UCCの肉味噌
「人はいつかどこかで苦労ばせんといかんごたるね」
そう父が口にしたのは、家庭の問題に頭を悩ます弟の話題に触れたときでした。
弟は昔から要領がよく、人の懐に入るのも得意だったので、実に上手く人生を立ち回っているように見えました。
父から勘当に近い形で家を追い出されたときも、これ以上ないくらいに有耶無耶にし、父の機嫌を上手くとりつつポジションを取り直していました。
風向きが変わったのは5年ほど前。詳細は書けませんが、弟の苦悩は想像を絶するものでした。
要領よく生きてきた弟。
しかし今回ばかりはいかんともし難く、父が冒頭のように洩らしたのです。
続けざまに父は
「イワナは大学んときに苦労しとるけんなぁ」
と遠くを見やります。
大学生。初めての一人暮らし。
憧れなんてものは全くなく、不安しかありませんでした。
実家にいれば料理屋を営む両親の絶品をただで食える。そのため自ら料理をする必要もないまま家を出る。
つまり調理実習で得たスキルオンリーで無人の台所に立たされたのです。
加えて手元には最低限の仕送りと奨学金のみ。コンビニ弁当すら贅沢品。仕方なく切り方も知らない食材に包丁を入れたものです。
いくらやっても卵が雪崩を起こすオムライス。全く味のしない鶏肉。溶岩のようなビーフシチュー。賞味期限切れは当たり前。酸っぱくなった麻婆豆腐もご飯とともにかきこみました。
そんな中、僕を救ってくれたのがコーヒー(UCC)の粉の瓶に詰められた肉味噌でした。
家畜のような食生活を送る可愛い孫を憂いて、祖母が作って送ってくれたのです。
もったいないから、温かいご飯にほんのちょっぴり乗せるだけ。味噌の香ばしさ、甘さと、細かく切られた豚肉の食感。これが白ご飯と絡み合い、寂しい胃袋を慰めてくれたものです。
食卓には茶碗とUCCの瓶だけ、という日も度々でした。ちびちびと食べては、無くなれば祖母におかわりを求めUCCの肉味噌を補充し、どうにかこうにか苦学生の卒業に漕ぎ着けました。
あれから15年。栄養管理に隙のない妻のおかげで食べ物には一切困りません。幸せです。
それでもときどき思い出すのが、あのUCCの肉味噌です。レシピをもらったのに再現できなかったあの肉味噌。
祖母が砂糖の分量を適当にしか教えてくれなかったために幻の一品となってしまったあの肉味噌。
そういわれてみれば補充されるたびに微妙に味が違っていたあの肉味噌。
ばあちゃん。
ばあちゃんが肉味噌で繋いでくれたこの命。ばあちゃんが死んだ翌年に出会った妻が今、守ってくれてるよ。本当にあのときは有り難う。うまかったよ。
ばあちゃん。
飯には困ってないんだけど、またあのUCCの肉味噌、食いてえなあ。
きっとまた味、違うんだろうけど。
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