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緊急事態な日々③-まだ序章の3月

このマガジンでは、まとまりきれてない考えごとの断片を置いていきます。
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歴史に大きく記述されることになるだろう緊急事態。
のちに振り返ってあのとき自分はどんなことを考えていたのかってことを思い出すための備忘録として、また「この世界の片隅に」生きる一人の個人の記録として、「いま」を書き残しておきたい3本目です。


感染拡大が先行する各国のようすを傍目に、これといった策も出ないまま空費された3月。

前月末に突然ぶちあげられた休校要請に千葉市長の怒りが印象的でしたが、

スクリーンショット (1)

千葉市長、安倍首相の臨時休校要請に「千葉市は、小学校低学年を中心に預かる方向」(HUFF POST)

僕の勤めるNPOは児童虐待防止を目的に家庭訪問型の活動をしているので、これがまったく他人事ではなくて、虐待リスクの高まりに団体として何をすべきか、あるいは何ができるのか、あれやこれやと考えなければならなくて。

ただでさえ慢性疲労が常態化した脳みそにさらに負荷をかける事態に。


「子どもが家にいることによる虐待リスク」なんて、知らない人には想像もつかないかもしれないけれども、たとえば精神的な疾患や障害を抱えた親にとっては、日中は子どもがいない時間があることで何とか日々を穏やかに過ごすことができ、愛情も適切に伝えることができたりするもので。

僕らが日常的に支援の対象としているのはそんな家庭が多いので、「子どもがずっと家にいる」と聞くと、そのしんどさの方がまず直感されるのです。


しかし、あれこれ考えてはみたものの、結果的には追加の活動の展開は数件の家庭にとどまり、実際は通常運転の調整で精一杯で。

それも、現場に出向く訪問スタッフの活動自粛に加えて、受け入れ家庭側からの自粛もあってむしろ活動は大幅減。

3月25日、水曜の夜8時過ぎに小池都知事がこれも突然に「平日は在宅勤務を」「週末は外出の自粛を」と発表したときにも、さらにリスクが高まることを予感しながら、その週末から翌週にかけての通常運転の調整ですでに手一杯。

非常勤ではありながら役員という立場上、仕事を続けてくれる事務所スタッフの不安も汲みとらなければならないし、休むも働くも安心して判断できるメッセージを出さなければならないし(正確にはボスから出してもらわなければならないし)、そのためには感染対策や在宅勤務に関する新たなルールも策定しなければならないし、もちろん刻々と変わる状況も注視していなければならないし、とにかくそんな内部調整に右往左往するばかりで、追加的な活動を起こすだけの体力がないのでした。


他の3つの仕事も並行しながらという働き方も、こういうときには制約や不自由として我が目に映ってしまって、ムクムクと無力感を育ててしまうのです。


こうなってしまってはSNSなんかで流れてくる他団体の活躍もただ素直には喜べず、「拡散希望」の投稿をサラリと流してしまう一方で、猫のもふもふの動画はしっかり最後まで観ていたりする小物であって、それでさらに自己嫌悪を深める、美しいまでの独り相撲。

思えば先のいくつもの「しなければならない」も、責任感という名の仮面をかぶったただの思い上がりかもしれず、誰もお前にそこまで求めてないという話はある程度の確度で真理であって、それは2年前に身体を壊した悪いパターンでもあるのだと自覚もあって。


だからむしろ今回は「これで限界」と自らストップがかけられたことを、ある面では褒めてやってもいいと思ったりもするのだけれど、そんなこと誰も褒めてはくれないので、自分で褒めることにしたいと思う、お疲れ、私。


こうして、不本意な部分は多分にありながらも自分の容量のなかで必死に働き、働くに働けない人々の「自粛と給付はセットだろ」の叫びに連帯を感じていた温度感とは裏腹に、3月25日、政府から飛び出た策は、まさかの和牛を対象とした商品券、通称「お肉券」。そしてこれが当然のごとく批判の業火に焼かれた翌日に出てきたのが、今度は魚介を対象とした「お魚券」。

人はみな同じ景色など見てはいないということは割と前提している方だと思っているのだけれど、それでも、およそ同じ街で議論されている出来事とは思えず、期待もしていないのに失望させられる初めての経験。

そして3月30日には、1週間前に延期を決めたばかりのオリンピックの次回日程が来年7月23日からに「決定」。
完全にパラレルワールド。

そろそろリアクションする熱量も失っていったころと記憶しているけれど、こうして仕事の上では政治に振り回されたような3月は、他方で、大事な話もあったのです。

続きます。

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