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2冊目-『ダメをみがく “女子”の呪いを解く方法』

昨日は仕事始めで。

前夜、たぶん仕事に行きたくない「サザエさんシンドローム」の症状で、ふいに思い立ってnoteのアカウントを取得して、最初の記事のテーマに定めた『ゲンロン0』をさらりと読み返してみたりして書いてみて、読まれる前提で書くのが久々だったりして手直し重ねて、最終的に公開したのは夜中の3時。。

嫌だ、起きたら明日になってしまって仕事に行かなきゃいけない、そんなの嫌だ、寝たくないと、そう思ったわけではないのだけれど、結果的にはそうなって、そうして寝坊しかけて朝から慌ただしく無駄に消耗したりする程度には、十分「ダメ」なこの私。

しかし前記事でも書いたように「ダメイスト(「ダメで何が悪い!」と声高に叫ぶ人)」を自称するわが身にあっては、この程度のことは実は日常茶飯事。
むしろ財布とかを自宅に忘れたり乗る電車を間違えたり、そもそもシフト表を読み誤って出勤時間を間違えたりしていなかった分、「デキた」方の部類に入れてあげてもいいぐらい。

そんな、「ダメ」な自分にうってつけだった本を今日はご紹介。

『ダメをみがく “女子”の呪いを解く方法』津村記久子・深澤真紀(2013,紀伊國屋書店)

会社員との二足のわらじで数々の賞を受賞してきた作家の津村氏と、「草食系男子」という言葉の生みの親であり、編集者・コラムニストの深澤氏の対談本。

副題に「女子」とついてはいるけれど、主眼は女子よりもっぱら「ダメ」の方。
両氏の他の作品はそれぞれ、エッセイ『くよくよマネジメント』『女オンチ。』を好感をもって読んでいて、いずれも「ダメ」に対するやさしいまなざしが印象的で、タッグとなれば嫌が応にも期待は高まるのだけれど、その期待を上回る内容で。

深澤:「成功」の秘訣は「才能」「努力」「運」ってよく言われますけど、私たちのは「成功」じゃなくて「なんとかしのいでる」状態だって思うし、「才能」じゃなくて「適性」、「努力」じゃなくて「工夫」、「運」じゃなくて「風向き」だと思ってるんですよ。

対談ではとくに「工夫」が強調されていて、「なんとかしのぐ」ためのやりくりが語られる。

津村:会社には近くのコンビニっていう通気孔があって、芥川賞には会社の仕事っていう非常口があった。で、会社の仕事に行き詰まったら小説のことを考えていました。そのときにいない場所を逃げ場にすることによって、閉塞を和らげていた感じですかね。

これが「気分を上手に切換えてすべての仕事に100%のパフォーマンスを!」というようなマッチョな態度と違うのは、続く発言ですぐに明らかに。

津村:小説の仕事もどうせ、いつまでもあるわけじゃない。まあ、何年かはあるけれど、どうせあかんようになるときも来るしなって。それで、三年か四年、三十五ぐらいまでは会社に勤めようと漠然と思ってました。

会社は「帰り道が楽しい」から行くし、原稿はカタン(ボードゲーム)をご褒美に五枚書く。
仕事に対する姿勢としては、たぶんD・カーネギー先生あたりが見たらまったくダメなのだけど、しかしそんな自分を受け入れなければ、苦しいのは誰あろう自分自身で。

深澤:私は「口が達者」というご本尊しかないから、そのご本尊だけにがんばってもらう。残りの、性格悪く、ブスで、デブで、身体が弱いといういろんな私のダメな部分たちが「あなたにがんばってもらわないと食べていけないから!」って「口が達者」な私をほめてくれるんです。「フカサワすごい!」って(笑)。

自分自身を手なずける

「自分自身」すら複数化して、閉塞に陥らないようにやりくりする工夫。
似たような事態をジェーン・スー氏は「自分の中の小さい女の子」と呼んでいたけれど、むかし公共哲学なんかで語られた「重層的アイデンティティ」なんかとはまったく違う、その生活感ある自意識の手なずけ方に感動したりする。

翻って自分なら、と考えてみると、「愛想のいい働き者の長男」「陽気でアホな次男」「くそ真面目でネクラな三男」「酒と金と女をほしがるダメ親父」「かまってちゃんなおしゃべり長女」みたいのがたぶんいて、「母不在か」とかちゃちゃ入れてくる三男をなだめすかしつつ、長男がなんとかがんばってくれている構図。
長男が疲れたときは、誰かが代わりにがんばるというよりは、みんなで飲んでしゃべって遊んで気休め。

そんなイメージで、ダメだけどダメなりにしばらくは生きていけそうだと、そう思わせてくれる本なのでした。

#読書 #推薦図書

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