中板橋のアパートと赤いタオル
大学時代の4年間、中板橋に住んでいた。
大学に近かったわけでも通いやすかったわけでもなく、ものすごくコストパフォーマンスが良かったというわけでもない。
僕が入学直前まで地元で教習所に通っていたため、東京に住んでいる伯母にアパート探しを一任していたからだ。
伯母の知り合いの不動産屋が中板橋にあった、という安易な理由で、僕の生活拠点は中板橋に決まってしまった。
中板橋は、東武東上線の大山駅と常盤台駅の間にある。
池袋には行きやすいが、池袋に出ないことにはどこにも行けないとも言い換えられた。
東京に出てきたにも関わらず、地元よりも不便さを感じることが多いと当初は文句たらたらだったが、さすがに4年も住めば、ひとりでご飯を食べる店、女の子を連れて行ける店、大勢で飲める店など、用途ごとにお気に入りの店もできて、住めば都を地で行っていたと思う。
駅前にブックオフがあったのも大きかった。
僕のアパートは、中板橋駅から徒歩7分ぐらい。
商店街を一本外れて、袋小路になっている場所に建っていた。
3階建ての建物の、2階の角部屋。
ワンルームで風呂とトイレはユニット形式だったが、7.5畳の広さは魅力的で、CDやら漫画やらに囲まれた僕の部屋としては、押さえるべきところを押さえてある。
下の部屋から、大音量で聴いているらしい浜崎あゆみの「 A Song for XX」が漏れ聞こえてくるが、なんならそれをBGMに鼻歌を歌っていたので差し支えない。
ただし、ひとつだけ最後まで解消しない不便があった。
それは、同じ住所に建物が3つほど存在すること。
どうしてそうなってしまったのかはわからないが、隣のマンションも、その隣のアパートも、まったく別の建物なのに住所が一緒なのだ。
そのため、マンション名が記載されていない郵便物は、かなりの確率で一番手前にある僕のアパートに届く。
セールス目的のDMの類は処分してしまえばいいが、それなりに重要そうな封書であった場合、こっそり隣の郵便受けに入れ直していたりした。
帰省のため長い期間不在になっていた後で、そんな郵便物が届いていたのに気付いたときは、なんとなく申し訳ない気持ちにもなる。
そんな中、見覚えのない宛名の封筒が舞い込んできた。
記載されている住所は、マンション名こそ書いていないが、僕のアパートと一致。
だから、同住所の201号室に住む3人のうちの誰かに届いたものであるのは間違いないのだが、その誰にも当てはまらない。
ファンタジー小説の1ページ目みたいなエピソードだが、その宛名というのが「キャロル矢沢」だったから、ギャグ漫画にしかならなそうだ。
さて、問題は、この中の誰が「キャロル矢沢」か、だ。
前提として、この3人の中に矢沢さんはいない。
そうすると、ネーミング的に、矢沢永吉のそっくりさん、物真似芸人ということになるだろう。
だが、インターネットで検索をかけてみても、そんな芸人はいなさそうだ。
キャロル時代の矢沢永吉のハードボイルドな姿がモニターを埋め尽くして終わってしまった。
次の可能性を検証する。
友達か誰かがネタで送っているのかもしれない。
この場合、僕が「キャロル矢沢」である可能性も少しばかり出てくるが、その考えは捨てておく。
ネタでなくても、ハンドルネームなどで使っている名前に送られたとか、会員サイトで何の気なしにつけたニックネーム宛に書類が送られてしまったのかもしれない。
だとすると、ホシは相当な矢沢ファンだ。
どこかに矢沢の痕跡があるはずだ。
最後の可能性として、「前の住人がキャロル矢沢」説があるのだが、それは検証しようがない。
これ以上悩んでも不毛なので、どちらかに決めてしまおう。
正直、矢沢永吉に関する知識はほとんど持ち合わせていない僕。
隣のマンションの201号室に赤いタオルが干してあり、なんだか矢沢っぽいと思ったので、「キャロル矢沢」宛の封筒は、隣の郵便受けに。
あの封筒は、その後どうなったのだろう。
本来届くべきキャロル矢沢さんの元に辿り着くことができたのだろうか。
答えは中板橋の霧の中。
「 A Song for XX」を聴くたびに思い出す。
矢沢永吉っぽい赤いタオル。
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