見出し画像

大相撲九月場所④ 玉鷲ー正代

 四日目。
 今回は郷土出身力士という視点で取り組みを選んだ。

 同じ熊本出身の正代。熊本出身力士といえば、古くは肥後ノ海、濱ノ嶋、智ノ花の肥後三羽烏(勝手に命名した)が少年時代の私の心を鷲掴みにした。祖母が推していたのだ。祖母の時代は、今よりももっと郷土出身力士への贔屓が強かったのであろう。
 
 今だに残る文化として、四股名や番付などとともに出身地をアナウンスする、というものがある。これは他の競技には見られないものである。

 
 ある人はこう述べていた。「広義で捉えると、日本人力士は日本という郷土で生まれたというだけで贔屓にされ、外国人力士はその対象から外れている」と。納得。だから、白鵬の孤独はより強固なものとなり、偉大な経歴に曇りを残すことになったのであろう。

 それほどに、郷土の力士というのはファンに与える影響が大きいのだ。


 話を戻そう。正代。私が初めて見た郷土出身の大関、そして優勝経験者。当然寄せる気持ちも大きいものとなる。
 対するはモンゴル出身の玉鷲。年齢を感じさせない力強さと、怪我のない体づくりは驚嘆に値する。

 立ち合い。安易に予想された、何の驚きもない展開。いつもながら顎が上がる立ち合いの正代の首元に、いつもながら的確に玉鷲の喉輪が入る。
 ここで昨日も述べたマルチタスクが展開される。喉輪で押し込みながら、足は走り続ける玉鷲。
 素人感覚だと、ついつい力んで上半身頼りになり、足が止まってしまいそうなものである。
 ましてや、本場所の土俵の上、大勢の観客、相手は大関。気持ちがはやりそうなもの。
 だが、上半身と下半身の見事なまでの連動。
 これを無意識に行えるまで、どれだけの反復を重ねたのであろうか。

 また、よくよく考えてみると、あの近い仕切り線に手をつき、そこから的確に喉輪を繰り出せる技術。これは見た目以上に難しいのではないだろうか。


 ここまで書いて、改めて気付く。私は特定の力士をあまり贔屓しなくなった。例え郷土出身の力士であっても。
 良い相撲をとる力士は生まれに関わらず応援するし、文化の汚点となりそうな力士は残念に思う。
 私は、大相撲という文化のファンなのだ。

 今日に至るまで休まずに素晴らしい相撲を披露し続けてくれる玉鷲には心から声援を送る。
 一方、大関の地位を、と思わせる正代には、郷土出身であれ叱咤したいし、他方、大関の重圧と戦い続けているプロセスには畏敬の念を持たずにはいられない。


 今後の両力士の更なる活躍と、健康を祈りつつ、今日も大相撲は私を放さなかった。

 仕事と家事と相撲とnoteだけ。そんな一日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?