令和

時代の区分線上のアリア

改元の賑わしさもすっかり落ち着いてしまった感じがあり、こんな記事を書くのも例によって出遅れた感があるのだけれど、みなさんこの10日ほどの間に「令和」の書類には出くわしてらっしゃるだろうか。

「令和  年  月  日」という記入欄に「1年」と書くべきか、「元年」の方がバランスとりやすいけどダメなのか、なんていった小さなためらいがこの時期ならではのものでもあると思うのだけれど、あまりそこで固まっていると「お、令和の感慨にひたってる?w」みたいな反吐な輩のおちょくり被害に遭うこともあるので注意が必要だったりもするのであって。


「平成」で大量に刷ってしまった書類を「令和」にいちいち直す手間が大変だとか、修正のためのハンコ屋だけが大儲けだとか、「もはや元号など不要」と考える諸氏もいるようで、確かに一般の社会生活上では換算の必要を筆頭とした不便なことが多いので、役所なんかも西暦を使ってくれるとみんなラクなんじゃないかと僕も思ったりするのだけれど、元号そのものについては、だからいらないとは言えないところがあって。


平成という時代は1989年1月から2019年4月までだったわけだけれども、この30年と4カ月という中途半端な時間のひとまとまりを、ひとつの時代として抜き取ることができるというのは、実は割と便利も多いんじゃないかと思ったりしていて。

西暦で言えば「20世紀末ごろから21世紀初頭」くらいにしか説明できないこの時間を、「平成」と一言で名指すことができる。
だから「平成の〇〇」という語りや企画が成立するし、「90年代」や「ゼロ年代」という区切りだけでは見えてこないものが見えてきたりする。

西暦だけで生きている人には見えない「時間の区分線」が見えるというのは、イスラム暦とかと似てたぶん簡単に捨ててしまうにはもったいない、この国の文化なんじゃないかと思うのであって。

ちょっと古い価値観に出くわしたときに「昭和だねえ」などと揶揄する人に出くわすことがあるけれど、僕はあれには違和感を覚えることが多くって、「いや昭和って60年もありますから、多分あなたが言いたいのって高度成長期くらいの昭和30~40年代の話なので、"高度成長期だねえ"がより正しいのでは?」と言いたくなるのをいつもぐっとこらえるのだけれど、何が言いたいかというと、時代や時間の「区分線」は多様にあるのがいいんじゃないかということで。


それでいうと「干支」っていう12年間ももっと活用した方がいいんじゃないかと思ったりするのであって、ここ10年くらいはもはや今年が何年(なにどしってこうしか書けないのか…)かさえ怪しいところで、今年が亥年であったことも今調べて気付いたくらいの状態だけれども、亥年であればちょうど今年で12年の1クールが終了ということ。
正確には60年で1周だというのはここでは措いておくとして。

つまり2008年から2019年が干支の何周目かであったということで、これを「第〇〇〇干支時代」と名指すことができれば、「そんな時代もあったねといつか笑える日」のための視角がまたひとつ増えるというわけで。

むろん「第1」をどこに置くかはまた歴史家先生方のお力が必要ではあるけれど。

ちなみにこの時代、僕なんかはどの区分よりもぴったりの、まごうことなき「混迷の時代」です。


時代や時間の「区分線」はたぶん多い方がいい。


たぶん次に元号の話が盛り上がるのは順当にいけばまた30年後くらいになるのだろうし、そのときにはたぶん元号より女系天皇の話が話題の中心になっているのだろうから、「元号不要論」が盛り上がることは現実的にはあまりないと思うのだけれども、平成から令和への「区分線」上で、そんなことを考えていたのでした。


追記
ちなみに平成最後の夜はカラオケで「ミスチル・桜井和寿の両義性とサンボマスター・山口隆のやさしい嘘」について友達に熱っぽく語っていたことも、備忘録的に書き残しておきます。


#雑感 #改元 #令和 #干支

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