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日記「角のたい焼き屋さん」

たい焼き屋さんは何故か十字路の角にある気がする。

たい焼き屋さんを広めんとする人が、「角のたい焼き屋さん」という言葉を人々の間に定着させようと目論んでいるのかもしれない。

響きがいいもんね。

更に、『三丁目の夕日』的な、街のある施設のことを正式名称ではなく「角の」とか言うことにも何やら街と一体感を感じて小気味好い感じがするではないか。
「向かいの豆腐屋さん」「いつもの人」「例のアレ」などと言いたい気持ちが人間にはある。

真に一体化した人は、それに小気味好い感じなど受けないだろうから、角のたい焼き屋さんと唱えるたび、わたしたちは街に溶け込んだ人のコスプレを体験していることになる。
どの街の角にもあるから、先述の特定の場所の特定の豆腐屋さんを指す「向かいの〜」とは少し質が異なるのだ。
初めてくる街のたい焼き屋さんに対しても「角のたい焼き屋さん」と言えるが、その「角」が表す光景は、具体的などこどこではなく、イメージとしての角だ。
こういう言葉は他にあまりない気がする。「国道沿いのラーメン屋」などとも違う。「国道沿い」では長すぎる。
「角の」「向かいの」くらいでなくてはいけない。
そして「角の」「向かいの」的なもののほとんどは特定の場所に縛られていて、やはりこの独自の境地にあるのは現状「角のたい焼き屋さん」だけかもしれない。

例えば、どこへ行っても自分の向かいに存在するものがあれば、「向かいの〜」もその境地へ至れるだろう。「後悔」とかだろうか。


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