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双児

 
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 改札を抜けて駅を南に出ると、タクシーが玩具の電車のように連なって、くたびれた客を待っている。バスや宅配のトラックを避けて向かいに渡り、インドやスペインの料理屋のチラシを断りながら青い銀行の脇を行くと、抱きしめ合う学生と浮浪者の眠る公園に出る。そこに繋がる少し急な坂道の首の辺りで左に曲がり、とって付けたような二三段の階段を上ると、そのまま飛んでいけるかと錯覚する程に広い空が掛かっている。そこを滑り降りて小川を渡ると楓の並木に見守られた短い散歩道で、ここを行くのは自分独りとでもいうふうに歩く幾らかの通行人の背には、僅かな寂しさが見える。そこからは街灯の少ない住宅街で、各々が車線変更して最早懐かしいドアを開ける。
 昨日だったか、背にしていて気づかなかった美しい夕焼けが目の端で揺れて、良く見ようとアパートの階段を降りて道へ出ると、低いところで赤く燃えている所為で何処かの家の火事のようだった。引き返してベランダから屋根に登ると、水気の多い夏の風も手伝って誰かの詩を思い出した。太陽が溶けるのは海ばかりでないらしい。

     2
 最初に双児を見たのもしっとりとした夏の夕暮れで、若々しい楓の葉は陽と混じり、ほんのり暗い散歩道を淡いすみれ色に塗り始めていた。双児は女の子で歳は七つか八つ頃、まだ傷の少ないランドセルが思い浮かぶが、学校の帰りではないらしかった。二人は揃いの服を着て仲良く笑い合い、くるくる回りながらくっついては離れ、くっついては離れ、きゃいきゃいしながらジグザグと道を走ったり歩いたりしていた。双児のなかで何かしらの了解でもあるのであろうその遊びはとても可愛らしく、幸せな気持ちをくれた。
 そしてさっき、そうつい先程。同じ遊びをしている双児を見た。やはり女の子ではあったが、先日の双児よりは幾分背丈も小さいようだった。朝の六時に小さい双児にきゃいきゃいやられるというのは朝日とて白いままではいられないとみえて、少し黄色くなった。
 それにしてもこの双児が親もなしに私と同じく早朝の散歩を日課にしているとは思えない。この遊びは双児に共通なのだろうか。これは散歩なのだろうか。どうにも不思議でしばらく見ていたが、双児はきゃいきゃいぐるぐるしたままジグザグ何処かへ行ってしまった。初めて留守番をしたときのような物足りなさは未だに腹に残っている。

     3
 大学の食堂で鯖の味噌煮の定食を昼食にしていると、あひるのような口をした目の大きい女の友達が向かいに来た。両耳にぶら下がっている寄せ木の細工が可愛らしい。
 いつも嬉しくて仕方が無いというような高い声で話す彼女は魚のいる定食同様、微笑みをくれる。お茶を取って来てくれた彼女に今朝見た双子のことを話すと、何それ、楽しそう、と言って暫くきゃいきゃいしていた。
 外に出ると太陽も汗をかいている、と思うほど暑い。脳みそまで水浸しになった気分だ。構内の隅にある、いつも人の少ない小さな池までのろのろ歩く。池には藤の蔦の絡まる屋根があり、クーラーに弱い私には一番気持ち良く涼を得られる。ベンチに座って惚けていると三歳くらいの男の子がバタバタと走って来た。時折何処かの教授が子供を連れて来たりするから何も不思議は無いが、急に立ち止まってキョロキョロとしているその顔は、どうにも困り果てた様子だったから、どうしたのかと声をかけると泣き出しそうにいっそう顔を歪めて、バタバタと走り去ってしまった。私の顔は怖いのだろうか。

    4
 日もすっかり沈んで涼しくなり、夕飯の食材をぶら下げて楓の並木道を歩いていると、前から見覚えのある顔が、飴玉みたいに三つ並んで歩いて来た。よく見れば真ん中は昼時のバタバタ坊やで、双児の女の子にぴったり挟まれている。しかし双児の女の子は以前に見た子達よりもさらに幼く、男の子と同じかそれより年下に思えた。
 世の中物騒だというのにこうも小さい子供達が保護者もなしにいるのがさすがに心配で、声をかけようとして双児の肩が男の子の肩にめり込んでいるのに気が付いた。手を繋いでいるのではなかった。仲が良いのではないのだろうか。片手を挙げたまま動けずに見ていると、何処かで目にした割れた顔の中にまた顔のある仏像の様な具合になって、浮き上がった双児の体がぐねぐねとうねり、空いた口が痺れてきた時には成熟した一人の女になっていた。海の底を照らす潜水艦のような街灯が女を白く光らせた。綺麗だ、と思ったらパンと風船の破裂する様な音を立てて消えてしまった。


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「生きろ。そなたは美しい」