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食べごろを逃したアボカド

 アボカドが食卓に普及し始めたのっていつ頃だろう。
 子供の頃はなかった気がする。栄養豊富で森のバターといわれる。中南米原産。サラダにしたり、サンドイッチのトッピングにしたり食べ方は色々あるけど私の家では和食に合わせることが多い。皮を剥き、切って食べるラー油をかける。シンプルで美味しい。あとはカッテージチーズをのせて醤油をたらりとかける。他はポキ丼などにしたりする。
 アボカドは熟し具合を見極めるのが難しい。理想は硬い目のものを買ってきてキッチンで追熟して好みの加減で食べるのが一番なのだが、売り場に並んでいる時点で柔らかいものも多い。柔らかいと剥くのも面倒くさいし、包丁にくっついたりするから飲食店で出てくるアボカドはなんであんなにきれいなんだろうと常々不思議に思っている。
 ところでというかようやくというか本題なのだが今我が家のキッチンに放置されたままのアボカドがある。母が買ってきたまま使うタイミングを逃し続け、もう柔らかいどころの話ではない。複数個買ってきたのでいくつか消費されて今でもサバイバルしているすごいやつ(?)である。
 私はアボカドの存在を認識しながら無視していた。いつ食べるん、もう柔らかいで、と声をかけることはあっても自ら積極的に調理はしない。理由は自分の好みの熟し具合を過ぎているからだ。勿体ないけれどもう正直捨ててもいいと思う。一か月近く買ってきてから経っているんじゃないだろうか。
 でも母はそのことを指摘すると怒るのだ。そして調理を私にしてほしいというように誘導してくる。アボカドディップにしたらどう、レシピ調べたら? でも自分では何もしない。
 何もしないのは家族皆に共通しているのだが(さすがに来週の燃えるごみの日に捨てようと思う)これはなんだか文学的な現象かもしれないと思って記録しておくことにした。
 カフカの変身に通じるところがあるかもしれないし、ないかもしれないのだが、いつのまにか腫れ物扱いになっているアボカド。生産者の皆さんには申し訳ないので今度からは食べごろを逃さず食べようと思います。
 

#エッセイ #散文 #雑文

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