「宿題やらなくて良い論がどうなのか」を飲みながら書いてみる
「宿題なんてやらなくて良い」
という話は、その世代で成功している人がちょくちょく言い出すことだ。
最近だと本田圭佑選手だろうか。
少し前だと、小学生YouTuberや将棋棋士の方が伝えていたのが記憶に新しい。
私は、「宿題が完全に悪」だとは考えていない。
「宿題要らない派」の報道をみて、疑問に思わないだろうか。
ガッキーはなぜ、こんなにも美しいのだろうか?
あ、間違えた。
「宿題は良いよ派」の意見が全く、一般市民には届かないのだ。
一つはマスコミの、せいだろう。
もう一つは「宿題は良いよ派」がアピールしないこと、そして「あの宿題、何かの役に立ったか?」とあいまいに考えている人が多いことが原因だと考えている。
個人的に、宿題を言われたとおりにして良かったことはない。
むしろ苦痛であった思い出がほとんどだ。
しかし、「やんなきゃなんねー」ことを自分で計画を立ててやっていくという能力は、ほとんどの大人でも必要になるのではないだろうか。
大人になって成功すれば、「やんなきゃなんねー」ことがなくなるかも知れない。
ただ「やんなきゃなんねー」ことが大人になってもなくならないのであれば、自分で計画を立ててタスクをこなしていく能力は絶対に必要だ。
何かで成功した人の言葉は、万人に当てはまる言葉ではない。
「やんなきゃなんねー」ことを、自分でこなしていく。
その中で、将来人生を左右する知識を得る可能性だって考えられる。
何が言いたいかというと、ハイボールが美味しいです。
いろんな子と付き合いまくって、「あれ意外にこの子相性いいな」という可能性だってある。
私だって、「あの子が意外と夜の相性が良かったな」と今でも思い出します。
嘘だけど。
著名人とはいえ、「宿題はやらなくていい」と切り取られてしまう発言はどうかと思う。
一部の言葉を切り取って、誇張するマスコミが悪いのもあるけどね。
私は子供に、「宿題は自分で計画を立ててやろう」と伝えている。
宿題が良いとか悪いとかの前に、
「やんなきゃなんねー」ことを、自分でこなしていく。
ことが大事だと思っているから。
バランスが難しいけど、それでも終わらないなら何も言わない。
というか今どきの小学生、宿題が多すぎるよ。
私は宿題はやらなくて良いとも言わないし、絶対に全部やれとも言わない。
いろいろあるだろうから、自分のできる範囲で、「やんなきゃなんねー」ことを、自分でこなしていく、ので良いと思っている。
だから私はガッキーの美しさに目を向けていきたい。
ガッキー大好き。
でも森七菜ちゃんも最近は好きです。
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