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しんどさの共有

 しんどい時代だと思う。とてもざっくりとした主張だけど、しんどさは人それぞれだから仕方ない。
 SNSを除けばたくさん悩んでいるひとがいる。怒っている人もいるし、嘆いている人もいる。皆、行き場のないしんどさをぶつけ合っている。

 ところで、いきなりの話になるが、先月中頃から今月の終わりまで入院生活を送っていた。
 春先の忙しさと家庭内で色々あって思いきって休むことにした。というか切実に休みたいと思ったのだ。抑うつや不眠の症状が出ていたし、医師からも過労だと言われていた。過去の経験から擦り合わせても入院に相当する疲れ方だった。

 入院してもすぐには回復しなくて、時間をかけて環境に慣れていった。十代の頃から診てもらっている病院で入院はもう二桁を数える。入院生活は毎回同じようで感じ方やしんどさはその都度異なる。今回はとにかく疲れてしまっていて、充電すること、体を休めることに時間を費やした。
 入院してひと月ぐらいまで、常に緊張感があった。今後の不安や乗り越えないといけない課題を前に立ちすくんでいるようだった。
 息抜きは音楽を聴くことと読書だった。全然読めないときもあるのに本はよく読めた。そして手元にない一冊の本のことを思い出した。

 それは川上未映子さんの『春のこわいもの』に収録されている『青かける青』というとても短い小説のことだった。
『青かける青』は入院中のわたしが大好きなきみにあてて手紙を書くという掌編である。コロナが流行しているときの話なのだけれど、私は今回入院中にこの小説のわたしの不安がとてもよくわかると思った。

そして夜は静かで、病院の夜はもっと静かで、じっとしていると、いつか長い時間が経ったいつか、わたしはこうやって死んでいくんだろうなと、そんなことを考えてしまいます。暗いよね。

川上未映子『青かける青』13頁 『春のこわいもの』に収録 


 もう自分がこのまま一生病院から出られず、永遠に退院することはないんじゃないかという思いは言ってみれば当たり前なんだけど、反対にどうして私は絶対に元気になって退院できると思い込んでいるんだろうと思った。

 今すぐじゃなくてもいつか、年を取ったら病院や施設が終の住処になることだって当然のようにある。今まで整形外科や精神科や、その他の病気で何回も入院しているけれど、無事に退院できたのはとても幸福なことだということを改めて意識した。

 そして私には生きることと日々病を得ることが当たり前になっているけど、自分のからだでそれが起こる当事者だからある程度あきらめられる。けれど、周りで支える側からみれば病気に納得できない、受け入れられないこともあるのだと知った。

いつかはきっと、そんなに遠くないいつかにきっと、わたしは退院するはずなのに、現実的にはそうなのに、でもほんとにそんな日がくるのかなって、ばかみたいなことを考えます。誰だって、ずっとここにいるわけにはいかないのに、そういうわけにはいかないのに、でも、なんだか色々が夢みたいで、ぜんぶが遠くて、そんなふうに感じます。ここから出たとき、色々なことはどうなっているのかな。何も変わらないのかな。外からみれば何も変わっていなくても、じつはそっくりぜんぶが変わってしまっているのかな。だとすれば、わたしはそれに気づくことができるのかな。

川上未映子『青かける青』14頁 『春のこわいもの』に収録

 特に家族は頭で理解しようとしても、感情的になってしまってだめだった。だめだという事実だけが残酷なほど伝わってどうしようもなかった。
そして互いがだめだと責めあうことも意味のないことだと思った。お互いしんどいのだ、どちらかが怠けているとかそういうことではなくて、頑張っていて、それでもしんどくて、どうしようもない。

 ため息しか出ないようなときでも、ぐっと堪えて深呼吸にして不安を和らげるような強くてしなやかな精神が欲しい。そして、もうダメだと投げ出す前に、ちょっと聞いてよ、今こんなに大変なんだよと笑い飛ばしたい。

 しんどさに取り憑かれてしまっては元も子もない。私もぼろぼろになりたい訳では決してないから、早め早めに周りに助けてもらうことを覚えるのもとても大切だ。そのための入院でもあるし、問題の解決を画策するのも大事なことだ。

 抱え込んで自爆しないためにも、ストレスは小まめに発散する。リフレッシュ。規則正しい生活は努力目標だけれど、とにかく頑張りすぎずにしんどさを共有できる仲間を増やそうと思います。わかっていることはひとりじゃないこと。

今までも乗り切って来たし、今回もなんとかなると信じている。

#闘病記 #雑文

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