『潜在能力は君の中。』
ここ最近、いつもと違う状況を経験させてもらう機会が重なった。
もちろん食べ物の話だけじゃないのだけど…。興味深かったのは、こういう時間が重なることで、これまで日本にずっと住んでいて自分のなかに色濃くあった「これが普通」の境界が薄くなるような感覚があったこと。これまで、キムチをほぼ食べることがなかった。だけど、目の前にバラエティーに富んだキムチや、初めてみる副菜が何種類も並んでいる日々が何日か続くと、それまでの自分の食の概念はゆるゆるとあやふやなものになっていった。人との会話でも全然違う文化、考え方、とらえかたが目の前に広がることで、自分の「普通」はたちまち曖昧なものになった。
逆に、違う国の新幹線のようなものに乗って、日本の新幹線とそっくりじゃないか、とおどろくことも。
一方、日本の新幹線じゃ飲み物と軽食なんて想像できないと、その国のサービスがうらやましくなることも。
そして、これは再び人同士の考え方やとらえかたでも同じだなと思う。全然違う文化的な背景でも、笑い、共感しあうことができる。
ここ最近、昔の自分じゃできないような経験をほんとにたくさんさせてもらった。自分で行動を起こさなかったら、見えない景色は必ずあって、今見ている景色のいくつかもその一つだろう。そういう意味では、昔の自分にがんばったじゃないかとほんの少しだけ言ってあげたい。
で、このとき、一緒に思い出すのが人の存在だ。いろんな意味で機会をもらえたことを含め、人の存在に最近の私は救われている。人と人のやりとりを、前よりは意識的にしていくことで見え方が変わっていったことも多かったなと思う。経験自体は同じでも、その一瞬を大切にするというか、活かそうとすることで、ぱっと時間が華やぐことが増えた。そうして、笑うことが増えた。
電車では前は KIRIN の「晴れ風」の広告を見ることが多かったけれど、最近はポカリの広告を見ることが多い。
遠すぎて微妙に見えないのだけど、「潜在能力は君の中。」と書かれている。上に書いているところと、微妙にうまくつながらない部分もある気がするのだけど、ほんとうにその通りだなとしみじみと眺めていた。「自分」がその時間をどう使うか、結局自分次第なんだよな、と広告を見ながら思ったのでした。
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