全裸でカレーを食べていたときのことです。つまり、そう、ついさっき。なに、ちょっと春めけば当然の出来事です。
台所の横へ設けられた小窓には格子が嵌めてある。集合住宅の廊下が静かにストライプに割られて、隣の家の父親が帰宅する時などには、人影がアニメーションのようにタラリララとちらついて過ぎていく。
窓の鍵には、友人がチェコの土産にくれた鳥の、平たいストラップが掛かっている。スナメリの胸ビレのような耳が垂れている。しょうゆの屋号のような目をしている。部族のペニスケースが逆さになったようなオレンジのくちばし。銀の漏斗をひっくり返して帽子にしている。背骨の曲がって固まったような突き出た肩がズングリと尻へ落ちている胴体。深紅のフェルトで出来ている。ちょっとわたさえ入っている。体のサイズに似合わない子供のような足が二本突き出て、金色のサンダルを履いている。
鳥の目をじっと見ていると、ずいぶん皮肉めいた目つきである。自ずと不思議に声がする。「ねえ、どうして全裸なの。鳥の私でさえきれいなフェルトの服を着て、靴はもちろん、帽子までかぶっているのに」

こうして私はイメージのなかへ逃げ込むので真実は幽閉された塔の中でその静かなきらめきを保つのです。そんな馬鹿な。
かなしいことを「かなしい」と言わずに、いかに悲しいと感じさせるかが表現ななのだ、ということを聞いたことがある。さもありなん。しかしね、かなしいことをかなしいときに、かなしいと言うことが表現でないわけでもあるまい。その素直な発音にどれほどの力が必要だろうか。実に大変なものであるよ。かなしいと感じたときにかなしいということが体現できないことを美徳に数えるわけでもないのだろう? かなしいだなんて、そんなことを言うな、とでも言いますか。あなたは。言うまい。言えるまい。私は今かなしいよ。かなしい。どうだ。
哀切と言ってもいい。この毎日が少し前の複製のように透明のフィルムを重ねて、積みかさなり、ちょっと先の私を描くようだよ。あまりに積み重なるのでついに全体が白く濁ったようにくすんでしまう。カレーを食べてしまった。もうない。全裸だけが残っている。これが哀切でなくて何かね。そう、裸だといえば、まあ足りるね。

#裸 #カレー #鳥 #かなしい  

「生きろ。そなたは美しい」