された構図は、痺れる瞬間である。「この先どうなる?」「続きはないのか?」「どこにも道はない」等の歌詞を先がない階段上で歌うのも、視覚的な構図を大事に捉えているなと感嘆した。そんな構図への視点の他に驚かされたのは、井上梨名の煽りである。煽りには感情を際限なく乗せられるかというテクニック的な面も無論存在するが、声質も重要である。井上の声はとても煽りに向いているなと発見できたのは、大きな糧ではないかと個人的に思った次第である。

次は4曲目の『断絶』に綴られているノックという歌詞に着目して構築されたDANCE TRACKから断絶へと繋いでいくパート。ここで圧巻なのは、田村保乃がセンターを務めているというのが明確に分かる点である。立ち位置がセンターなシーンは確かに多いが、ソロパートが多いのもこの楽曲の特徴である。また、センター経験者と一期のダンスメンが揃っている楽曲であり、直近で森田と山﨑が印象的なパフォ(条件反射&Dead end)を披露した後で、しっかりと中心視が構築されているの凄いなと感じるのだ。ダンスの振りが周りと比べてコンパクトなのは対比を作る為なのか、「断絶」という歌詞に合わせてウインクをするのは何故なのか(というよりこの楽曲、メンバーのウインクの数が多いのも気になる所)、楽曲ごとに近しい感情の作品(映画や本)を見つけて、その感情を落とし込むとインタビューで語っていた彼女だからこそ、ここら辺に込めた意味合いを聞いてみたいと強く思うとともに、引き込まれるなと痛感するパフォーマンスであった。(あと、この楽曲での藤吉の頭の動かし方、鈴本を想起するんですよね…欅時代のインタビュー記事から、お手本は極力作らないというのは知ってはいるのですが)

最初のパートのラスト、『流れ弾』はとりわけ変化はないのだが、このパフォーマンスの構造が個人的に好きなので、その点を少し語る。この楽曲は、常にセンターの田村が中心になるように構築されていて、これが櫻坂の楽曲だと唯一無二だなと感じる。単純に真ん中に配置されているというわけではなくて、1対他の構図なのだ(欅坂時代はこれが主でしたよね)。故に、田村の動きはどこか他を動かす指揮者のようにも見えてくる。そんな中心を作る構造が強固なだけに、セリフの場面ではスポットライトを当てるという仕様で中心の移動を行なっている。外的な要因でそれを補うという仕組みは、何度見ても面白いなと思う。しかし、この中心視がカチッとハマりだしたのは、昨年の紅白からだと個人的に捉えており、私が参加した1stTOURの初日での初披露時には、菅井友香に完全に喰われていると感じたので、ここまでに仕上げた努力には敬服するばかりである。

タイムマシーンでYeah!〜Buddies

6曲目『タイムマシーンでYeah!』、ここからしばしユニットパートが始まる(こういうユニットは固めます的な所も、安易で伝わるものがないよなぁと思うのですが…)。フロートに乗ってぐるっと会場を一周するというよくあるやつで、パフォーマンスという側面で語ることはないが、やはり一期生が楽しそうにはしゃぐ姿は、微笑ましくグッとくる光景だなと感慨深くなった(あと、可愛かったです。特に上村莉菜さんの可愛さが凄くて頭抱えてしまいました笑)。構造の話をすると、この楽曲の為だけにこのフロートが登場するというのがミソで、この時点で楽曲の具現化、視覚的な要素を生み出すという所に本ツアーは注力したのだなと分かる(地方公演では代替品で行なっていたところから鑑みるに、今回のツアー演出は、東京ドーム公演でやりたいことを無理やりアリーナサイズに押し込んだのだろうというのが個人的な見解である)。フロートに下部で数字が目まぐるしく変化し、時計が巻き戻っているところからもタイムマシーンであると考えて差し支えないように思える。一曲だけのために用意したという点が重要だということだ。

7曲目の『One-way stairs』もこれまた歌詞具現が随所に施されており、階段を昇り、踊り場を活用し、登っていることをより視覚化するために一段上がるごとに階段を点灯させる等、良い試みだなとは思った。そして、森田と藤吉の決め方がの色合いが個人的に合うなと感じたので、この先このユニットは継続でいいかなと思う。(個人的に「欲望はいつだって同じ方向向いてるんだ」の森田の歌声死ぬほど好きです。そして、As you knowをAYKと略してデカデカ表示するのクソダサいので反省してください。)

8曲目の『ずっと 春だったらなあ』は、少し批判強めなので触り程度に綴ります。まず井上の歌が抜群に上手い点、私の記憶違いでなければ初めてスクリーンの映像に加工を入れたというチャレンジ精神は評価したい。しかし一方で、井上、田村のダンスと大園のダンスの色合いが異なるせいで2対1に見えてしまった点、左上隅という場所に桜を配置したことで、明らかに見えにくく、最大限に楽曲を伝えきれていなかった点は残念に思う次第である(そもそも無骨に組み上げられた鉄骨の意図は十分理解できるのだが、優先すべきは見え易さだと個人的に思う)。

ユニット曲ラストとなるのは『制服の人魚』である。これもまた歌詞具現として、シャボン玉とスクリーンの映像で水中を、LEDの水槽を電飾された透明な箱で表現している。徹底された歌詞具現は、良くも悪くも楽曲の世界観を限定し、“より分かりやすく”している。ここまで徹底しているにも関わらず、衣装が W-KEYAKI FES.2022で評価された制服でないのは、『One-way stairs』からの時間の無さが要因だろう(知らんけど)。細部は確かにメンバーのパフォーマンスが創り上げるのだが、大まかな世界は演出でというのは、大きな箱で開催されるライブに際してはとても重要な思考である。(唐突ですが、この曲、LUCKY TAPES感が強くてめちゃくちゃ好きです。)

全体曲に戻り、10曲目を担うのは『五月雨よ』。ライティングが青から緑に変化する様は、演出側からのペンライトの誘導(制服の人魚では青の誘導がなされていたので)であると思われるのだが、その前に「次は五月雨よだ!!」と緑に変えてしまうのは、なかなか無粋な行為だなとは思った(こういう点からも、海外を視野に入れている点からもPIXMOB導入した方がもっと良いライブが構築できると思うのだが、ペンライト文化を捨てるのはNGなんですかね…)。本楽曲は、性愛を歌った曲である。しかし、慈愛に満ちた柔らかな表情をすることが多く、個人的にも其方の表現の方がしっくり来る。ここら辺の詳細は過去noteに記載済みなので割愛するが、その慈愛の表情が強く見受けられる、つまりは『五月雨よ』という楽曲との親和性が高いと感じるのが山﨑天と田村保乃の両名であり、この日も素晴らしいパフォーマンスであった。また武元唯衣に関してもインタビューを読んだからなのか分からないが、個人的に表情の解像度が上がって、ラスサビで抜かれたシーンなどとても素晴らしかった。そして、この3名に加えて絶対に挙げたいのが、土生瑞穂であり、凛々しくも切ない、“愛”を噛み締めるような表情は圧巻であった。盟友である菅井友香の卒業があったからであろうか。私には真意は分からないが、この日の彼女はどこか時間の有限性と大切さを優しく胸に抱いていたように思える。

11曲目の『なぜ 恋をしてこなかったんだろう?』は、DCDLにおいて自分を櫻坂に引き留めた曲であり、感情を爆発させ、内から出る人間性をこれでもかと放出する藤吉夏鈴の表現の凄みには、毎回感謝しかない。この日も当然ながら、圧巻のパフォではあったのだが、一点フライングについては言及したい。表現というもの、またライブというものは非日常空間を創出することと同義といっても然程隔たりはない。フライングの機材の脱着時にスタッフが見切れること、またその作業によって一時表現の場から離脱せざるを得ないこと、これらがどうも勿体ないように思う。飽くなき表現欲をもつ彼女だからこそ、この施策はより違和感を感じたのかもしれない。シンプルに披露しても、代わり映えのない演出でも、この楽曲には観衆の心を掴む力があるし、その真っ直ぐさこそが武器なのだと強く言いたい。

櫻坂の核となる楽曲『Nobody's fault』であるが、森田ひかるに焦点を当てたDANCE TRACKから綺麗に繋ぐ。この曲で一際目を惹くのは小池美波。言語化するまでもない、裏センターとして、圧巻の表現で楽曲の軸を担う様は、一期生の年月が成せる重みだなとつくづく思う(とりわけノバフォは一期生の強さが見える曲だと個人的に捉えている)。今回有難いことに1日目はアリーナ席に入らせてもらったので、ノバフォを後方から見るという貴重な経験ができたのだが、後方から見ても小池は圧巻であり、小林、井上のシンメも楽曲を支えているなと強く思った次第である。また、後ろに手を回して、そこでも振り付けをしているのを見て、物理的に見えない場所でも拘る姿勢に感銘を受けた(黒澤明監督が映像の中で開けないタンスに着物を入れていたりだとか、宮崎駿監督が台詞のない人物に対して名前や為人といった詳細を設定しているのに通ずるものがあるなぁと)。そういった強い骨格を従えるように表現を完遂する森田もやはり凄いという他ない。(いつか、生の管楽器を入れてノバフォ披露して欲しいっすね!)

この重厚感のある楽曲から繋がるのは、『I'm in』という高らかな楽曲という点は評価すべきか否か…。という話は置いておき、この楽曲は移動型のステージと抜群に相性が良いなと感じた。そもそもこの楽曲は、振り付けに余白があるように作られている。余白といってもアドリブという意味合いではなく、動きに絶対的な意が希薄なので、変化させやすいということである。換言するならば、可能性が多分にある楽曲ということだ。個人的にこの日のベストアクトとしても何ら異論はないほど、一人一人が輝いていたし、早く声出しが解禁されて、拳を高く突き上げながらライブを楽しみたいと、発露されるパフォーマンスを通して希望ある未来を夢見た。声を大にして言いたい、笑顔というのは最強なんだと。(個人的に、増本綺良、井上梨名、土生瑞穂、大園玲がgoodでした。他もめちゃくちゃ良かったので別に優劣ではないです。たまたま目についただけですので悪しからず。)

このパートのラストを飾るは『Buddies』であるが、この曲に関しては良い加減全員曲化してくれという感情しか湧かない。パフォーマンスの良し悪し以前の問題で、披露されるたびに複雑な心境になるのはいつまで経っても変わらない。素直な目線で、楽曲と正対出来る日が来ることを待ち望んでいます。

DANCE TRACK③〜摩擦係数

ここまで披露された楽曲をダイジェストのように繋ぎ合わせたDANCE TRACKは本ツアーで行ってきた新しい施策の中でも、一際印象に残っており、とても面白かった。しかしながら、ダイジェストに選出した楽曲群の意図は何だったのかは少し気になるところではある。そんな面白い演出から『車間距離』へと繋がっていくのだが、とりわけ特別な演出はなく、花道を箱で移動し、戻ってダンスというシンプルなものであった。このパフォで個人的に特筆すべきは、齋藤冬優花である。艶やかな表情と、冷淡な表情、属性の近い表現を巧みに示しながら、少し余裕のあるダンスは正に車間距離が醸し出す空気感にバチっとハマっていた。(個人的に1日目のベストパフォを一人挙げろと言われたら、個人的には彼女です。どの楽曲でも高クオリティのダンスと表現、それでいて観衆とメンバーの両方を物理的にも精神的にも捉えている様は見惚れるしかなかったです。)

16曲目『恋が絶滅する日』はライブ映えする曲として、途轍もなく評価しているが、この日もやはり素晴らしかった。この曲の何が凄いのかを言語化すると、パフォーマンスで魅了する曲でありながら、観衆と一体となって楽しむ要素も内在させているという幅の広さを有するということだ。その二つの特性がぶつ切りにならずに、良い具合に混在しているが故に、楽しみを享受する方が自由になれる。特に間奏部分は明らかに魅せるパートであるにも関わらず、盛り上がれるポイントが散りばめられているのは“強い”と感じる要素である。声出し解禁で一番化けるといっても過言ではない、秘められた、というかダダ漏れしているポテンシャルが発揮される日が待ち遠しくてしょうがない。

そして本編ラストとなる『摩擦係数』に入っていくのだが、導入部のライティングで緑色と桜色が混ざっていく演出が成されている(これはTwitterで発言されていたのを見て知りました。多分fusionのことかと)。そんな演出から一気に厳かな雰囲気に変貌し、MVでも使われた照明が上から降りてくる。“LAST SONG”という文字とともにメンバーが登場し、立ち位置に収まると楽曲が流れる。『摩擦係数』というリード曲はライブの中心にしっかりと据えられているんだなと痛感するスタートである。本ツアーはこれまで、派手なライティングを盛り込み、迫力ある演出を創出していた。しかし、ラストはMVで使われた照明を中心に、シンプルに構成されている。ここにきて溜めに溜めた対比が色濃く活用される。質実剛健ともいうべきこの無骨な格好良さ、泥臭さは堪らなく刺さるのだ。本編最後を飾るに相応しい強さであった。
(個人的にこのくらいのシンプルさでノバフォも見たいんですけどね。)

欅坂46の楽曲群

1.『10月のプールに飛び込んだ』
1日目の一発目、2年ぶりの欅坂のOvertureから美しいピアノの音色が東京ドームに響き渡る。歌声が乗る、ストリングスが加わる。この楽曲を生で体感することを、発露される感情を正面から受け取ることを、夢にまで見たその日は眼前に現れた。欅坂46は自分の中で余りにも特別だ。2019年末から2020年10月、激動の一年が音とともに流れ込む。耳を傾けるは、パフォーマンスに命を燃やす彼女たち、心を傾けるはあの頃の記憶。関有美子が一歩を踏み出す光景を見た瞬間に、涙が溢れた。櫻坂には確かにあの頃が息衝いている。変化はした。成長もした。しかし、奥底には、核には欅坂があり、櫻坂と共に歩む日を待っていたように感じる。比較するなという意見があるが、そもそも比較するものじゃない。どちらも彼女たちが創り上げたものだから。
4分14秒、奏でられた音楽に合わせ舞った櫻坂は、この上なく美しかった。

2.『ヒールの高さ』
この楽曲もとても思い出深い。ワンマンライブとして披露されたのは大阪アニラのみであり、私はライブビューイングという形での鑑賞だったので、生で見たのは初だった。卒業した守屋茜に代わり、土生瑞穂が入り、フロートに乗って披露された。送り出す側の土生の切なそうな表情と対をなすように、卒業していく菅井は晴れやかな表情に見えた。しかし、曲の終盤で二人が顔を見合わせ涙ぐむ姿は、とても心に刺さるものだった。
7年の月日を越え、大人になった彼女たちは様々な想いを胸に未来へと歩む。

3.『青空が違う』
青空とMARRYのメンバーが卒業するたびに披露されてきたこの楽曲は、最後の一人となった菅井のソロで締めくくる。大切な曲ということは言葉だけではなく、このように毎回心を込めて披露することが裏打ちになっているようで、輝く笑顔で踊って歌う姿は一人という切なさを忘れるほど素敵だった。フロートで周りきり、メインステージに戻ると、メンバーがお出迎えという、なんとも微笑ましい展開はこの先も忘れずに大事に心にしまっていたい思い出である。

4.『世界には愛しかない』
欅坂のアンセムとも言うべき楽曲は、櫻坂のメンバーが大切に歌い上げてくれた。渡邉理佐の卒業コンサートで一期生のみで披露された一歩が、櫻坂全体で歌う一歩を引き出してくれた。
“踏みならし続けた踵は磨り減って、新しい靴がそれを思い出にした”
LAMP IN TERRENというバンドのキャラバンという楽曲の一節である。欅坂として刻んだ5年、櫻坂として刻んだ2年、その踏みしめてきた足跡が新たな表現を纏った『世界には愛しかない』を生んだ。冒頭の菅井の叫びは、声を出せない状況の我々の心の靄を晴らすように、高らかに会場に響き渡り、何処までも遠くに行けるような気がした。私は2019年の頃、こんなことを語ったことがある。「世界には愛しかないとは本気で思ってないと思うんですよ。でも、思ってない状況下で、愛しかないんだと謳う所に強さがあって、美しさがあって。だからこそ、最近のセカアイは魅力的なんですよね。」確かにそう思っていた。でも、この日の彼女は本気で思っていた気がする。余りにも真っ直ぐで、凛々しく前を向いていたから。そしてその清々しいほどの真っ直ぐさだって、素晴らしく美しくて強いんだと、当たり前のことを改めて教えてもらった。

5.『不協和音』
当日会場で聴いた時の記憶は正直余りないが、身体が熱を憶えている。沸々と湧き上がるボルテージに、血湧き肉躍る感覚は音が持っている力だろうか。初めて見に行った欅坂のライブ、『真っ白なものは汚したくなる』のツアー千秋楽からこの楽曲に対する見方は変わっていない。言語化不能の熱量が体の奥底で暴れる。それに身を委ねて、楽曲を体感する、音を浴びる、発露される感情を全身で受け取る。でも今回は、その感覚に加えて、彼女たちの覚悟に対する敬意の感情も湧き上がった。BUMP OF CHICKENの藤原基央が常々口にする“楽曲は聴いてもらって初めて生まれる”という言葉は本当にその通りだと思う。不協和音という楽曲を櫻坂として披露することの難しさと、楽曲を歌い継ぐということを天秤にかけ後者を選択した。この覚悟を持った決断に敬意を表すると共に、楽曲を愛し続けてくれたことに最大限の感謝の意を表したい。最高のパフォーマンスでした。

6.『砂塵』
欅坂楽曲の最後を飾るのは、菅井センターの楽曲である砂塵である。背中を押す追い風のような音楽が、未来を見据えた菅井友香を一層輝かせる。「あの地平線まで見渡せるよ 今」という歌詞はなんてぴったりな言葉なのだろうと、聴いていて胸が熱くなった。幾重にも折り重なった7年の軌跡が、辛い過去も楽しかった過去も全て、菅井友香の味方となって未来を照らしてくれていた。
“今目の前にいる君”は、成長した自分自身だろうか。音楽が彼女に呼応した。

その日まで

二日間披露された卒業曲『その日まで』は、歴史が詰まった楽曲である。過去の振り付けが組み込まれ、本披露ではメンバーたちと手を取り合い歩んでいく。良い意味で、観客を全く気にしていない。メンバーが過ごした月日を噛み締めながら送り出す。花道を“思い出”が横切る。菅井友香の過ごした日々は、一歩また一歩と未来へと進むための別れへと向かうのだ。サブステージへ駆け上がり、一期生と踊ると最後のスピーチへ。「最高に楽しかったです!」この言葉が聞けたことが何よりも嬉しかった。そして“がんばりき”ポーズのメンバーの間を駆け抜けた。
菅井友香が過ごした激動の7年間は、グループを支え、メンバーを支え、感謝しても仕切れないほどの功績を生んだ。欅坂、そして櫻坂の今があるのは紛れもなく彼女のおかげだろう。駆け抜けた月日を私はこれから先も胸に刻んで、彼女の未来に幸せが溢れることを祈っている。
今はただ、お疲れ様ですと。

櫻坂の行く末と血脈と

櫻坂46は、この一年で明らかに変化した。核を担ってきた一期生の多くが卒業し、キャプテンまでもが引き継がれた。個人的に、櫻坂は化ける可能性が多分に内在するグループだと思っている。これは勿論ライブに関する話である。ポテンシャルを秘めたメンバーがひしめき合い、貪欲に表現を探求している。しかし、冒頭でも言ったようにライブコンセプトが希薄で、一本のライブを通して伝わるものが無いというのが現状である。逆に言えばそこさえハマってしまえば、恐ろしいほどの求心力を持ったライブが生まれるのでは無いかと強く期待してしまうのだ。
欅坂の楽曲は避けるべきものでは無いし、武器として、強みとして披露するべきだと強く思う。また、生まれてきた楽曲を愛し、より多くの人に広めるという点でも歌い継ぐべきだと思う。欅坂の楽曲に救われたという声が大きいことを鑑みれば尚更であり、この思考はメンバーやグループの意図がどうであっても変わることはない。そもそも、欅坂に喰われてしまうようなヤワなグループじゃないことは、ファンのみならずメンバーが一番信じていることではないだろうか。
これから先、奥底に流れる血脈を櫻坂に利用していくことを心から望んでいる。

あとがき

この雑記を読んで、色々と思うことはあるだろう。このメンバーだって素晴らしかったと言いたくなったり、その意見は違うと言いたくなったり、そんな諸々の思考はあって然るべきだと思う。自分は、その各々の思考を言語化すべきだと感じる。 noteでも良い、SNS上でも良い、友人と語り合うのでも良い、日記として書き溜めるのだって良いと思う。そうやって言語化していくことで、その集積が物事を良くも悪くも進めていく糧になると考えている。そんな言語化の触発にこの雑記がなっていたら、私はこの上なく嬉しい。
そんな想いを込めて、この文章の結びとします。


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