兄との対話 -対面編
このマガジンでは、まとまりきれてない考えごとの断片を置いていきます。
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今週、実家から1才上の兄がやってきて。
仕事や遊びの用事があったわけでなく、ここ数ヶ月の私のようすを聞いた母が「ちょっとようす見てきなさい」と言って遣わしたという、なんとも高コストの訪問サービス。
実際にはもう心配されるような状況は完全に脱していて、金の無駄遣いだからやめてくれとも言ったのだけど、「親のわがままだと思え」と言われればそれ以上は止めるすべもなく。
普段ほとんど連絡をとらない兄とは、仕事やそのほか込み入った話などしたことがなく、たまに会話が生じたかと思えば、音楽との向き合い方やキリスト教神学の話なんかで盛り上がってしまうというのは先日のnoteにも書いた話で。
今回初めて、自分のここ10年くらいのことのなりゆきを話したりして。
久々に会う友人に「調子どう?」などと問われれば「ここ10年くらいずっと調子悪い!」とネタのように言うのだけれど、改めて振り返ってみると単なるネタにとどまらない実感がその言葉にも宿るようでもあって。
聴いていた兄からは「自分のこと追い詰めるのがデフォルトになってるw」「まあこれからいいことあるよw」と軽さはありつつもあたたかい励ましのお言葉。
とにかく母を安心させるくらいの顔は見せられたんじゃないかという夜は過ぎゆき。
島根の鯖と酒が、11連勤中9日目の少し疲れた身体に心地よく染み入る。
しかし翌朝、「最後に聞いておきたいことがある」「30分くらいでも時間つくってちょうだい」と兄からメール。
メールで済ませられないとは何事ぞと思いながら、仕事終わりの22時半に合流。
もう近くに開いてる居酒屋もカフェもなく、なか卯で牛丼・うどんとビールという昨日とはうって変わってドカタな呑み方が、これはこれで10日目の身体に染みる。
用件をきけば「家族」のことだと言う。
私が家族に対して距離をとろうとしているように見える態度の、その本意をききたいと。
距離をとろうと意識していたわけではなくその意味では本意もないのだけれど、感じさせるだけのものはあったかもしれなくて。
よっぽどの用事がなければ連絡もとらないのは序の口で、仕事が変わるのも引越しするのも家から問合せあったときに事後報告、心配する母には「もうこっちも大人だし大丈夫だから無用な気疲れするような心配はしないでくれ」と突き放す。
兄も「家族なんだから」などとナイーブなことを言うような人ではまったくなくて、どちらかというとドライなタイプですらあるのだけれど、それでも気になるものがあるという話は、私の結婚式まで遡ったりして。
婿養子になった私、結婚式で一般的には「新婦からの手紙」が読まれる場面で「新郎からの手紙」を読むという段取りがあり、そのなかの
「いつでも帰れる基地のような家族があったことに感謝しつつ、それを呪うような気持ちになることもありました。」
「もうそちらの基地には帰りません。新しくつくることにしました。」
という内容が気になったという兄。
自分では前向きな話のつもりだったのだけど、実はこの部分、妻にも当時「あんな言い方しなくていいじゃん」と軽く怒られたりもしていて。
この「呪い」の気持ちは、先日も少し書いた「当事者性」問題から生じているもので。
当時、子育て支援のNPOで活動するなかで出会っていたさまざまな、本当に複雑で多様な困難を抱える家の子どもたちや親をサポートをするに際して、まったく裕福ではなかったけれど少なくとも平和な家で育った自分が、どこまで彼らに寄り添うことができるのか、そんなことがはたして可能なのか、どこまでいっても「当事者」にはなれない困難と苦悩が、少し強めの言葉で表れたもので。
ちなみにこの手紙には
「温室育ちでしか出せない味わいや香りがあるということも知りました。」
というくだりもあり、この「当事者性」問題は当時からある程度の前向きな「諦め」がついていたわけでもあるのだけれど。
しかし「幸せな家族」や「親からの支え」があることに対する「後ろめたさ」のようなものは私の中に強く内面化されたようで、その後も自覚のないまま肥大化してしまったのかもしれないというのが今回の気付きで。
それはほとんど自意識の問題であって、それによって親を不安にさせたり傷つけたりというのは、もはや思春期の行動の相似形ではないかと思ったりして。
30代は未成年ならぬ「未中年」という不安定な時期なのだと言ってくれたのはジェーン・スーだけれど、「もう大人だから」という未中年の言葉は、「ほっといてくれ」という主張のためではなく、「親を不安にさせない程度のふるまいは身につけるべし」という自戒のために使うべきだという発見が、なか卯のうどんの出汁とともに身体に染み入る夜であった。
親については不自由なく育ててくれたことを感謝しているし、4人の子どもを育てたことを尊敬もしているし、だから幸せになってほしいと思う。
通じ合わなくても理解しあえなくても、相手が幸せになってほしい人であるから、せめて傷付けないようにふるまいたい。
これは距離を縮めるというよりは、個人どうしとして距離を画定する作業に近いだろうし、また誰かに「偉そうに」と怒られそうでもあるのだけれど、「親孝行」という言葉にもこの回路からなら少し素直に向き合えるし、それが叶うまでどうか健康にいてほしいと素直に願うこともできるようで。
本当は、件の「後ろめたさ」肥大にひと役買ったであろうと思われる、宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(2008,早川書房)の「家族から疑似家族へ」の話にも足を延ばそうと思ったけれども、それはまた今度。一節だけ引用して、今日はおしまい。
子供はオリジナルの家族に対する期待を断念し、自らの試行錯誤で疑似家族的共同体を獲得する。そして、大人は子供を導くのではなく、その試行錯誤のための環境を整備する
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